終章 裁判とメディア

証拠開示

 

 わが国の取調べはほぼ完全な密室で行われる。テープ録音されることもないし、第三者が立ち会うこともない。取調室の中で実際何が起こったのかを信頼できる証拠によって検証することはほとんど不可能である。取調べの結果として残るのは、被疑者のモノローグを装っているが、実際には捜査官が作文した調書だけである。被疑者が捜査官の望む話をしなければ、それすら作られないことが多い。裁判では、脅迫や約束の結果自白したと主張する被告人とそんなことはしていないという捜査官が法廷で「証言合戦」を繰り広げる。この決め手を欠く「水掛け論」に対して、たいていの場合、裁判官は捜査官の方に軍配をあげる。脅迫や約束が実際にあったとしても、被告人にはその証拠を裁判所に提出する手段がまったくないのだ。

 この事件では、武が克明な日記を残していた。それによって、取調べの経過をある程度まで詳細に跡付けることができた。しかし、武自身が「捜査官を意識して日記には嘘を書いた」などと法廷で弁解することになった。常識的に考えてそれはありえないとわれわれは思うが、裁判官には必ずしも常識は通用しない。判決は「この日記の内容はいつ捜査官の目に触れるとも限らない状況にあったと認められる」として、結局、武の弁解を採用して平成14年証言を真実と認めてしまった。武と佐久間検事のやりとりが逐一録音されていたとすれば、このような認定はおよそ不可能であっただろう。

 考子やアナリエの取調べに関しては日記という証拠も残っていない。あるのは調書と上申書だけである。われわれはせめて日付と時間の面で彼女たちの取調べの経過を明らかにしようと考えて、彼女たちの留置人出し入れ簿の開示を求めた。しかし、これも拒否された。すでに指摘したように、考子が「植物のクキか根っこ」の上申書群を出すようになるまでには「空白の2ヶ月」がある。アナリエが上申書群を出すまでには「空白の5ヶ月」がある。その間どのような取調べを彼女たちは受けていたのか。その点を明らかにしなければ、彼女たちの法廷証言を正当に評価することはできない。これも常識である。しかし、裁判官はこれすらも拒否したのである。そうであるにもかかわらず、彼らは考子やアナリエには「偽りの記憶」は生じなかったと認定したのである。この態度はフェアだろうか。

 われわれは「共犯者」の調書をできるだけ多く開示させるために、異例の「集中審理」を提案した。証人尋問を連続的に行なうためには、証人予定者の全供述が事前に明らかにされていなければならないことを裁判官に力説した。その結果、彼女たちの膨大な供述調書をわれわれは手に入れることができた。その調書によって、彼女たちの、時々刻々と変化し、絡み合っていく供述の内容が明らかになった。もしもこれすらも実現していなかったとしたら、どうだろうか。

 この事件のような「重大否認事件」では関係者の全供述調書が開示されるなどということはない。捜査の最後に検察官がまとめた調書だけが弁護人に示されるだけである。この事件で言えば、武が渡辺荘事件の全貌を語り終えた後の検察官調書と、それと細部にわたって符合する考子とアナリエの最終の検察官調書だけが開示されるのだ。その結果は火を見るより明らかだろう。「共犯者の供述は細部にわたって一致している。したがって信用性は非常に高い」という認定がなされるのだ。普通の事件ではこれが現実に行なわれているのである。それが裁判官の事実認定の実態なのである。

 この事件では鑑定の経過が重大な争点の1つであった。報道によれば、300件以上の鑑定がなされたと言う。われわれはその全てをわれわれに開示して検討の対象に加えることがこの裁判をフェアに行なうためには必要だと考えた。また、鑑定の対象となる臓器や薬物の保管状況(「保管の連鎖」)を明らかにすることも求めた。鑑定資料の保管状況が明確にならない限り、鑑定自体の信憑性も分からない。これも常識ではないだろうか。しかし、ここでも裁判官はわれわれの要求を拒否した。臓器や薬品を最後に受け取った人物が「間違いない」と言っているから「間違いない」というのだ。証拠品のすり替えや過誤による汚染は、もしそれが存在すれば捜査官が必ず自白するという前提に立たない限りこの裁判所の論理は成り立たない。実際にすり替えや捏造を行なった捜査官が「やりました」と自白することなどありえないだろう。誤まって資料を汚染させた担当者は汚染したことにすら気がつかないであろう。それらは、資料を保管した人々に保管状況を逐一証言させ、その証言から浮かび上がってくる情況によって第三者が判断すべき事柄なのである。

 

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