終章 裁判とメディア

身柄拘束と自白

 

 わが国の刑事手続の最大の特色は身柄拘束を利用した長時間の自白追及的な取調べである。この事件はこの特色を鮮明に示している。事件を小出しにして逮捕・勾留・起訴を繰り返して、長期間の身柄拘束を確保したうえで、被疑者に1日の休息も与えずに連日連夜長時間にわたって自白が求められた。その上に接見禁止がなされ、被疑者は親兄弟や知人とも面会できない、ほぼ完全な孤立無援状態で来る日も来る日も「このままでは死刑になるぞ」「否認していると裁判は10年も20年もかかる」などと言われつづけるのだ。逮捕から風邪薬事件の起訴までの66日間、そして、武が「トリカブト」を口に出してから渡辺荘事件のストーリーを完成させるまでの半年間、3人の「共犯者」たちは文字通り連日連夜こうした取調べを受け続けたのだ。

 このような状態に置かれれば、たとえ無実の人であっても取り調べそれ自体の苦しみから逃れるために捜査官に迎合して自白をしてしまうだろうことは容易に想像がつくはずである。これほど強烈な取調べを受けなくとも、最初はなかったはずの犯罪の記憶が鮮明な映像や音声とともに被疑者の脳裏に植えつけられるということも、最近の供述心理学は明らかにしている。

 わが国のこうした身柄拘束下の取調べの非人間性は、これまでにも繰り返し指摘されてきた。国際的な批判の対象にもなってきた。1998年に国連の規約人権委員会はこの日本の慣行は国際人権規約に違反する疑いがあるとして、改善を求める勧告をだした(国際人権(自由権)規約委員会1999)。最近では日米安保条約に基づく地位協定の改定を巡る協議のなかで、アメリカ側が日本の捜査当局に米軍人の身柄を引き渡すことを躊躇する理由のひとつとして指摘している(朝日新聞2003年7月16日朝刊)。

 日本の裁判官はこの問題を改善することにほとんど何らの関心ももっていないようである。アメリカではこの問題はまさに司法の問題として意識されてきた。1964年のエスコビード判決は、弁護人との面会を拒否して得た自白を証拠から排除した(Escobedo v Illinois, 378 U.S. 478 (1964) )。1966年のミランダ判決は身柄拘束下の取調べには「強制のバッジ」がついていると看破し、被疑者の黙秘権が実質的に保障されるための「安全装置」として、被疑者に取調べの拒否権を認め、弁護人の立会い権を含む諸権利の告知を捜査官に義務づけた(Miranda v Arizona, 385 U.S. 436 (1966) )。いくつかの州の最高裁判所は、被疑者の憲法上の権利として、取調べの録音・録画を捜査官に義務づけ、取調べの全過程が録音・録画されない限り自白には証拠能力がないことを宣言した(Stephan v State, 711 P.2d 1156 (Alaska 1985); State v Scales, 518 N.W. 2d 587 (Minn.1994))。

 わが国にもこうした思考を持った裁判官がいなかったわけではない。第4章で取り上げたように、昭和20年代には「不当に長い拘禁」を理由に自白を排除した最高裁判例があった(最大判昭23・7・19刑集2‐8‐944; 最大判昭24・11・2刑集3‐11‐1732; 最大判昭27・5・14刑集6‐5‐769)。また、昭和40年代に弁護人との接見を妨害したことや不十分な黙秘権告知を理由に自白の証拠能力を否定した下級審判例があった(函館地決昭43・11・20判時563-95)。さらに、昭和50年には起訴後の勾留を利用した取調べについては弁護人立会い権の告知が必要であるとした判例がある(東京地決昭50・1・29判時766-25)。浦和地方裁判所平成2年10月12日判決(「三郷パキスタン人放火事件」)は、外国人被疑者の取調べに関してであるが、「最小限度、供述調書の読み聞けと署名・指印に関する応答及び取調べの冒頭における権利告知の各情況については、これを確実に録音テープに収め、後日の紛争に備えることが不可欠である」と指摘した(浦和地判平2・10・12判時1376‐24)。

 しかし、こうした裁判官はわが国の主流とはならなかった。現代の主流派裁判官たちは、捜査官から逮捕状や勾留状の請求があればほぼ間違いなく令状を出すし、検事が接見禁止を求めれば必ずそれを認める。これらの決定に対して弁護人が異議を申し立ててもそれが容れられる可能性は皆無に近い。武まゆみの弁護人は優秀な刑事弁護士である。彼は彼女の勾留や接見禁止決定に対して繰り返し不服を申し立てた。しかし、彼の申立てはまるで三行半のようにぞんざいな形で棄却された。武まゆみは弁護人というものの無力を捜査の早い段階で思い知ったはずである。頭の良い彼女は、弁護人は大して役に立たない、自分の運命を決めるのは検事であると悟ったであろう。他の女性被告たちも、そして八木茂も同じ思いであっただろう。われわれも八木の勾留や接見禁止に対して繰り返し不服申し立てをした。しかし、それらは常に棄却された。

 平成13年3月30日第1回公判で3人の愛人たちは法廷で罪を認めた。すると、弁護人が申立てをするまでもなく、彼女たちの接見禁止は解除され、彼女たちは親戚や知人と自由に面会や手紙のやり取りができるようになった。われわれ八木の弁護人はこの段階で何度目かの「接見禁止解除請求」をした。しかし、これは簡単に棄却された。裁判官のメッセージは明白である――罪を認めれば接見禁止が解除されるが、否認している限りそれはいつまでも認められないということである。証拠調べが終わった段階でも八木の接見禁止解除は認められなかった。さいたま地裁が死刑判決を言渡した後もそれは認められなかった。事件が東京高等裁判所に移ってもだめだった。八木茂は逮捕から3年半過ぎた今現在も妻子や友人知人と面会することも、手紙のやり取りをすることも禁止されているのだ!

 要するに、この国の身柄拘束制度は徹頭徹尾被疑者から自白を獲得する道具として利用されている。そして、裁判官はそのことになんの問題意識もない。そういうことである。これがこの事件で3人の女性たちが受けたような、徹底的に自白を追い求める取調べを可能にしたことは言うまでもない。

 

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