一審判決(抄)

 

二 遺体解剖当時の齋藤の見解

 

次に,弁護人が,佐藤の遺体が発見されたと時点では佐藤の死因は溺死と判断されていたと主張する点について検討するに,この主張は,佐藤の遺体が利根川に浮かんでいるのが発見された平成7年6月14日の翌15日に死体を検死しした川島医師が溺死と判断していること(甲325号証),行田警察署から鑑定嘱託をうけた齋藤により同月17日に死亡解剖が行われているところ,その結果をふまえて作成されている同月27日付け捜査報告書(甲11号証)において,「(佐藤の遺体について)解剖をなしてその死因等を捜査したところできしであることが判明した。」と明記されていることを根拠としている。

しかし,そもそも,その遺体の死亡原因が何であるかについては,あらゆる情報,証拠に基づいて判断されるべきものであって,得られた情報が異なってくればそれが変化することがあるのは当然であると考えられる。水中から発見された遺体について,死亡に結びつく外傷などを発見できず解剖もしていない川島がこれを溺死と判断したことはその時点での判断としては無理からぬことであったと認められるが,この川島の診断だけを根拠に佐藤の死因が溺死であるとすることができないことは明らかである。

また,甲11号証の捜査報告書に上記の記載があることは事実であるが,齋藤作成の鑑定書及び同人の当公判廷における証言によれば,佐藤の遺体解剖の結果からは,溺死を排除する根拠は見当たらないものの,他方で,積極的に溺死であると判定する理由も全くなく,かつまた,解剖時点においてもそのような判断をしており,溺死と断定したことはないというのであるから,捜査報告書の記載は誤りであったというほかない。齋藤証言によれば,齋藤の鑑定書は,死体解剖から5年以上経過した同12年9年になってから作成されたものではあるが,齋藤は,解剖時に齋藤が口述したままに助手がワープロに打ち込んだ文書を解剖終了時に打ち出してチェックした上で保存し,鑑定書を作成する段階で,この記録と保存されていた佐藤の臓器などを改めて検分した結果に基づいて考察(説明)を加え,鑑定主文を導いて鑑定書を作成したというのである。したがって,その記載は正確なものと認められ,かつまた,解剖検査記録が動かすことのできないものである以上,これに基づく鑑定主文が恣意的に変更される余地などないと認められるから,齋藤の証言は十分に信用することができる。上記捜査報告書は結局,その時点での行田警察署の捜査の結論として,佐藤の死亡については犯罪性がないことを認めるに至った経緯を示したものであり,全体として読めば,被告人から得た佐藤が自殺した旨の情報も加味して佐藤が犯罪性のない死因である溺死により死亡したとする結論に至った旨を記載したものと理解することができる。

 

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三 佐藤の臓器の鑑定結果

 

1 次に,佐藤の臓器から検出された物質に関する弁護人の主張を検討するに,科捜研所属の技術吏員宮口一,同関根均及び同山口晃志作成の平成13年5月14日付け鑑定書等によれば,捜査官が同12年7月に美濃戸高原別荘地内において採取してきたトリカブトの葉及び根についてのアコニチン,メサコニチン,ヒパコニチン,ジェサコニチン及びそれらの分解物の有無,含有量を鑑定した結果,トリカブトの比較的大きめの根を乾燥させたもの(乾燥させた結果,重量は乾燥前の約0.48グラムに対し,乾燥後は0.11グラムとなっており,重量比は100対22.9となる。)1グラム当たりから,約0.186ミリグラムのアコニチン,約0.705ミリグラムのメサコニチン,約0.050ミリグラム以下のヒパコニチン,ベンゾイルメサコニン,13-デオキシメサコニチンが検出されたことが認められる。そして,武の証言及び実況見分調書(甲63号証)によれば,武が同7年6月3日に佐藤に食べさせたトリカブトは,同6年8月ころに美濃戸高原別荘地内において採取してきて冷凍庫に保管していたトリカブトのうち大きめの根を刻んだもので乾燥前の状態にあったものと考えられ,その重量は約6.1グラムであったことが認められる。したがって,このとき佐藤が摂取したアコニチン系アルカロイドの量は,前記の重量比に従って換算すると,アコニチン約0.260ミリグラム,メサコニチン約0.985ミリグラム及び微量のヒパコニチン,ベンゾイルメサコニン,13-デオキシメサコニチンと推定される。そして,トリカブト毒について研究している東北大学医学部教授水柿道直作成の捜査関係事項照会回答書及び同人の当公判廷に於ける証言によれば,トリカブトは,根などに含まれるアコニチン,メサコニチン,ヒパコニチン,ジェサコニチン等のアコニチン系アルカロイドが強い毒性を発現するのであり,その致死量は,通常人(体重50ないし60キログラム)において,アコニチン類1ないし2ミリグラムとする見解が多くの文献等において述べられていて学界の定説となっていることが認められる。そうすると,前記認定の佐藤のアコニチン,メサコニチン,ヒパコニチン等の合計推定摂取量1.245ミリグラム以上というのは,当時の佐藤の健康状態,体重等をも加味すれば十分に致死量に達していると認められる。

2 これに対し,弁護人は,我が国におけるトリカブト摂取による死亡例等からすると,メサコニチンの致死量は4ミリグラム以上と推定され,また,水柿が引用する外国の文献においても,人における致死量は「純粋薬物で多分2ミリグラム」あるいは「1ないし6ミリグラムあるいはそれ以上」とされているのであるから,水柿の見解は不当で信用できないものである旨主張する。然し,年後人の挙げる死亡例については,そこから検出計測された摂取量は致死量以上の数値を示しているにすぎず,それをもって致死量となし得ないのは当然であり,胃洗浄により一命をとりとめた例についても,摂取されたアコニチン類は未だ血管内に吸収されていない可能性があるから,この例から致死量を推測することもできないというべきである。また,外国の文献における「純粋薬物で多分2ミリ」とか「1ないし6ミリグラムあるいはそれ以上」などの記載は,水柿の見解よりやや多めの印象を与えるものであることは確かであるが,曖昧さを含んだ表現からすれば,未だ水柿の見解と相反するものとまではいえない。水柿の見解には格別不自然なところはなく,トリカブト毒を研究している専門家の見解として十分に尊重すべきであり,弁護人の主張は根拠がないことに帰する。

3 次に,水柿の捜査関係事項照会回答書及び同人の証言によれば,人の体内に摂取されたアコニチン類は加水分解による脱エステル化反応によりベンゾイルメアコニン類に変化し,加水分解が更に進むとアコニン類に変化するが,ベンゾイルアコニン類からアコニン類への変化は起き難く,アコニン類に変化した後は加水分解は起こらない,例えばアコニチンは,ベンゾイルアコニン,アコニンへと加水分解により変化するが,別系統のベンゾイルメサコニン等に変化することはない,脱エステル化反応には非酵素型と酵素型があるが,非酵素型の加水分解は強酸やアルカリによって加速され,また温度が高いほど加速される,アコニチン類を人工的に合成する手法については未だ報告はなく,動物の生体内で合成することも不可能であると考えられる,植物においてアコニチン類の含有が報告されているのはトリカブト属に限られていることがそれぞれ認められるところ,科捜研所属の技術吏員宮口一及び同関根均作成の鑑定書によれば,佐藤の遺体の肝臓から組織1グラム当たり0.1ナノグラム未満ベンゾイルアコニン及び組織1グラム当たり0.26ナノグラムのベンゾイルメサコニンが,腎臓から組織1グラム当たり0.1ナノグラム未満のベンゾイルアコニン及び組織1グラム当たり0.20ナノグラムのベンゾイルメサコニンが,肺から組織1グラム当たり0.1ナノグラム未満ベンゾイルアコニン及び組織1グラム当たり0.22ナノグラム未満ベンゾイルメサコニンが,それぞれ検出されたが,いずれの臓器からも,測定限界値である1グラム当たり0.1ナノグラム以上のアコニチン,メサコニチンなどのアコニチン類及びアコニン,メサコニンなどのアコニン類は検出されなかったことが認められる。そして,前記水柿回答書及び同人の証言によれば,死後半日くらいは各臓器にある酸素により加水分解が進み,死亡後腐敗が進むと繁殖する菌の持つ加水分解酵素が働くことが考えられること,腐敗した臓器は弱アルカリあった可能性が高いこと,他のトリカブト死亡例における分析結果等に照らすと,ホルマリン浸漬により,臓器内にあったアコニチン類及びその加水分解物はそのほとんどがホルマリン水溶液に浸出し,わずかにベンゾイルアコニン類が残る傾向にあることが認められる。

以上によれば,佐藤の臓器からベンゾイルアコニン及びベンゾイルメサコニンが検出されたという事実は,佐藤が生前にトリカブトに含有されているアコニチン類を身体内に摂取したことを示していると認められ,その摂取の時期が死亡直前であったとしてもそれと矛盾することはないといえる。

4 これに対し,弁護人は,①宮口及び関根が行った前記鑑定について,宮口らが鑑定した臓器が佐藤の臓器であることの証明がなされておらず,別人の臓器を鑑定した疑いが残る,②鑑定書に,鑑定資料が汚染されていないことを示すデータ(ブランクテスト・データ)が添付されていない以上,資料が汚染されていた可能性を否定できない,③定性分析の判断基準が極めて主観的で曖昧である,などと主張し,その信用性を強く非難している。

しかしながら,①齋藤証言,同人作成の任意提出書,領置調書,鑑定嘱託書及び宮口証言等によれば,宮口らが鑑定の対象とした臓器が,外観,重量(一部誤記があったことは認められるものの)等に照らしても,齋藤のもとにあった佐藤の臓器であることは優に認められるところであって,この間に臓器がすり替えられたとか細工が加えられたとかの同一性を疑わせる事情は特段見出すことができない。臓器の保管,移転に関わった者全員の証言によって「保管の連鎖」が証明されなければ同一性を認めることができないとする弁護人の主張は独自の見解であって採用できないものというほかない。②鑑定書にブランクテスト・データが添付されていないのは弁護人指摘のとおりであるが,宮口証言等によれば本件の鑑定を実施する過程においてブランクテストを行っていることは明白であり,このテストで汚染が確認されれば,そもそも鑑定自体が成り立たないものであって,鑑定書自体にこれに関するデータが添付されていないからといって,そのことから直ちにその鑑定書の信用性が否定されるというものではない。③弁護人の主張は,別の不純物のピークを示している可能性があるものを当該物質のピークであるかのように判断し,ひいては当該臓器に含まれている物質の有無に関する判断を誤っているというものである。しかしながら,前記鑑定書及び宮口証言によれば,含有物質の判定は,保持時間のピークが一致するかどうかだけではなく,ピーク時におけるスペクトルの比較も行い,特徴的なフラグメントがあるかないかの観察もした上でなされていることが認められる。したがって,主観的で曖昧な判断で物質の存否が決せられているものでないことは明らかであるから,弁護人の失当である。

5 弁護人は,事件後,捜査機関が美濃戸高原別荘地内で採取したトリカブトからは13-デオキシメサコニチンが検出されているのに,佐藤の臓器からはこれが検出されておらず,逆に,佐藤の臓器鑑定によればジェサコニチンの存在を窺わせるデータが示されているのに対し捜査機関が美濃戸高原別荘地内で採取したトリカブトからはこれが検出されていないことに照らすと,佐藤の摂取したトリカブトは美濃戸高原別荘地内に生息していたのではない疑いがあると主張する。しかしながら,関根及び宮口証言並びに同人らが作成した鑑定書によれば,捜査機関が美濃戸高原別荘地内で採取したトリカブトから検出された13-デオキシメサコニチンの重量はアコニチン,メサコニチンと比較して微量であり,これあるいはこれの分解物が佐藤の臓器から検出されなかったとしても何ら不自然ではない。のみならず,13-デオキシメサコニチンはこれまでにその存在が知られていなかった物質で,今回の美濃戸高原別荘地内で採取したトリカブトについての鑑定の過程で新物質が含まれているかもしれないと考えた宮口らがこれを抽出精製し,東京医科歯科大学生体材料工学研究所所属の伊藤茂にその構造決定を依頼して,平成13年2月ないし3月ころ,構造決定がなされた結果,検出することができるに至ったものであるところ,佐藤の臓器についての鑑定作業は同年1月初めころまでに終了していることが明らかであるから,佐藤の臓器からこの物質が検出されなかったのはこの点からも当然であると認められる。また,弁護人のいうところのジェサコニチンの存在を窺わせるデータというのは,実際にはジェサコニチンの存在を示すものでないことは当公判廷において関根が明確に証言しているところであって,その判断に格別疑念を容れる余地はなく,美濃戸高原別荘地内で採取されたトリカブトの根の成分と佐藤の臓器からのアコニチン等の検出結果とは矛盾するものではないといえる。

 

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