一審判決(抄)

第七 その他の証拠

 

弁護人は,佐藤の死因は溺死であるとし,①佐藤の肺及び腎臓から利根川に生息する特異な珪藻類が検出されたといういわゆるプランクトン検査の結果は,佐藤が利根川で溺死したことを示す決定的な証拠である,②佐藤の遺体を解剖し,死因等を鑑定した齋藤一之医師は,佐藤の死因は不明であり溺死であるとは断定できないと鑑定し,その旨当公判廷で証言したが,佐藤の遺体が発見された時点では死因は溺死であると断定していたのであって,その後マスコミ報道などの影響を受けてその意見を変えたものであり,齋藤鑑定は信用できない,③佐藤の臓器からアコニチン系アルカロイドが検出されたとする科捜研の鑑定は資料の同一性についての証明がなされておらず,鑑定の結果にも疑問があるので信用できない上,かりに鑑定結果が信用できるものであるとしても,検出されたアコニチン系アルカロイドはごく微量であり,佐藤が生前に致死量以上のトリカブトを摂取していなかったことを示している,④佐藤の頭髪からトリカブト成分が検出されたとする中原雄二の行った鑑定も,同様に資料の同一性についての証明がなされておらず,鑑定の結果にも疑問があるので信用できない上,仮に鑑定結果が信用できるものであるとしても,被告人らの殺人の実行行為としてのトリカブト投与を裏付けるものではない,などと主張している。そこで,以下検討する。

 

itsuwarinokioku_line

一 プランクトン検査の結果

 

1 証拠によれば,佐藤の臓器について,いわゆるプランクトン検査(臓器中の珪藻類の存否,数等を検査すること)が行われた経過は次のとおりである。

佐藤の遺体については,発見された翌日の平成7年6月15日に,埼玉医科大学法医学教室所属の医師渡辺博司,同齋藤一之に対し,死因等につき鑑定嘱託がなされ,同月17日齋藤の執刀のもとに解剖が行われた。佐藤の遺体が水中死体でことは一見して分かる状況にあったが,齋藤は死因が溺死であるかどうかを判定するについて,プランクトン検査の有用性を認めていなかったため,遺体を解剖し臓器の一部を保存するに当たり,特段の汚染防止手段をとることなく,概ね,心臓,肝臓,腸,脾臓,腎臓,肺の順に臓器を摘出し,摘出した臓器をそれぞれ切開し,肝臓及び肺についてはスライス片にし,腎臓については周囲の皮膜を取り除いた後2枚の薄いスライス片にし,それをさらに薄くスライスしたものを作り,これらを1個の蓋付き容器にまとめて入れ,水道水で希釈したホルマリン液に浸漬して保存の措置をとった。そして,被告人らが逮捕された後の同12年5月19日になって,保存されていた佐藤の臓器のうち,ホルマリン水溶液500CCに浸漬されていた肝臓380グラムが警察に任意提出され,その後同年7月18日に腎臓約26.8グラム(これもホルマリン水溶液に浸漬されていた。)が,同月28日に肺約12.7グラム(ホルマリン水溶液から出された状態のもの)が,それぞれ警察に任意提出された。そして,それぞれの臓器がそのころ科捜研に薬物の存否等についての鑑定を嘱託するのとともに送付され,以後,科捜研で保管されるようになったところ,その後同年8月1日になって,本庄警察署長から科捜研に対し,上記の肝臓,腎臓,肺について,プランクトン検査のための試料調整依頼がなされ,これに基づいて同月9日までに科捜研所属の技術吏員野澤靖典によってその作業が行われた。野澤は,ホルマリン水溶液に浸漬されていた肝臓,腎臓についてはそれぞれホルマリン水溶液に接していたと思われる外表部分を包丁で切り取り,ホルマリン水溶液に直接接していないと思われる部分それぞれ11.42グラム(試料(1)),10.43グラム(試料(2))を取り出し,ガラス容器に入っていた肺については,3塊のうち,そのままの状態のもの1塊(2.27グラム,試料(3)-1),外表部分だけを切り分けたもの(3.24グラム,試料(3)-2),内側部分だけを切り分けたもの(2.39グラム,試料(3)-3),を作り,これらを更に包丁で細かく裁断した上,発煙硝酸及び硫酸を用いて加熱分解するなどして試料を調整した。同日,右各試料中の珪藻類の有無についての鑑定嘱託が日本医科大学歯学部生物学教室所属の南雲保助教授に対してなされ,同助教授は同年9月22日付けで鑑定書を作成した。同鑑定書によれば,南雲が各試料につき,カバーグラス上に滴下するなどしたものを観察した結果,試料(1)については珪藻類は検出できず,試料(2)については試料(3)の1ないし3から検出された珪藻類と同じ種類と思われる珪藻類3種類5個体の存在が認められ,試料(3)-1からはかなり多くの珪藻類16種類の,試料(3)-2からは試料(3)-1から検出されたものと同様の種,組成の多数の珪藻類26種類の,それぞれ存在が認められ,さらに,(2)の試料から検出された珪藻は,試料(3)-1ないし3から検出された珪藻の一部と同一種であることが認められる。また,その後さらに南雲によって行われた鑑定により,試料(3)-3の0.5ミリリットルないし2ミリリットル中から検出されたクノジケイソウの個体数と佐藤の遺体が発見された季節とほぼ同時期に利根川で採取した河川水を調整して作成した資料0.5ミリリットルないし2ミリリットル中から検出されたクノジケイソウの個体数がほぼ同数であることなどからして,佐藤の遺体の肺の中に入っていた水は利根川水系の水と同じものと考えて矛盾はないものとされている。

2 以上の事実に基づき,弁護人は,本件のように腐敗が進行した死体において,死因が溺死かどうかの判断をするについては,プランクトン検査の結果によるのが最良の方法であり,且つ,佐藤の肺と腎臓から利根川水系に特有の珪藻の殻が検出されたことは佐藤の死因が溺死であることを示す決定的証拠であると主張する。

しかしながら,前記のとおり,佐藤の遺体を解剖した齋藤がプランクトン検査の有用性を全く認めていないことからも窺われるように,プランクトン検査が溺死かどうかの判断をする上において決定的,あるいは有効であるかどうか自体がなお法医学会で議論の対象とされているようであり,そのことは,齋藤が当公判廷で披瀝した見解や,弁護人の提出した外国文献(バーナード・ナイト「法医病理学」)において,「溺死の診断における珪藻類の使用ほど議論の対象とされたトピックはない。」と記述され,さらに,デンマークの学者が溺死した死体と溺死でない死体を詳細に調査して,プランクトン検査は溺死判定に全く根拠とならないと結論付けた例が挙げられていることなどからも明らかである(弁護人が挙げるその他のプランクトン検査の有効性を主張する日本語文献は比較的古いものが多く,且つ,特定の学派が主張している見解であることが窺われ,それが法医学会の定説であるとまでは認め難い。)。したがって,プランクトン検査の結果により溺死かどうかの判断をすることができるとする弁護人の主張はそれ自体疑念があるといわなければならない。

その点はさておくとして,プランクトン検査が溺死判断において有効であると主張されているのは,人間が珪藻類を含有する水中で溺れた場合,肺の中に吸引された水に含まれる多くの珪藻類が肺胞壁浸透し,血液循環により,脳,腎臓,肝臓,骨髄などの遠位の器官に運搬されることを前提としており(齋藤はこのメカニズム自体が検証されているわけではないとして疑問を呈しているが,その点はおく。),そのため,プランクトン検査が有効であるためには,組織の適切な標本作成が開始される検死の段階において,技術的に細心の注意が払わなければならず,汚染があってはならないことが指摘されている。すなわち,臓器摘出に当たっては,死体の外部を十分に洗浄して汚れを取り除いた後,きれいなメス等を使って切開等をし,摘出した臓器を洗浄した上,その深部の組織からきれいなメスで取り出して試料を作成することが求められているのである。ところが,前記のとおり,プランクトン検査の有効性を認めていない齋藤は,その証言するところによれば,メス,ハサミ等の器具や,ゴム手袋の上につけて直接臓器に触れることになる軍手は,汚れがひどくなれば水道水で洗うことはするものの,臓器ごと取り替えるというようなことはなく,同一のメス,ハサミ,軍手等を最後まで使用していたというのであり,プランクトン検査のために必要な細心の注意を払った上での摘出保存措置を講じていないことは明らかであるから,摘出保存された臓器に遺体の外表等に存在したプランクトンが付着するなどして汚染された可能性は十分にあったものと考えられる。したがって,前記の前提はこの時点で既に崩壊しているといわなければならない。

3 弁護人は,野澤は,臓器の内側部分だけを摘出して試料を調整しているから,齋藤の行った臓器の摘出保存過程に関係なく,プランクトン検査の対象とされた資料が汚染された可能性はない旨主張するが,前記文献が,摘出保存過程における厳密な汚染防止対策を要求しているのは,資料調整過程においていかに慎重な処理をしても,摘出保存過程において十分な汚染防止対策をとらなければ結果として,試料が汚染される可能性を否定できないからであると考えられる。野澤による試料調整過程だけを問題とすれば足りるとする弁護人の主張は失当というほかない。のみならず,それぞれの臓器について,それまで外表に出ていない部分を取り出してプランクトン検査に適する試料を調整したが,腎臓には窪みがあり,肺,肝臓に比較すると十分な試料調整ができなかったという野澤証言にも照らすと,野澤のした試料調整自体が,その深部の組織から試料を取り出す必要があるとする前記文献の要求する基準を満たしているものとはいい難いものであったと認められる。

4 また,当該珪藻類の殻が血液循環にのって臓器に達したものであるとすれば,一つの臓器だけから検出されて,他の臓器からは検出されないということは通常あり得ない事態と考えられる。現に,弁護人が挙げる文献(弁174号証)によれば,5体の溺死体における珪藻類検出結果において,いすれの溺死体についても,肝臓と腎臓の双方から珪藻類が検出されたとするデータが示されている。しかるに,佐藤の遺体については,肺と腎臓だけから珪藻類が検出され,肝臓からは検出されなかったというのであるから,腎臓から検出された珪藻類は,血液循環によって腎臓にもたらされたものではないとの疑いを十分にもたせるものといってよい。

弁護人は,腎臓から検出された珪藻類の形状が,いずれも肺砲壁を通過しやすい形をしているとして,この珪藻類の殻は汚染されたものではなく血液循環によって腎臓に到達したものである旨主張するが,腎臓から検出された珪藻類の数は肺から検出されたそれと比較して極めて少数であることなどに照らすと,たまたまそのような形状の珪藻類が検出されたにすぎない可能性もあり,血液循環によって腎臓に到達したものと断定することができないことは明白である。

5 以上のとおりであるから,南雲によるプランクトン検査の結果からは佐藤の死因が溺死であると断定できないことは明らかといわざるを得ない。

6 なお,検察官は,死体の状況から佐藤は少なくとも溺死ではないと判断できるとする医師上野正彦の当公判廷における証言と同人作成の「捜査関係事項照会回答書」を援用しており,弁護人はこれが信用できないものである旨主張するので,この点についても若干検討を加えておくこととする。

上野によれば,佐藤が少なくとも溺死ではないと判断する根拠は,①溺死する際いったん川底に沈んで流れたときできるはずの擦過傷がない,②28キロメートルも水中に没して流されている間に硬直が緩解して脱げてしまうはずの着衣が脱げていない,③錐体内に出血,うっ血がない,④胃内容が30ミリリットルと少ない,⑤肺重量が比較的軽く,胸腔内液の量が少ない,という点にあるという。このうち,③については,上野自身,溺死体においてこのような症状が認められるのは約半分にとどまるというのであるから,これをもって溺死か否かの判断要素とすることができないことは弁護人の主張とおりと思われる。また,①②についても,状況によっては傷が生じない場合も,着衣が脱げない場合もあり得ると考えられるから,この点を溺死かどうかの判定に使うことには疑問がある。④⑤は,一応溺死を否定する方向に働く要素であるということができるものの,例外があり得ないものではないと考えられるだけに,これらの事実だけから溺死ではないと判断することは困難というべきである。そうすると,上野鑑定をそのまま採用することはできないといわざるを得ない。

7 以上のとおりであるから,結局遺体解剖の結果及びプランクトン検査の結果によっては,佐藤の死因が溺死であるかどうかの判定は困難ということに帰着するのであり,これだけからでも溺死と判定できるとの弁護人の主張は採用できない。

 

itsuwarinokioku_line

Comments are closed