第15章 「八木の指示」はあったか

松本城での願掛け

  武証言によれば、八木が風邪薬事件を計画することになったそもそものきっかけは、武の誕生日(7月11日)に八木と2人で行った旅行である。武は、こう証言する。

平成10年の私の誕生日のときに、八木さんと私の2人で長野の諏訪湖へ旅行しました。そして、そのときに、松本城へ行きました。そして、その松本城で八木さんから、「前も成功したから、ここで願掛ければ絶対に成功する。成功したら、またお礼参りに連れてきてやるから。」と言われたので、そのことをよく覚えていました。そして、そのときは「ぬのはん」に泊まったのですが、それをよく覚えていて、それから帰ってきたあとに、八木さんからその薬の話をされたという記憶です。(第9回証言調書)

  そして、これも武の証言によれば、この旅行の3、4日後に八木から「体を弱らせるいい薬はねえかな」と持ちかけられたということである(第9回証言調書)。

  武は、法廷では、風邪薬事件の計画のきっかけになった松本城での願掛けのことや「ぬのはん」というホテルに泊まったことなどを「よく覚えて」いたと述べる。本当に「よく覚えて」いたのだろうか?

  武がノートに書いた年表によると「[平成10年7月]11日、私の誕生日に2人で旅行に行く(新潟)か(水上)」と記載がある。そして、「(新潟)か」の文字が横線で消されている。ここには、諏訪湖へ行ったとか松本城に行って願掛けしたなどとは書かれていないし、「ぬのはん」に泊まったとの記載もない。また、武の平成12年5月7日付け検察官調書は、「私は平成10年7月11日に八木さんと一泊旅行をしました。その日が私の誕生日だったのですが、八木さんがプレゼントを用意してなかったというので、急きょお祝い旅行に連れて行ってくれるという話になったのです。」となっている。ここでも「諏訪湖」、「松本城」、「ぬのはん」、「願掛け」の話は登場しない。

  武は、平成10年の誕生日に八木と一緒に諏訪湖に旅行に行き、「ぬのはん」に泊まったことなど覚えていなかったのである。武は、当初、旅行先は新潟か水上という記憶だったが、そのうちの新潟ではなく水上であると目星をつけ、水上の「ホテル聚楽」だと思い、その旨を捜査官に告げたのである。捜査官はこれを受けて裏付け捜査をしたが、該当する宿泊事実はなかった。当然、この捜査結果は武に告げられる。武は、今度は、水上ではなく、「上諏訪温泉」か「下諏訪温泉」であると言い出し、旅行雑誌から4軒のホテルをピックアップした。捜査官が、それら4軒に問い合せた結果、ようやく「ぬのはん」に宿泊していた事実がわかったのである(H12/5/25捜査報告書、第24回証言調書)。

  諏訪湖に旅行に行き、「ぬのはん」に宿泊したという事実は、このような経過をたどって明らかになったにもかかわらず、武は、それを「よく覚えて」いたなどと平然と証言している。武のもともとの記憶は、水上に旅行に行ったというものである。水上に旅行に行っていたのであれば、松本城で願掛けなどできるはずがない。松本城で願掛けをしたことを「よく覚えて」いたなどというのは、全くのでたらめである。武は、平成10年の誕生日の旅行のときに泊まったホテルが「ぬのはん」であると捜査官から聞かされてから、「松本城での願掛け」のストーリーを勝手に作り上げたのである。

  こんな武の証言を信用しろと言っても無理だ。

 

武の父親の入院

  武によると、八木から「体を弱らせるいい薬はねえかな」と言われて、その日のうちに、マミーの仕事をしている最中に、前年の3月に父親がアルコールと鎮痛剤を併用して薬剤性肝炎で入院したことを思い出した;2、3日その話をするかどうか迷ったが、結局その話をした;八木から「マミんちのおやじは何の薬飲んでた」と尋ねられ、「イブとベンザの鼻炎の薬」と答え、これがきっかけとなって、「つかれず」にイブを混ぜたものを川村に与えることになったという(第9回証言調書)。つまり、父親の病気と入院が犯行計画のきっかけになったというのである。

  しかし、この話も捜査の初期からしていたわけではない。平成12年4月25日(取調検事が佐久間検事に替わり、彼女から「このままいったら生きて帰れない」とか「八木を死から救えるのはあなたしかいない」などと繰り返し言われ、風邪薬事件を自白するまさに前日)の日記に、刑事から父親の入院と事件が関係していると言われたことについての感想が書かれている。

  私のお父さんの病気の原因が薬害ということで、川村のことと結びつけるのだろうか。そういえば、昨日、検事もそんなようなことを言っていた。「お父さんもおれが病気にさえならなければよかったんだと言ってる」と検事は言っていた。今日の刑事は、私がお父さんの病気のことを話したことを調書に取りたいと言っていた。私は全々関係ないと思う。

  また、風邪薬事件を自白した後の平成12年5月3日付けの検察官調書の中には、父の入院の話や八木から父親の飲んでいた薬を尋ねられたというエピソードが出てくるが、その話をするのに、2、3日悩んでいたという話はなく、父親の病気が犯行計画のヒントになったという趣旨は語られていない。

  武が父親の病気が計画のヒントだと認めたのは捜査の最も終盤の段階、平成12年12月25日のことである。この日の検察官調書で武は「私は、明確に、父の病気を関さんや川村さんの事件のヒントにしていたのです」と述べている。そして、同じ調書の中で、武は、捜査の終盤になってようやくこの話をしたことについて、「このことを言うと、父が事件に巻き込まれるし、何と言っても、父が『俺が病気になったから、こんな事件になった』と悔やむと思ったので、そのような思いをさせたくないと考えて、このことを隠していました」と説明している。しかし、先に引用したように、武は、すでに4月の段階で、検察官から父親の病気が犯行と関係しているのではないかと言われ、「お父さんも俺が病気にさえならなければよかったんだと言っている」と伝えられているのである。父親のことを心配してこの事実を隠す必要などないのである。となると、武のこの説明は、嘘だということになる。

  武が父親の病気のエピソードを持ち出した本当の理由は、そのことを八木との会話に持ち込むことによって、「つかれず」と「イブA錠」を混ぜたものを川村に与えたことが八木の指示に基づくということをうまく説明できるからである。もし、このエピソードがなければ、イブA錠を選択したのは八木の指示によるのではなく、武自身の判断によるということになってしまうのである。八木に責任を押しつけて、何とかして死刑を免れたいと思っている武が、必死に考えてようやくたどり着いたのが、このエピソードなのだ。

 

「薬局に行ってアセトアミノフェンが入った風邪薬を買ってこい」

  武によると、イブA錠に代えて、新ルル-A錠を使用するようになった経緯は、次のとおりである――イブを与えても2人の様子に変化がなく、八木は「もっといい薬はねえかな」と言っていた;アスピリンの話をしたが、八木は「よくわかんねえ」と言って、その話はそれきりになった;平成10年10月ころ、八木は「アセトアミノフェンてえのが、体に悪いっつうで」と言い、「肝臓が壊死する」などと説明した;そして、八木は私に「アセトアミノフェンが入った風邪薬を買ってこい」と言った;マミーに常備薬としてルルがあったので、薬局に行く前に八木にルルを見せた;サンエスドラッグに行って、「ルル以外の白い錠剤の風邪薬をください」と言ったら、店の人がエスタックイブを出してきたので、それを買った;八木に言うと、八木は「何だ、これはイブプロフェンじゃねえか。ばかか、お前は」と言って怒った;八木は、「ルルがアセトアミノフェンが多いんだよな」と言った;それでルルを使うことになった。(第9回証言調書)。

  この話も変な話である。マミーに「常備薬」として新ルル-A錠があり、2人でそれを見ていながら、新ルル-A錠以外の風邪薬を買おうとしたというのである。「アセトアミノフェンの入った風邪薬」を探している人ならば、自分の身近に風邪薬があれば、当然その容器の成分表などを見るだろう。新ルル-A錠の容器を見れば、その時点で新ルル-A錠にはアセトアミノフェンが入っていることがすぐにわかる。しかし、武の証言にはそのような話はなく、武は、八木の指示で「ルル以外の風邪薬」を買いに行ったのだと言う。そして、アセトアミノフェンの全く入っていないエスタックイブを買って、マミーに戻ると、今度は八木から「ルルはアセトアミノフェンが多いんだよ」などと言われたというのである。そうであるならば、最初から新ルル-A錠を買ってくればいいだけのことである。

  なぜ、武はこんなに不自然なストーリーを証言したのか。ここで、武の捜査段階での供述を検討してみる。

  武は、当初は、エスタックイブを買ってきたなどとは話していなかった。

その後、八木さんが国友商事で、私に「アセトアミノフェンがいいんだよ」と切り出したのです。

***

八木さんは「何にしても、肝臓に悪いっていうことだから、風邪薬の方がええよ。薬局行ったら、風邪薬何種類か買っといてくれ」と言いました。

私は、さっそく薬局に行って、白い錠剤の風邪薬を何個か買った記憶があります。

私は、この事件以前から、風邪薬のルルを愛用しており、マミーの店内にもルルを置いていました。

八木さんは、私が買ってきた風邪薬と私が持っていたルルの説明書を読んで、「ルルがアセトの量が多いんだよな」と独り言を言いました。

このようにして、川村さんにルルを飲ませる方針に切り替えましたが、***

(H12/5/3検察官調書)

  ここでは、武が薬局で白い錠剤の風邪薬を何個か買ってきて、八木がそれらとマミーにおいてあったルルとを比べて、ルルがアセトアミノフェンが一番多く含まれていると判断したと述べられている。アセトアミノフェンが多く含まれている薬を探している者の行動として考えると、少なくとも、前述の公判証言よりは自然なストーリーである。

  ところが、武は、わずか数日後、全く異なる供述をすることになる。

このようなことがあった数日後、八木さんが国友商事で私に「アセトアミノフェンがいいんだよ」と切り出したのです。

***

八木さんは「何にしても、肝臓に悪いっていうことだから、風邪薬の方がええよ。薬局行ったら、風邪薬何種類か買っといてくれ」と言いました。

***

私は、この事件以前から風邪薬のルルを愛用しており、マミーの店内にもルルを常備していました。ルルは白い錠剤でした。だから、私は、「白い錠剤ならルルがあるよ」と言って、マミーの中にあったルルを八木さんに見せました。

八木さんは、ルルを一応見た上で、とにかくほかにも風邪薬を買って来いと言ったので、私は、薬局に行きましたが、鎮痛剤と違って白い錠剤の風邪薬はあまり種類がなく顆粒タイプが多かったような記憶があります。

だから、私は、この時にも風邪薬のエスタックイブを買いました。エスタックイブは白い錠剤だからでした。

私は、買ってきたエスタックイブも八木さんに見せました。

八木さんは、エスタックイブの説明書を見て「これはイブプロフェンだ」と言い、エスタックイブは「却下」となりました。

そして、八木さんは、ルルの説明書を読んで、「ルルがアセトが多い」と独り言を言いました。

***

とにかく、検討した結果、アセトアミノフェンの含有量の多さから川村さんにルルを飲ませる計画に切り替えました。

(H12/5/7検察官調書)

  ここでは、薬局ではエスタックイブしか買ってこなかったという話になる。公判での証言とほぼ同様の内容の供述である。

  武は、なぜ、5月3日の供述のような比較的自然なストーリーを捨てて、公判証言と同様の不自然なストーリーにしがみつくことになったのか。ヒントは、5月7日の供述の中の「私は、薬局に行きましたが、鎮痛剤と違って白い錠剤の風邪薬はあまり種類がなく顆粒タイプが多かったような記憶があります。」という部分にある。

  武は、5月3日から7日までの間に、薬局で売っている白い錠剤の風邪薬の種類が極めて少ないこと(おそらく、エスタックイブしかないこと)に気づいたのである。白い錠剤の風邪薬の種類が極めて少なければ、八木が何種類かの風邪薬を買ってきて、それらとルルを比べて、ルルの方がアセトアミノフェンが多いと判断したという5月3日供述のストーリーが成り立たなくなってしまう。そこで、武は、5月3日供述のストーリーを捨てざるをえなかったのである。

  では、武は、なぜ、薬局で売っている白い錠剤の風邪薬の種類がほとんどないことに気づいたのだろうか。武は、5月5日に警察による取調を受けている。その内容は、風邪薬に関する本13冊を示されて、八木に「よく読んでおけ」と言われた本を選び出すというものである(H12/5/5警察官調書)。その13冊の中には、「薬局で買える薬がわかる本」というタイトルのものも含まれていた。この本を読めば、薬局に置いてある風邪薬の中には、白い錠剤のものは極めて少ないことがわかったはずである。武は、この取調のときに、それを知ったのである。

  このような経緯で、武は、5月3日供述のストーリーを捨てることになる。

  もっとも、この5月3日供述のストーリーを捨てるだけならば、わざわざ、5月7日供述や公判証言のような不自然なストーリーを語る必要はないはずである。それでも、そのような不自然なストーリーを語ったのはなぜか。武は、どうしても死刑だけは免れたかった。そのためには、八木に責任を押しつける必要があった。武にとって一番気がかりだったのは、「凶器」とされた新ルル-A錠がマミーの常備薬として元々武の手元にあったことである。捜査官からこの事実をとらえられて、武が風邪薬事件の主犯的な立場にあると考えられることを強く心配したのである。だから、武としては、新ルル-A錠を「凶器」として選択することについて、八木が主導的な役割を果たしたことを捜査官に強く印象づけたかったのである。そのために、八木が新ルル-A錠と他の薬とを比べて、あえて新ルル-A錠を選択したというストーリーはどうしても捨てることができなかったのである。その結果として、5月7日供述や公判証言のような不自然なストーリーを語らざるをえなくなったのである。

 

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