第14章 武は森田と川村に風邪薬をあげていたか


マミーとマジェスタの捜索の怪


 

警察は平成11年5月30日と31日の2日間にわたり、武が経営するマミー店内を捜索し、同店内から「アニマリンL」と「つかれず」の容器に入った白色錠剤を発見した。また同月31日、武が使用していたマジェスタの車内から「つかれず」の容器に入った白色錠剤が発見されたという。そして科捜研の鑑定の結果、マミー店内から発見された「アニマリンL」の容器に入った錠剤はプレコール持続性錠であり、「つかれず」の容器に入った錠剤は新ルル-A錠であること、またマジェスタから発見された「つかれず」の容器に入っていた錠剤のうち、小粒のものが新ルル-A錠で、大粒のものがプレコール持続性錠であったとされている。

しかし、5月30日の捜索で、武は捜索開始から10分くらいで自宅の捜索に立ち会うためマミーを離れ、この日は再びマミーに戻らなかった。そして、白色錠剤が発見されたのは武がマミーを離れている間である。警察は5月30日未明に川村を保護した段階で既に、川村から「マミーで武に薬を飲まされた」という供述を得ており(H11/5/30捜査報告書)、彼らはマミー店内で薬物を発見することを当然目指していた。そこで警察が武をマミーから意図的に排除し、武のいない間に風邪薬をマミー店内に持ち込み、店内で発見しことを偽装したという可能性はないだろうか。

たとえば、武は、ボンエナCaの容器にナロンエースを入れて、それを「栄養剤」と偽って川村に飲ませていたと証言したが、その残りは「5、6錠とか7、8錠」だったのに、警察からマミーで発見されたとして見せられたボンエナの容器には60錠くらいのナロンエースが入っていたので、警察に「そんなに入っているわけはない」と言ったことがあると証言している(武第10回証言調書)。

さいたま地裁判決は、消防士を立会人としているから捜索手続に問題がない言う。しかし、マミーの経営者でもなく、武の親戚でもない、何の利害関係もない消防士が警察から頼まれて、たった1人で立ち会ったとして、何の意味があるのだろうか。いずれにしても、何人もの警察官の行動を1人で全て監視できるはずがない。それだけでなく、5月30日の捜索終了時から5月31日の捜索再開時までの間、マミーの鍵を持っている警察はマミーに自由に出入りできたのである。証拠の作出、すり替えを行うことはいくらでもできる状態だった。

ところで、公判にいたって検察官は、警察がマミーで発見したという錠剤を証拠として請求した。証拠物を証拠請求する際には、その押収の経過を示す証拠として「領置調書」という書類も同時に提出されるのが慣例である。領置調書には警察が証拠物を押収した年月日や証拠物の特徴が記載されるほか、領置番号という通し番号が記入され、それと同じ番号が証拠物自体にも記入される。これによって、書類上のことに過ぎないとはいえ、その品物が確かにその日に警察が押収したものであることが示されるという訳である。

この事件では不思議なことが起こった。公判が始まる前に検察官がわれわれに開示してきた証拠書類のなかに、このマミーで押収された錠剤の領置調書も含まれていた。が、そこには領置番号の記入がなく、そこは空欄になっていた。武の証人尋問が始まった後に検察官は証拠物として例の錠剤を証拠請求してきたが、その際に、領置調書がもう一度開示された。不思議なことに、その領置調書には領置番号がきちんと記入され、証拠品に付された番号と一致していた。

われわれは、法廷でこの点を指摘して、検察官に、この領置番号は何時、誰が、どのような手続で記入したのかを明らかにするように釈明を求めた。検事は、釈明を拒否した。裁判官は、われわれの求めを拒否して、それ以上検察官を追及することもなく、この錠剤を証拠として採用してしまった。

少なくとも、平成11年5月末に押収されたという錠剤はかなり長い間領置番号が記入されないまま放置されていたことが明らかである。誰かが、たくさんある証拠品と領置調書の束を並べて、その中から適切なペアを見つけ出して、同じ番号を付けていったのに違いない。その作業を行なったのは誰だろうか。その人は、どのような基準に基づいてペアを認識したのだろうか。このプロセスを検証しないままに、法廷に提出された錠剤が確かにその領置調書に表示されたものであること、そして、平成11年5月末マミーで発見されたものであることとを、確信をもって言うことができるだろうか。

さいたま地裁判決は、「押収した証拠物についてその場で直ちに領置番号が記入されず、それから8か月以上経過した後になって記入されるなどの不適切な処理がなされているの点はあるものの、捜査官によって証拠の作出やすり替えが行われた形跡は特段認められない」という。裁判官がここまで捜査官を信頼しているならば、最初から領置番号などという制度を作る意味はないだろう。警察がなんの特徴もない錠剤を示して「これがマミーで私が見つけた錠剤に間違いありません」と言えば、裁判官はそれを信用して「証拠の作出やすり替えが行われた形跡は特段認められない」から間違いないと判断してくれるのだから。

マジェスタの捜索はもっと奇妙である。マジェスタはマミーの捜索が行われた平成11年5月30日に武の自宅から警察に持って行かれ、翌5月31日に本庄警察でその捜索が行われた。そのとき武は本庄警察で取調べを受けており(武第14回証言調書)、捜索には例によって消防士が立ち会った。1台の自動車を捜索するのに、実に7名の警察官が関わっている。

マジェスタの運転席のドアポケットからタブレット式の錠剤が発見され、コンソールボックスから「つかれず」のプラスチック瓶に入った錠剤が発見されたという(中山第65回証言調書)。ところが、そのときの捜索の様子を記録した平成11年6月7日付写真撮影報告書を見ると、運転席のドアポケットが写った写真のうち、4番の写真にはタブレット式の錠剤は写っていないのに、その後に撮影された8番の写真にはそれが写っていた。つまり、最初にはなかったタブレット式錠剤が突如ドアポケットに現れたのである。

押収品目録によると、マジェスタのコンソールボックスから発見されたという「つかれず」のプラスチック瓶に入った白色錠剤の数は30錠とされている。そして、警察は6月18日に、その白色錠剤のうち大粒5錠と小粒5錠を容器から取り出して、「鑑定資料として鑑定することとした」(H11/6/22写真撮影報告書)。ところが、である。その翌日に本庄警察で取調べを受けた川村は、このプラスチック瓶入り錠剤を捜査官から示され、「今瓶の中の大小の薬の粒を警察官に出して数えていただきましたところ、大粒の白い薬6錠、小粒の白い薬24錠が入っていました。」と言っている(川村H11/6/19警察官調書)。つまり、既に警察が鑑定のために瓶から大小各5錠を取り出した後であるにもかかわらず、警察官が川村の目の前で数えた錠剤の数は、5月31日の発見時と同じ30錠だったというのである。これは、どこかの過程でマジェスタから発見した物とは異なる錠剤が混入していることを意味する。

われわれは、この問題について公判中から指摘していた。しかし、さいたま地裁判決は、この錠数の疑問については一言も触れていない。消防士立会いのもとにマジェスタの捜索が行われたから証拠物の同一性に問題はないと言うのだ。

われわれは、マミーやマジェスタから押収されたという薬物については、その捜索過程とその後の保管状況に不審な点があまりにも多すぎると考えている。その疑問をそのままにして、八木に死刑判決を言渡す裁判官の法律家としての感性を疑う。

 

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