第9章 情況証拠

3 家出人捜索願

 

アナリエは平成7年6月5日午後3時ころ本庄警察署に佐藤修一の家出人捜索願を行ない、佐藤から送られてきた手紙と写真1枚を提出した。同署生活安全課の富田典利は、捜索願を受理し、アナリエから聞き取った内容を家出人捜索願受理票に記載した。この家出人捜索願受理票によると、アナリエは、家出の「年月日」として、「平成7年6月3日午後」と述べ、さらに、家出当時の佐藤の着衣は「黒色ポロシャツ」に「灰色ズボン」であったと述べている。そして、家出の概要について、彼女は次のように説明した:

届出人[アナリエ]が午後5時ころお店(スナック)に出勤し、翌午前3時ころ帰宅してみると置手紙もなく、いなくなっていた。今日(6月5日)妻あてに手紙(別紙写し)が届き、警察に捜索願を届け出た。

 

富田は「私は、届出人から聞いた内容を正確にこの受理票に記載しており、推測を交えて書いたりはしていません」と述べている(富田H12/6/8検察官調書)。すなわち、アナリエは、平成7年6月5日、本庄警察に対して、

①佐藤は同月3日午後から行方不明であり、彼女が同日午後5時に出勤し、翌日午前3時に帰宅したときにはいなくなっていた、
②当時の服装は黒色ポロシャツに灰色のズボンだった

と申告していたのである。

この捜索願の内容が、武やアナリエが証言する犯行の状況と全く矛盾していることは明白である。

彼女らの証言は、殺害した佐藤修一の体に革ジャンパー、黒いズボン、セーター、そして、中敷を間に挟んだ片足2枚ずつの靴下を着せたというものである。そして、彼女らの証言によれば、5月下旬の永山荘での打ち合わせでも(武第5回証言調書)、6月1日別荘での謀議でも(武第6回証言調書、考子第29回証言調書、アナリエ第38回証言調書)、警察に捜索願を出す際ときには「6月3日の午後3時にアナリエが買物から帰ってきたら佐藤さんはいなかった」ことにするということを八木は彼女らに繰り返し指示したというのである。そのために、昼間にニチイで買い物をしたらそのレシートを取っておけとか、アナリエは3時以降ディナーショーに出発するまで渡辺荘から出てはいけないという指示までされていたというのである。別荘で八木は、計画を確実に行うために「アンナが帰ったら3時、3時には佐藤さんがいなかった」とアナリエにみんなの前で復唱させていたという(武第6回証言調書) 。

そしてさらに、佐藤を殺害した翌日にも、レオ店内で八木は、「アンナが出かけて帰ってきたら3時、3時に佐藤さんがいなかったと警察に言え」、「ちゃんと忘れずに言うんだぞ」としつこく念を押していたという(武第7回証言調書) 。そして、警察に捜索願を出しに行く直前にも、八木はアナリエと考子を自宅に呼び出し、アナリエに向かって、警察から質問されたら「佐藤さんはいつ家を出たのか、そして出たときの服装」などをちゃんと答えるように念を押し(アナリエ第40回証言調書)、ここでも「昼間友人と一緒にお買い物に行って、いったん家に戻ってきたら、佐藤さんは部屋にいなかった。で、時間があまりなかったので、そのままディナーショーへ行きました。で、ディナーショーの後、仕事の方へ行ったので、帰ったときには遅い時間で、***佐藤さんはまだいなかった」と言うように指示を与えたというのである(同前)。

彼女らの証言が本当だとすれば、実に念入りに、むしろ、執拗に、佐藤の家出の時刻とその状況についての口裏合わせが行われたことになる。これほど繰り返し教え込まれたら幼稚園の生徒でも決して間違えることはないであろう。

実際にアナリエが6月5日に捜索願を出したときの申告内容は先に見たとおりである。再三再四にわたってしつこく教え込まれていたはずの内容と全く異なることを、アナリエは警察に申告したのである。この事実は、佐藤修一の死体に革ジャンやセーター、黒いズボンなどを着せたという話も、「昼間買い物に行って午後3時に帰宅したら佐藤はいなかったことにする」という謀議も実際には存在しなかったことを示している。

3人の検察側証人はこの決定的な矛盾をそれぞれの仕方で説明した。アナリエは、「[打ち合わせの内容は]よく覚えていたんですが、間違って答えました。で、ターちゃんは一緒にいたので、間違ったときに助けてくれると思っていたのです」などと弁解した(第40回証言調書)。
服装については、「ワイシャツ」というつもりで「ポロシャツ」と言ってしまった;佐藤はいつもグレーのズボンをはいていたので、その印象が残っていてそう答えてしまった、などと説明している(同前)。このような説明で納得できる人はいないだろう。そもそもアナリエの証言によれば、彼女はワイシャツを着せることに失敗しているのである。しかも、そのワイシャツの色は白色だったと言うのである(アナリエ第50回証言調書)。どこをどう間違っても「黒色ポロシャツ」などという言葉が口をついて出るわけはない。ズボンがいつも佐藤がはいているグレーではなく、黒色であるならば、なおさら黒の印象が残るだろう。いつもグレーだったというのは、黒と言い間違える理由にはなりえない。一番外側に着ていたはずの「セーター」のことを警察に言わなかった理由については、アナリエは弁解することすら放棄している。

アナリエに付き添って本庄警察まで行ったという考子の証言によると、「グレーのズボン」はアナリエが答えた;上着については、アナリエが「3つボタン」と言葉と動作で示したので、自分が「ポロシャツ」と言ったら「そう」と言ったので、「ポロシャツ」ということになったというのである(考子第29回証言調書)。考子は渡辺荘の「着せ替え」の場に居ないから、服装を間違えて誘導してしまった、だから、捜索願と食い違いが生じたのだという説明を検察側は彼女にさせようとしたのである 。

しかし、この説明は完全に破綻している。まず、アナリエが「3つボタン」と言う理由がない。彼女らの証言によれば、上着はセーターと革ジャンであり、ボタンのついている服装はどこにも登場しない。そして、「ポロシャツ」の色である「黒」の起原はどこにあるのだろうか。さらに、考子は、捜索願を出しに行く前に八木がアナリエに説明した内容を聞いていたと言い、警察でアナリエが説明した内容と対比して「服装と、それから時間が違っていた」ことが分かったとまで証言した(考子第29回証言調書)。服装を知らない考子が誘導したから間違ってしまったという検察のもくろみは簡単に崩れてしまったのである。いずれにしても、「頭が混乱していて」「白いワイシャツ」と言うつもりで「黒いポロシャツ」と言ってしまったというアナリエの説明 と、考子の証言は全く食い違っている。

アナリエは、八木に指示されたという「買い物に出かけて午後3時に帰ってきたら佐藤さんはいなかった」という届け出をなぜしなかったのか、については「混乱していた」という以外に何の説明もしなかった。彼女は、6月1日別荘で八木の指示を受けたときに、「友達と買い物してアパートに戻ってきたら、佐藤さんがいない」と話せといわれたが、「その後、仕事からアパートに1回戻ってきたら、佐藤さんがいないことを言いなさいというような指示もあったので、私もどっちを言うのか分からなくなってしまったときがありました」(第38回証言調書) とか、この別荘での八木の説明はよく理解できない部分もあったが、考子がついていて警察に詳しい話をするのは考子だと思っていたので、心配はしてなかった(同前)などとも証言している。しかし、肝心の考子は、6月1日の別荘での話し合いでそのような役割が自分に割り当てられたということを全く証言していない 。もし考子がアナリエに代わって説明する役割だったのであれば、警察に捜索願を出しにいったときに、考子とアナリエの間で何らかの話があってしかるべきであるし、捜索願を受理した富田もそのことを記録するであろう。

アナリエは、警察で質問に答えたときに、その場ですぐに「間違い」に気付いたという。けれども、訂正することもなく、そのまま警察を出たという。そして、心の中で考子が訂正してくれることを期待したともいう。けれども、アナリエは、実際に考子にそうして欲しいとすら言っていない(第40回証言調書)と。

アナリエの証言によれば、考子は、警察署でアナリエを助けて発言の訂正をするどころか、八木に、アナリエが間違った説明をしたと「告げ口」をした;そのために、アナリエは八木から怒られたというのである(アナリエ第40回証言調書)。考子はこれと全然違う証言をしている――捜索願を出し終わって八木宅に戻ると、八木は「何か疑われたか」と尋ねた;私が「ううん、何も」と答えると、八木は「警察はな、事件が起きなけりゃ動かねえからな」とだけ言った;話した内容が違うということで怒られた記憶はない;アナリエが何か怒られていたがその中身は分からない、と(第29回・第35回証言調書)。考子が告げ口したのだとすれば、彼女がアナリエの怒られる理由を分からないということはありえないだろう。そして、考子が告げ口しなければ、アナリエは「警察に間違ったことを言った」ということを八木が知る由もないから、彼女が八木からそのことで怒られる理由がない。武は、警察から戻ってきたアナリエと考子に対して八木が「何で、おれの言ったとおりに言わなかったんだ」と言って怒っていたと言う(武第7回証言調書)。しかし、アナリエが何について怒られているのかは覚えていないと証言した(同前)。

アナリエによると、八木は、同じ日に渡辺荘に来て、もう一度彼女を叱りつけ「なんでちゃんと頭に入れないの、おれのいうこと」と言ったという(アナリエ第40回証言調書)。しかし、この証言もその後の彼女の言動と矛盾している。アナリエは、その10日後にまた捜索願のときと同じ話を警察にしたのだ。平成7年6月15日に行田警察から佐藤に似た人の死体が発見されたとの連絡が入り、翌16日警察官が渡辺荘を訪れた 。警察官はアナリエから事情聴取した。彼は「佐藤さんがいなくなったのは何時ですか」と尋ねた。これに対する彼女の答えはこうである。

夫の修一さんは、6月3日午後5時ごろ、私が友達5人と一緒に上里町のサンパレスでディナーショーを見に行っている間に、家を留守にして家へ帰ってこなくなりました。私はディナーショーが終わって、そのままお店に行き、翌4日の午前4時30分ごろ帰宅したら、玄関の鍵が開いていて、修一さんは家にはいませんでした(アナリエH7/6/16警察官調書)。

 

アナリエは、このとき八木の指示どおりに話さなかったのは「話を変えると、よけい疑われるんじゃないかなと心配」だったから、八木に内緒でそれまでと同じ話をしたと説明した(第41回証言調書)。この段階でアナリエが警察から「疑われる」という情況はどこにもなかった。八木を恐れ八木の指示に忠実に従ってきたという彼女が、このときに限って八木の命令に意識的に逆らうというのも、不自然である。

また、アナリエは「話を変えると疑われる」と思ったと言うのであるが、彼女は、実際のところ、このときには、佐藤の服装について、6月5日の説明とは異なる話をしている。アナリエは、このとき、警察官から佐藤のブリーフと革ジャン、ズボン、それに靴下を示されて「ブリーフは、修一さんがはいていたもので、新しいものではありません」「黒色の襟なしの革製ジャンパーは、私と結婚する前から持っていたもので、修一さんが一番好きでよく着ていたものです」「茶色の靴下についても新しいものではありません。よく私が洗濯してやっていたものです。そのほかズボンとか、靴の下敷きなどを見せてもらいましたが、見覚えのあるもので、修一さんのものに間違いがないと思います」と答えているのである(アナリエH7/6/16警察官調書)。

アナリエが、6月16日に服装に関する話を変えた理由は単純である。捜索願を出したときには、佐藤の服装を知らなかったので、想像で「グレーのズボンと黒のポロシャツ」と答えたが、実際に佐藤が着ていた革ジャン、ズボン、靴下そしてブリーフを見せられたので「修一さんのものに間違いありません」と答えることができた。警察官はセーターを持参しなかった。だから、アナリエはそれを語ることができなかった。そういうことである。

その20日後の7月7日に、八木、武、アナリエの3人は、本庄郵便局に保険金請求の手続をしに行った。八木は郵便局で武に向って「今から言うことを書け」と命じ、彼女に口述筆記させた。そして、その文書を郵便局に提出した。そこにはこう書かれている――「[佐藤は]6月3日午後5時すぎから自宅を出たままでいたところ、6月5日に自宅に修一から遺書が届いたので、すぐに本庄警察署に捜索願いを出した」と。

そのさらに17日後の7月24日、郵政省の支払調査官今井馨子がアナリエのもとを訪れている。アナリエは今井調査官を八木宅に案内し、今井は八木から佐藤の死の前後の状況等を聴取している。今井の調査報告書によれば、八木は彼女にこう語った――「[佐藤が]いなくなった日に、奥さんと奥さんのつとめ先の社長[八木茂]達と一緒にサンパレス・ディナーショーに行っている時にいなくなった」と。

いずれの文書にも「友達と買い物に行って午後3時に帰宅したら、佐藤さんはいなかった」などとは全く書かれていない。そしていずれの文書も、6月5日の捜索願の際のアナリエの説明――「午後5時頃に妻が外出し、その後帰宅するまでにいなくなっていた」――と一致する。アナリエは八木の指示に背いたのではない。八木もアナリエも、彼女が午後5時に自宅を出てその後帰宅した際に佐藤の不在に気付いたのだ。これと同じことを警察に繰り返し話したアナリエらを八木が叱るはずはない。要するに、「友達と買い物に行って午後3時に帰ったら佐藤さんはいなかったことにする」という謀議など最初からなかったのである。

まだ続きがある。それから5年半後、アナリエは佐藤修一に対する殺人の容疑について警察から追及を受けた。そのさなかの平成12年11月6日、アナリエはこう述べた――「買い物から帰った後、佐藤さんはテレビを見ていて、[私が]夕食の支度をして出かけた後いなくなった」(アナリエH12/11/6上申書)。その後アナリエは、この話を、八木からそういうように指示されたのだと説明するようになった(H11/11/18警察官調書、H12/11/20検察官調書)。

ところで、アナリエや八木らが再三再四にわたって「午後5時に外出して帰ったら佐藤はいなかった」と警察官や郵便局の職員らに語っているという事実は、ディナーショーに出発するためにレオに集合した時刻が午後5時であることを裏付ける 。実際に午後6時に出発したならば警察に対しても郵便局の職員に対しても午後6時と申告するはずである。1時間遡らせる理由は全くない。そして、午後5時に家を出て、レオに集合して、上里町のサンパレスに向えば、ショーの開演に間に合う。八木の一行がショーに遅れたことはなかったという茂木佐喜子の証言とピッタリと一致する。そしてさらに、午後5時に出発するためには武は午後4時までに武は永山荘に戻っていなければならず、彼女が渡辺荘にいる時間は1時間足らずしかなくなる。それでは「トリカブト殺人」はほとんど不可能である。

要するに、武やアナリエが佐藤の死体に革ジャンやセーターを着せたという出来事は存在しなかった。そして、6月1日別荘謀議などというものも存在しなかった。平成7年6月5日の家出人捜索願受理票の記載とその前後の彼らの言動は、そのことを雄弁に物語っている。

 

itsuwarinokioku_line

Comments are closed