第7章 アナリエ・サトウの証言

 

明らかな偽証

 

アナリエは、渡辺荘で武が佐藤に食べさせたパンについて、記憶がないから絵を描くことは出来ないと証言したが、平成12年12月6日の警察官による取調べ時には、はっきりと描いている。

図7-1 アナリエが書いたパンの絵

図7-1 アナリエが書いたパンの絵

 

 

ナリエは、その矛盾を取り繕おうと、こう答えた:

先ほどの質問は、マミの手にあったパンを書きなさいと言われていたので、それは書けないと言いました。今見せられた私が書いたパンの絵はこれはまだテーブルの上に置いてあったパンの絵です。

 

しかし、パンがテーブルの上にあったなどということは法廷で初めて供述したことであり、結局、パンがテーブルの上にあったことはないと法廷で認めた。要するに、アナリエは、記憶にないことであっても、警察官に言われれば、絵にも描いてしまう人物であり、不都合な供述を指摘されるとどのようにでも供述を変更させる人物なのである。

 

もう一つ明確な偽証が法廷で明らかになっている。われわれは、風邪薬事件の起訴終了後、渡辺荘事件にもとづく逮捕までの間、アナリエに対してどのような取調べがあったかを明らかにしようと努めた。

ところが、この5月30日から上申書がある11月6日までの約5か月間、アナリエに対する取調べ状況、アナリエの供述内容を示す証拠は、検察官が開示したもののなかに存在しなかった。この期間のことを、われわれは空白の5か月と呼んだ。われわれは、第1回期日前の進行協議の時からずっと、アナリエら3名の全期間の留置人出し入れ簿の開示を求めた。しかし、検察官は開示を拒否し、裁判所も当初は消極的であった。そして、検察官は、取調べはなかったはずだと釈明した。

アナリエに対する反対尋問の中で、われわれは彼女にこの5か月間何をして過ごしたのかと尋ねた。アナリエは、反対尋問の初日、空白の5か月には佐藤に関する取調べはなかったと断言した。すなわち、アナリエは、道交法違反の罰金を払うか払わないかと星検事に聞かれたことがあったほか取調べはなかったと証言し、朝起きて夜寝るまでずっと熊谷警察署の房の中にいたのかという問いに、はいと答えた。

取調べはなかったはずだとの検察官の釈明に不審を感じた裁判所は、検察官に対し再調査をすすめた。すると、検察官は、翌日の裁判の冒頭で、調査の結果警察官による取調べが行われていたことが「判明した」と釈明内容を変更し、さらにその翌日、報告書を提出した。

この報告書によれば、アナリエは、日数にして19日間の警察官による取調べを受けており、その取調べは、朝は午前9時30分前後から終了は午後4時ないし6時といった時間帯に行われている。つまり、少なくとも19回の取調べを受けていたということだ.

ただし、検察官が提出したのは、われわれが再三求めた留置人出し入れ簿ではなく、検察官作成の報告書である。この報告書の記載以上に取調べがなかったことの保証はない。

アナリエは、「取調べは大抵毎日のように行われていたので、ある時期、2か月間ぐらい房から1度も出たことはなかったので、それを長く感じてて、それが頭に浮かんで受けてないというような答えをしたのです。」「その時期が5月から9月にたまたま入ってたので、私の勘違いだったのです。」と弁解した。

しかし、これだけの長期間にわたり、回数も19回と決して少なくなく、ほとんどが終日の取調べなのだから、検察官による道交法違反の取調べ以外一度も取調べがなくずっと房の中で過ごしたという証言は、単なる記憶違いで済ますことができるものではない。また、2か月取調べがなかったということを5か月取調べがなかったことと勘違いするという説明は、荒唐無稽というほかない。

明確な偽証である。

アナリエはなぜ、ずっと房から出なかったなどと、裁判所が調べればすぐに分かってしまうような偽証をしたのか。

それは、この時期に取調べがなかったはずだと釈明する検察官の態度から、あったことを隠したいという検察官の意図を汲み取っていたからだろう。佐藤にパンを食べさせて殺害したことを忘れていたというアナリエの話を思い出して欲しい。アナリエは、すでに風邪薬事件の取調べを受けている5月のころから、正直に話をしますと繰り返していた。佐藤殺害の供述が11月16日まで現れないのに、その前に佐藤事件に関する取調べが何度も何度も行われていれば、佐藤殺害についての供述開始が遅いことが目立ってしまう。取調べがなかったことにした方が、不自然さは目立たないことになると考えたのではないか。

 

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