第7章 アナリエ・サトウの証言

 

不合理な変遷―佐藤はいついなくなったことにするかの指示

 

アナリエの証言は、もともと佐藤は自殺したと供述していたのに、渡辺荘での殺害になっているのであるから、それ自体大きな変遷をしているのであるが、渡辺荘事件のストーリーを語るようになってからも、その中の出来事に多くの変遷を来している。われわれは、佐藤事件だけで27項目の変遷の指摘をしたが、これについての合理的な説明は尽くされていない。さいたま地裁は、われわれの指摘した変遷の一部にのみ言及したにとどまる。さいたま地裁が、われわれの指摘を排斥するためにつけた理屈は、この程度のものだ。ひとつだけ紹介しよう。

6月1日、別荘での謀議は、検察官のストーリーでは、佐藤を殺害して保険金を取得するための話し合いであり、武が煙草を吸うために席を外そうとすると八木が怒るほどの緊迫したムードだったはずである。ところが、アナリエの証言では、この別荘謀議の際、佐藤がいついなくなったことにするかという八木からの指示について、供述が変遷している。すなわち、法廷では、アナリエが買い物から帰った時にいなくなったことにするという指示だったと証言した。しかし、平成12年11月の取調べ当時は、ディナーショーに行っている時にいなくなったこととする指示であったと供述している。さらにその後、12月の取調べでは、何か教えてくれたことを覚えているが、内容が余りよく理解できなかったということになっている。

このように、証言の重要部分で供述が変遷するのは、別荘での謀議など存在しなかったことを示しているとみるべきだ。そこで、われわれは、この変遷を証言の信用性を否定すべき根拠であると弁論した。

ところがさいたま地裁は、アナリエの日本語能力が低いので、別荘での指示が理解できなかったためだ、と片づけてしまった。しかし、佐藤がディナーショーに行っている時にいなくなったというのは、特別難しい話ではない。平成7年当時のアナリエの日本語能力が、低かったなどという証拠はない。アナリエの日本語能力が低かったというのは、裁判官の空想である。もちろんアナリエはネイティブの日本語使用者ではないが、フィリピンの大学で秘書コースを終了し、昭和60年ころに初めて来日した。本件謀議が行なわれたとされる平成7年から数えて10年前のことである。そして、アナリエは、日本でダンサー・ホステスとして働き、興業ビザが切れると帰国し、すぐに来日を繰返している。アナリエの日本語能力に、平成7年当時日常的な会話の範囲で問題があったとは考えられない。裁判官の空想は事実を離れて飛躍している。

 

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