第6章 森田考子の証言

 

3 考子証言のおかしさ

 

考子の証言には、実際に体験した出来事を語っているとは思えない不合理な点が多々ある。われわれは最終弁論のなかでそのうちのいくつかを指摘した。さいたま地裁判決はそのほとんどを黙殺し、いくつかについて短い反論を述べただけである。

 

「バサン、バサン」

 

考子は、渡辺荘で佐藤修一の死体を目撃したときのありさまをこう描写した――佐藤は布団の上に仰向けに寝かされ、掛け布団の下から素足の足首から先が出ていた;八木は死体の右側に立ち、靴を履いたままの足で死体の横腹辺りを揺すった;すると、布団から出ている足先が「バサンバサン」と音を立てながら左右に揺れた。彼女は、検事の主尋問では証言台のうえに両手をまっすぐ伸ばし、手のひらを足先に見立てて、腕を軸にしてそれを同時に左右に旋回させた。号泣しながら、「バサン、バサン」という音を忘れることはできず、今でも怖いと言った(第29回公判証言)。われわれの反対尋問でも涙ぐみながらそう証言し、人形の足を並べで足先を左右に旋回させた(第33回公判証言)。

しかし、考子が法廷で証言し演じた出来事は法医学的にはありえないことである。

渡辺荘事件が実在していたとすると、佐藤が死亡したのは午後3時過ぎころと推定され、考子が渡辺荘に到着した時刻は午後10時半から11時ころだったと言うのであるから、考子が佐藤の死体を見たときには死後7時間半から8時間が経過していたことになる。死体硬直は死後6~8時間程度で全身の諸関節に広がるので、考子が佐藤の死体を見たときは既に全身に硬直が広がっていたことになる。

日本医科大学法医学教室の大野曜吉教授によれば、硬直状態にある死体の場合、当然、股関節周囲の筋肉も硬直状態にあり、その腹部を揺すった程度の力で股関節の硬直が緩むことはありえず、股関節が大腿骨の長軸を中心として回転することはありえない(大野H14/2/28回答書)。

さいたま地裁判決はこの問題を次のように述べてやり過ごしている。

森田証言にいう「横腹の辺り」というのは,布団の上から見た大体の位置を述べたものにすぎず,文字どおりの「腹」とは限らないのであって,腰や大腿部を含むやや広い範囲を想定すべきである。そして,前記大野回答書によれば,腰部や大腿部を揺すった場合には足先が動くことは当然あり得ると認められるから,森田証言が法医学的にみて不可能とまではいえないと考えられる。

 

自分の体を見ればすぐに分かるように人間の「横腹」と「腰」と「大腿部」とは全然別の部位である。考子は、掛け布団をかけているとはいえ、佐藤の頭と足首の位置を確認していたのであるから、横腹の位置を見誤るということは考えられない。そのうえさらに、彼女の証言によれば、彼女はこのときに布団がめくれ上がり、ブリーフ1枚しか履いていない佐藤の裸体の右太腿から右脇の下にかけての部分を見ることができたと言っているのである(第29回公判証言)。そうであれば八木が足を乗せた部分が腰や大腿部であるのに、それを横腹辺りと見間違うことなどまずないだろう。

次に、さいたま地裁判決は大野教授が「腰部や大腿部を揺すった場合には足先が動くことは当然あり得ると認められる」と言っているなどと言うのであるが、大野はそんなことを全然言っていない。彼の回答書の記載はこうである――「なお、ある程度硬直が弱い場合に大腿部を揺すれば、そのような運動は比較的容易に起こりえよう」(強調は引用者)。

大野は「腰」を揺すっただけで股関節の硬直が解けるなどとは一言も述べていない。判決は大野の意見を勝手に書き換えて「腰部」を揺すっただけで股関節の硬直が解けて足先が左右に旋回することがありえるなどとしてしまったのである。

足先が左右に旋回するということは、要するに大腿部が長軸方向を軸として回転するような力が働いて硬直が解けた状態になったということである。腹や腰を押してそのような外力が加わることはありえない[1]。大野が言うように、硬直が弱い段階で大腿部を揺すればそれはありえるだろう。しかし、渡辺荘事件の実在を仮定すれば、考子がこの場面を目撃した段階で死後7時間半以上経過していたことになり、かつ、佐藤は死戦期に筋収縮を伴う痙攣発作があったのであるから、硬直は通常の場合よりも強度であり、この段階で最高度に達していた可能性が高い。そうであるとすれば、むしろ、仮に大腿部を押したとしても足先が旋回することはなかったというべきなのである。

 

考子が死体目撃の話をしたのは逮捕から5ヶ月たった平成12年8月28日である。八木が佐藤の腹を土足で揺すったという話が出てくるのはその2日後である(H12/8/30上申書)。しかし、足先が左右に揺れたなどという話は出てこない。その後もたびたび死体目撃の調書が作成されたが、このエピソードは登場しない(H12/9/15警察官調書、H12/10/21警察官調書)。このエピソードが登場するのは10月22日である(H12/10/22検察官調書)。死体目撃の情況を語りながら、この部分だけを伏せておく理由はまったくない。忘れられないほど強烈な印象を残した体験であるならば、真っ先にこの話が語られなければならない。このエピソードが10月21日の調書に登場せず、その翌日の調書に初めて登場するということは、要するに、10月22日まで考子がこの話を記憶にとどめていなかったことを証明しているのである。

 

[1]われわれは、1審判決後に大野教授に判決文の問題の個所を読んでもらい、改めて判決が誤りであることを確認した。

 

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