第6章 森田考子の証言

 

2 記憶の欠落

 

何故に森田考子の渡辺荘事件の供述は完成までにこれほどの時間がかかったのか?彼女は意図的に嘘をついていたのか。それとも、事件の記憶自体を失っていたのか。彼女は事件の記憶をもっていなかった。そのことは明白であるとわれわれ考える。

考子は、法廷において、様々な表現で、繰り返し、取調べのある時期まで渡辺荘事件の記憶、とりわけ佐藤修一の死体を目撃した記憶がなかったことを述べている。

[平成12年6月~7月当時]はっきり言って,3日間ぐらい刑事さんと婦警さんがいましたけど,何もしゃべらないで3日間過ごしたこともありますし,とにかく,思い出すまで時間をかけてもらっていました(第32回公判証言)。

[同じころ]ものすごく,私,一つ一つ,本当にガラスのかけらを川に投げたのを拾うようなかたちで,一つ一つ思い出してきたんですよ。時間をかけて(同前)。

[同年6月半ばころ]自分の記憶で,刑事さんから,ずっと自殺だという話をしていたんです。***それで,自分の中でも,そういったときに,「佐藤さんが何を飲んでいたの。」って聞かれたんです。そのときに,毒入りのコーヒーだっていうのが,自分が思い出したんですよ(同前)。

[思い出したのは死体目撃のことだけではなく]いろんなことですよ。***山で相談したことだとか,あとはディナーショーが入ったこととか,本当に一つ一つ***日記とともに,じゃ,こうに書いてあるけどって。日記と一緒に,こういうふうに,振り返り,振り返り思い出していったんで(同前)。

[6月3日レオに出勤した際に八木、武、アナリエがいなかったことは]徐々に思い出してきたので、それを話していたということですけど(第33回公判証言)。

[八木が佐藤の死体の横腹を土足で揺すったことを思い出した経緯を尋ねられて]ただ,いつも調べのときに,自分の中に,常に,渡辺荘に入っていった玄関からは,何日も真っ暗でした。玄関から先が全然入りません。そのときに,昨日もお話ししたとおり,3日間とか,しゃべんないで過ごしましたってお話ししましたでしょう。それのときで,刑事さんが「八木さんは,靴を履いて入っていったの。」って聞いたときに,ふと思い出したんです。あ,靴を履いているって。靴を脱がなかったよって。それが,そこから入っていって,「じゃあ,靴のまま何したの。」っていうことになって,「佐藤さんの横っ腹をけったんだよ。」って,「こすったんだよ。」ってなったときに,だんだん思い出していった話です(同前)。

警察の道場のほうで,現場検証をしたときに,死体役をしてくれた刑事さんがしたときに,足を見たときに,バサンだか,バサンってなったのが,ものすごく自分の中に思い出されたことがあったので,そういうふうに話しているんですけど(同前)。

 

このような証言に接した裁判長はわれわれの尋問に介入してきて「[死体を見た]記憶を失ったことはないんですね」と考子を強引に誘導しようとした。けれども最初のうち、彼女はこの誘導には乗らなかった。「一瞬で,失いましたけど」と控えめながら裁判長に反論した(第32回公判証言)。考子は、渡辺荘に行ったこと自体を忘れていたと述べているし(第33回公判証言、第34回公判証言)、佐藤の死体を見たことをある時期まで思い出せなかったことも繰り返し明確に証言している(第32回公判証言、第34回公判証言)。佐藤がまんじゅうを食べていることは夢を見て思い出したことだとも述べている(第34回公判証言)。

記憶を失ったことはないという証言を考子にさせようとして失敗した裁判長は、その後も「3日間取調室で黙っていた」という証言の真意を繰り返し確認した。

裁判長 あなたの態度としては,いろいろと頭によぎっているものがあるけど,これを話すことは自分に有利かどうか,すごく不利にならないかとか,そういうことを考えて黙っているというんじゃなくて,まじめに,正直に,すべて関与したことを話そうと思っているんだけども,思い出さないからしょうがなくて,考え込んで黙っているということなんですか。

考子 はい。

裁判長 取調官にふてくされて黙っているというんではないんですか。

考子 それはないです。

裁判長 3日くらいのときも,1日黙っていたというときも,すべての日数がそうなんですね。

考子 はい。

裁判長 聞かれた質問に対して,まじめに考えるけど,浮かんでこないということなんですか。

考子 はい。

裁判長 今,そこのところは思い出せませんがとか言って,次には進まないんですか。ずっとそれで黙ったまんま,にらみ合いみたいになっちゃうんですか。

考子 にらみ合いというわけじゃないんだけど,少し考えてと言うから,ずっとそこまでいったんだから,考えてと言うから,考えてるんだけど,そこからまるっきり,渡辺荘の中へ入れなくて,真っ暗なんだよと言って,自分の中で,何か思い出したと聞かれても,ううんと。(第34回公判証言)

 

考子が渡辺荘事件についての記憶を喚起できないために、取調べが進まない状態だったということは、もはや明白である。しかし、裁判長はそれでも諦めなかった。彼女に対する証人尋問の最終日(第35回公判)に、3人の裁判官は次々に、それまで何度も繰り返された質問をまた繰り返した――佐藤の死体を目撃したことは忘れていたのか、それとも、覚えていたが隠していただけなのか、と。この日の考子の証言はまったく支離滅裂であった。まず左陪席田中裁判官が質問した。

田中裁判官 当時[平成11年6月]のあなたの記憶では,佐藤さんは,どうしたと思ってたんですか。

考子 記憶ですか,自殺に見せ掛けてないとだめだと思っていました。

田中裁判官 自殺に見せ掛けて殺したんだという記憶だったんですか。

考子 はい。

田中裁判官 それは,間違いないんですか。

考子 (うなずく)

田中裁判官 その時点で,佐藤さんの死体を見たということは覚えていたんですか。

考子 覚えていません。

田中裁判官 具体的に,いつどこで見たかは覚えてないが,見たという漠然とした記憶があったとかいうんじゃなくて,もう見たこと自体,全く覚えていなかったんですか。

考子 佐藤さんの死体…………,覚えてないんじゃなくて,自分が,それを忘れるように努力してたんですよ。言ってしまうと,八木に自分が,その保険金のお金も自分がもらってるわけじゃないですか,もらってるお金もパーになってしまう,どうになるか分かんないから,言ってはいけないと,自分の中に,常に言ってはいけないんだということはありました。だから忘れてた,記憶をなくしたんではなくて,言ってはいけないという思いのほうが強かったのです。

田中裁判官 言ってはいけないというのは,頭の中にあるんだけど,それを言っちゃいけないということだから,忘れてるわけじゃないですよね。

考子 はい,違います。

田中裁判官 それでいいんですか。

考子 はい。

 

このように、考子は、死体を見た覚えはないと言った直後に、田中裁判官に「まったく覚えていなかったんですか」と念押しされると、「もらっているお金もパーになってしまう」という理屈を述べて、だから「記憶をなくしたんではなくて、言ってはいけないという思いのほうが強かった」と言い換えた。しかし、続く右陪席大澤裁判官の尋問で、考子は再び「覚えていなかった」という方向に逆戻りする。

大澤裁判官 現在の記憶はそれでいいんですけど,取調べを受けた,思い出す経過のときのあなたの記憶がどうだったのかを知りたいんです。

考子 記憶………はっきり言って,そこの部分では,捜査の段階では,はっきり言って,真っ黒になってましたから,忘れてたと言ったほうが正しいと思うんですよ。ただ,佐藤さんのことは,ある程度は入ってました,自分の中に。

大澤裁判官 その忘れてたということと,隠してたということは,全く違うことですよね。

考子 (うなずく)

大澤裁判官 先ほどは隠してたという趣旨をおっしゃって,今,今度は忘れたというふうに。

考子 そこがちょっと難しいんですけど,佐藤さん自体のことを自分の中では覚えてるんですよ。

大澤裁判官 佐藤さんのことじゃなくて,その佐藤さんの死体を見たかどうかだけに限って。

考子 見たかどうかに限って,3日間悩んだとき,3日間というか,真っ黒だったときには消えてました。確かに,消えてました。

大澤裁判官 自分は覚えてるんだけど,話すかどうかを迷ってたんじゃなくて。

考子 消えてました,確かに,そこは。

大澤裁判官 消えてたということなんですか。

考子 はい。

 

こうして考子は死体目撃の記憶が「消えていた」ことを再確認したのである。ところが、最終尋問者である裁判長若原裁判官は、いきなり「覚えていた時期が当然ありますよね」と切り出した。裁判長から「当然ありますよね」と言われて反対できる証人は多くないだろう。考子は「はい」と答えた。この段階で裁判長が思い描いていた論理は、当初は明確な記憶があったのに八木から「自殺だ自殺だ」と言われているうちに記憶が消えたというもののようである[2]。裁判長は、当初記憶があったことを考子に認めさせたのに続けて、それが八木の洗脳によって消えてしまったものであることを彼女に認めさせた。このような大枠を設定したうえで彼は、その記憶が取調べを通じて再浮上してきた過程に焦点をあてる尋問をした。

裁判長 それまでは意識してないでしょう,今覚えてるんだろうか,忘れたんだろうかなんてことは考えて暮らしてはいないでしょう。

考子 はい,全然意識してません。

裁判長 警察からその問いを受けたときに,思い出そうと思ったら真っ暗になっちゃってたということですか。

考子 はい。何見たんだろうって,自分の中でも,何だったんだろうという怖さが。

裁判長 怖さだけはあるんですか。

考子 怖さだけがあるんですよ。

裁判長 何か悪いことをしてるとかいう,そういう感じはあるんですか。

考子 うん,怖さがものすごいあるんですよ。

裁判長 そして,さっきの話だと,それを言っちゃっていいんだろうかどうかということで,また悩んだ時期もあるように言ったじゃないですか。

考子 はい。

裁判長 そうすると,そうやって聞かれていて,最初は真っ暗かもしれないけれど,次に思い出してきたときがあって,それが頭には浮かんできたけど,今,これ,話しちゃっていいんだろうか,話すとどうなるんだろうとか,自分で計算したときもあるんですね,その後で。

考子 あります。

裁判長 やがて,もう話しちゃうしかないかと思って,何日かして話すということになるんですか。

考子 はい。

裁判長 話しちゃっていいのか,隠しておくままにしようかとか,悩んでる時期も相当あるんですか。

考子 ありましたね。

裁判長 どっちが長いんですか,全然出てこないなと思ってる時期と。

考子 いや,悩んでるほうが長かったです。

裁判長 じゃ,言われて,最初は一瞬こう何を見たのかなと思ってるときがあったけど,次に,浮かんできていたが,もう,これ,しゃべっていいのかというのが,怖くてしゃべれなかったというほうが現実には長いんですか。

考子 長いですね。で,殺人でしょう。1つあるのに,また2つになっちゃうじゃないですか。

裁判長 だから,その気持ちのほうはよく分かるんですよ。それを,本当に話しちゃって,自分はどうなるんだろうとか,周りの人がどうなるんだろうとか,不安になって,いろいろ計算するというのはごく自然な感情だから分かるんですが,その手前の真っ暗というところが,やはり,普通の人には分かりにくいから,何度も聞かれるということになるんですけど,じゃ,その期間というのは,それを3日考えたなんていうわけじゃないんですね。

考子 違います。

裁判長 じゃ,死体が頭に浮かぶまでには,どのくらいの時間を要しているんですか。

考子 1日ぐらいだったと思うんですけど。

 

死体目撃記憶の有無など日常生活のなかで意識することはない;だから、死体を見たかどうかを思い出すのに多少の時間がかかるのは当然である、というのが裁判長の論理的前提であることは明らかであろう。その前提を考子に認めさせた上で、裁判長は「言うかどうか悩む」というのは「すごく自然な感情だから分かる」が「真っ暗」という話は「普通の人にはわかりにくい」という解説をしたうえで、彼女が取調室で黙っていた3日間の全てが後者だったわけではないことを念押しした。そして、「真っ暗」の期間は3日のうちわずか1日に過ぎないことを考子に認めさせたのである。

この裁判長の尋問がさいたま地裁判決の認定に決定的な影響を与えたことは明らかである。判決は、記憶に関する考子の数多くの証言のうち、尋問最終日の裁判官の尋問の部分だけを速記録から引用している。しかも、その全部ではなく、ごく一部だけである。先に指摘したように、この日の考子の答えは、大まかにいうと、「隠していた」→「忘れていた」→「隠していた」(以上田中尋問)→「忘れていた」(大澤尋問)→「忘れていたが、すぐに思い出した」(若原尋問)という展開を見せているのである。判決文は、このうち「忘れていた」という証言の部分をほとんど全部割愛している。そのうえでこう述べている。

以上の証言内容に照らすと,森田のいう「真っ暗」とは,厳密な意味で記憶がなかったという意味とは考えられず,要するに,毎日のように佐藤殺害のことを考えていたわけではなく,むしろ,恐ろしい記憶だったのでできるだけ思い出さないようにしていたため,警察官からトリカブト事件について聞かれた際,すんなり供述できなかったという意味であると理解するのが相当である。

もっとも,当然のことながら,時間の経過とともに出来事の細部について記憶を失うことはやむを得ないところであり,森田証言中の「ガラスのかけらを川に投げたのを拾うような形で,一つ一つ思い出してきた」との表現は,そのような細部の記憶を喚起する過程を森田なりの言い回しで説明したものとみるのが自然である。

また,森田は,上記証言のほか,3日間黙っていたうち,思い出そうとしていたのは最初の1日だけであり,残りの2日間は,佐藤の死体を見たことを供述するべきか否かで悩んでいたものである旨の証言もしているのであるから,これに照らして,森田考子の記憶が,捜査官の誘導や脅迫によって作り出された「偽りの記憶」であるなどという弁護人の主張は到底採用することができない。

 

確かに、考子は、渡辺荘事件について、忘れていたわけではなく、忘れようとしていただけであるとか、なかなか言えなかったのだという趣旨の発言をしている。けれども、すでに見たように、彼女は、繰り返し、渡辺荘へ当日行ったことや佐藤の死体を見たことは平成12年8月ころまで忘れていたと述べているのである。裁判長の2度目の介入尋問のときまでは、取調室で黙っていたのは、思い出せないためだったと明確に答えていたのである。繰り返し同じ質問をした挙句、最後の最後に答えた部分を捉えて「真っ暗」とは記憶喪失のことではなく「すんなり供述できなかったという意味」だというのは、あまりにも恣意的な証拠の選択方法ではないだろうか。

考子は、「忘れていた」「消えていた」「真っ暗だった」と証言するとともに、「忘れるように努力した」「言ってはいけないと思っていた」という言い方もしている。このような説明の仕方は武まゆみの証言にも見られる。鮮明な記憶を回復した人は、記憶を失っていた当時の自分の精神状態を説明するときに、現在の自分の記憶の確かさを正当化するために過去の自分の姿を歪めて説明する傾向があるのである――「完全に記憶がなかったわけではない」「忘れようと思っていただけだ」「記憶にふたをしていただけだ」と。これは仲真紀子が説明した「ハインドサイト効果」に他ならない。

佐藤殺害の謀議に参加し彼の死体を目撃したという考子の法廷証言が真実であり、かつ、彼女がその記憶を途切れることなく持ちつづけていたのだとすれば、考子は偽装結婚事件による逮捕から4ヶ月間以上にわたって嘘をつき通したことなる。森田考子という人の性格や彼女の捜査機関に対する態度からみて、そんなことがありえるだろうか。彼女は、逮捕もされずに警察から呼び出しを受けただけで、その日のうちに「もうだめだ」と観念して、森田殺人事件や川村殺人未遂事件を自白してしまうのである。いつ誰がどのような方法で殺したのかも知らないのに、自分も殺人犯の一味に違いないと認める自白をしてしまうのである。不起訴になった事件まで自分が犯人だと認めてしまうのである。そんな彼女が具体的な謀議に参加した殺人事件のことを4ヶ月以上も嘘をついて白を切りとおすことができるとはとうてい考えられない。

前に指摘したように、考子は、偽装結婚事件による逮捕直後の段階で、佐藤修一の死は自殺ではなく、八木と武が保険金獲得のために殺したのだという話をしていた。この段階ではまだ警察も検察も佐藤修一の保険金殺人について誰からもそれを認める供述を得ていなかったのである。マスコミが「疑惑の原点」として騒いでいただけである。そうすると、彼女は、捜査当局も「疑惑」以上の情報を持ち合わせていない第3の保険金殺人――佐藤修一に対する保険金殺人――が実在することを告げたうえ、しかもその犯人は八木茂と武まゆみであると名指ししたことになる。考子が渡辺荘事件の記憶をこの当時持っていたとするならば、これほど馬鹿げた行動はないだろう。考子がそのような嘘の供述をすれば、その供述をぶつけられた武や八木が、「考子は知らないと言っているが、彼女だって知っている」「別荘の謀議にも参加したし、彼女は死体を見ている」と言うだろうことは容易に想像がつくからである。自分に累が及ばないようにする簡単で確実な方法は「疑惑」を否定することではないだろうか――事件についての記憶があるならば。「八木や武まゆみは佐藤修一さんを何らかの形で殺しておいて保険金を騙し取ったのではないか」という考子の供述は、彼女が渡辺荘事件の記憶を持っていなかったことを示しているのである。

さらにもう一つ重要なことがある。この時期の考子の供述は「八木や武が佐藤修一を殺した」というものであり、アナリエを指名していない(H12/3/29検察官調書[3])。考子の法廷証言が真実であり、かつ、その記憶が保持されていたならば、「アナリエ中心の大事な話」という謀議に参加し、殺害現場に参加し、かつ、死体遺棄にも加わっているアナリエの名前を忘れるわけはないだろう。

このように、平成12年3月から5月にかけての孝子の供述態度は、彼女の渡辺荘事件の記憶の欠如を雄弁に物語っている。

平成12年5月31日以降考子は佐藤修一の事件について連日のように警察の取調べを受けていた。もしも事件当日佐藤修一の死体を目撃した記憶があったならば、どんなに遅くとも考子はそのころには警察に渡辺荘事件を自白したはずである。考子が事件の記憶を持ちながら2ヶ月間も警察の追及に対して沈黙を保つ姿など想像もつかない。考子は、逮捕後4人の中でいち早くすべての事件を自白しそれを維持し続けた。彼女の弁護人はこのような彼女の供述態度に疑問を提起し「3人の罪が全部来る」と彼女に警告したという。すると考子はその弁護人を解任した。そして、「自分なりに、一生懸命、本当のことを話した」と言うのだ(第31回公判証言)。そんな彼女が、しつこく佐藤のことを聞いてくる白川刑事に事件についての知識を隠しとおすことなどできるだろうか。

考子はこの時期「3日間ぐらい刑事さんと婦警さんがいましたけど、何もしゃべらないで3日間過ごしたこともあります」と言う(第32回公判証言)。これは、取調室のなかで、供述できることを何も思い出すことができないまま3日間ぐらい時間が過ぎてしまったという意味であることは明らかであろう。ところが、若原裁判長は、この証言を死体目撃を思い出し供述するまでの期間であると勝手に解釈して、そのように考子を誘導して、先に見たように、思い出すのには1日しかからず、あとの2日間は言うかどうか悩んでいたという供述を引き出し、それをそのまま判決に採用している。

そもそもある出来事の記憶のない人が特定の時期を境にその出来事を思い出そうと努力するという情況を想定すること自体が概念矛盾である。死体を目撃したという記憶を考えてみよう。死体を目撃したという記憶のない人が「死体を目撃したのかどうか思い出そう」とするのは不可能である。そのようなテーマが思い浮かんだ時点でその人は既に死体目撃について自分が何かを体験したに違いないという観念を抱いていることになる。考子は取調室のなかで3日間ぐらい何も思い浮かばなくて黙っていたというのである。要するに「何でもいいから思い出したら言ってくれ」と白川刑事に言われて、当時の情景を一生懸命に思い出そうとするのだが、何も出てこない状態が3日間ぐらい続いたということに他ならない。そして、おそらく、その後のある時期に考子は渡辺荘の「玄関」の前にたたずむ自分の姿を思い浮かべることができて、そのことを白川に告げた。

「そうか。玄関から入ったのか」

「分かりません。そこから先は真っ暗です」

「がんばれ。集中するんだ。何が見える?」

「分かりました。やってみます……」

 

このようなやり取りが白川と考子の間で繰り返されたに違いない。そしてあるとき、漆黒の闇は白けた蛍光灯の明かりに代わり、その下に横たわる死体と対峙する八木の姿をはっきりと捉えることができた。そういうことであろう。「3日間ぐらい」が正確に何日であるかは問題ではない。死体目撃という体験について記憶が全くなかったということ、そして、それがある日突然に獲得されたということが問題なのである。

警察は考子から死体目撃供述をされればすぐにそれを上申書にすることを彼女に提案するはずである。そしてその提案を受けた考子はすぐに上申書を書くはずである。死体目撃体験の上申書の日付が8月28日であるということは、要するに、考子はその日に死体目撃体験を思い出したということを意味する。「八木と武が佐藤を殺したに違いない」と供述してから死体目撃を思い出すまでに5ヶ月の日数を要したということである。

 

[1]しかし、公判では遺書作成の場面は見ていないと証言している(第29回公判証言、第33回公判証言)。

[2]これは武まゆみが平成13年証言のなかで説明していた論理である。森田考子の尋問が行われている段階では、武の偽りの記憶に関する仲真紀子の鑑定書は提出されておらず、「正常な精神状態で意識的な殺人を犯しながらその記憶が失われるということは通常ありえない」という仲証言もまだ行われていない。

[3] 3月30日付警察官調書と4月3日付検察官調書では、八木が殺したということなっており、武も登場しない。

 

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