第6章 森田考子の証言

 

平成12年8月から10月

 

平成12年8月1日、考子は長い沈黙を破り堰を切ったように饒舌に語りはじめた。この日彼女は上申書を2通書いた。1通は平成7年6月1日八木の別荘で「佐藤修一を殺す相談をした事」である。

その日、別荘の一階で丸いテーブルをかこんで話した事

まみ、「まんじゅうがなくなって来たし佐藤さんもまんじゅうがあきたのでパンの方がいい。」

まみ、「アンナがパンを渡しても食べなくっちゃ何の意味もない、私が渡せば佐藤さんは食べるよ。」

八木、「いつもより量があるからそれなりに入れればいいがね、あとはマミちゃんにまかせるから、マミにまかせておけばベテランだからうまくやってくれるだろう」

といつものまんじゅうよりパンの方が量があるので中に入れるどく[毒]もそれなりに入ればいいと言う意味です。

今、私がどくと言ったのは、佐藤修一がまみからもらったまんじゅうを食べて死にそうになったのですが、その時八木とまみは植物のクキや根っこのどくを入れた話しをしていたのです。ですからこの別荘ではパンに入れると話したのはその時のどくだとすぐに分かりました。

 

これに続けて、利根川の土手に行く道順を聞かれたことやディナーショーの後で「布団ごと捨ててくる」というテーマが八木と武の対話形式で語られている。

もう1通は、「平成7年6月3日の夜の事」である。その夜レオで八木と武が「ひそひそ話」をしていたのを聞いたという内容である。

八木「佐藤さんの様子を見に行ったら、部屋の中がヘドまみれになっていて、佐藤さんは玄関から入って戸が開いていて、部屋の入りぎわにうつぶせで、何かとろうとしたのか、外へ出ようとしたのか手をのばす様なかっこうで死んでいた」

まみ「うごかなかったよ」

と、佐藤さんが死んでいる事をまみも話した。

八木「ヘドがひどくてはこべる状態ではない。はこぶのに車がよごれるからきがえさせたか何かを着せた」

「とりあえず、早くかたづけなくちゃならない」

と佐藤さんを人にみつからない様に早くはこび出す話をした。

八木「布団と一緒につっこんで行っちゃえばいい 俺のワゴンでいいから」

まみ「布団ごとまるめちゃえばいいよ」

八木「三人じゃないと無理だからターは川村君のあいてをしていてくれ」

この時はだいぶおそい時間で鹿野さんはかえったあとだと思う。そして三人は出ていった。

 

6月1日別荘謀議と6月3日夜のレオについて、考子の法廷証言の骨格がこの二つの上申書で出来上がっていることが分かる――後に検討するように、重要な部分で法廷証言と食い違いを生じてはいるが。特徴的なのは、まるで芝居の脚本のように、延々と八木と武の対話が続くこと、そして、それにもかかわらず、物語の中に考子自身の会話や動作は一切登場しないことである。

この2通の上申書のあとまたしばらく沈黙が続く。次は8日後の8月9日である。その日考子は一気に5通の上申書を書き上げる。いつどこでの出来事なのかの説明はまったくなしに、八木と武を中心とするダイアローグがまた延々と続く。

まみ「私が佐藤さんに一つ食べさせて、アンナと出てきた。そしてそのまんまディナーに行った。」「食べさせる時、佐藤さんの為に買って来たんだよと言って袋をあけてちぎって食べさせた」

八木「どの位い[ママ]食べさせたんだ」

まみ「いつもよりは多く入れたけど」

と話していた。又、パンに毒を入れた方法として

パンにはさんだ

パンにまぜていれた

と言う様な言い方をまみがしていました。

***

まみ「モップをもっていって良かったね。それでつついて流したけど雨がまたふれば流れるだろう。」

八木「いまの時期だと水も多くなってくるだろうし、そうすれば流れていくだろう」

と話したのです。このまみが話したモップと言うのは、レオの店の外にこわれた緑色のえ[柄]のモップがあったのですが、佐藤修一を殺して利根川に流した後にはなかったのです。ですからまみはこのモップのえの棒をもっていったと思います。そして、

まみ「つっついて流れたんでそのまま帰ってきた」

「アンナに足をもたせたら、ちゃんともたなかった」

とも話しています。それから死体を流して帰って来てからアンナが私に

アンナ「ターちゃんサンダルかして」

と私からサンダルをかりて帰っています。

***

八木「まみはすげえ力だよな。一人でかついじゃうんだからな、どかたに行けば、普通の男以上の働きするんじゃねん、俺はこし[腰]が痛くなっちゃってしなかった。まみは、アンナはいいよ、私が一人でやるから、と言ってまみが一人で車に荷物をつむ様にポーンとのせちゃったんだよな」

とまみが八木とアンナに手伝わせずに佐藤修一の死体を車につんだ話しをしたのです。それから

八木「川ら[川原]で車から佐藤修一の死体をだすにアンナが足の方をもったけどひっくりかえって足をぬらした[。]その時まみが車からひきずりだした」

と言う様な話しをし、さらに

八木「まみが一人でひきずりだした、俺は何もしなかった」

まみ「私がのってないのにマスターが車を出しちゃうんだから」

と話していた。八木もこの時はかなりあわてていたと思います。

それから帰りのコースで

八木「出る所まちがいて[間違えて]牧西の方に行っちゃった」

「川らはどて[土手]を上がっていきそのまままっすぐ行って流してそのまま道なりにもどって来た」

と話していました。

 

翌10日の上申書では、「過労死させる」ために、佐藤修一に寝かせないで酒を飲ませたり、「ペットボトルに入った焼酎にコーヒーか何かを混ぜた飲み物」を飲ませていたことや、彼が具合が悪くなって細野荘に帰った事件が語られた。そして考子は、この上申書ではじめて、八木から「佐藤さんが死んだら500万円やるから」と言われて、毎月3万円の保険料を支払っていたことを話した[1]。

また1週間沈黙。そして8月18日、考子は5年前に八木とアナリエが行田警察で佐藤の死体の身元確認から戻ったときの会話を記した。

八木「くつのひもがかたむすびになっていたけど何でちょうちょ結びにしないであんなしばりかたしたんだろうな」

まみ「わたしはしばってない。私はあんなしばりかたしていない」

と佐藤修一の死体の足くびがひもでしばられている事を話した。すると

アンナ「私し」

と自分を指さして、しばった事を話した。その時八木は「う~ん」と首をたてにふってうなずいた。そしてまみは

まみ「スボンをはかせたら内側にボタンがあってチャックの所が三角になっていたけど、なんでだろう」

八木「知らないんかよ、男のスボンはみんなそうなっているんだよ」

などと佐藤修一の死体にスボンなどをはかせた事を話していました。

 

ここまでの9通の上申書によって、考子の法廷証言の骨子――それはまた、武まゆみがその後に思い出し最終的に法廷で証言することになるストーリーの骨子でもある――がほぼ出来上がっていることが分かる。しかし、考子証言のハイライトはまだ登場しない。すなわち、考子自身が平成7年6月3日の夜に渡辺荘に赴きそこで佐藤の死体を目撃したという話は、この段階に至ってもなお語られないのである。

考子がこの話をはじめて語るのは平成12年8月28日である。

八木と一緒にトヨタの赤茶色のワゴン車で渡辺荘に行き、佐藤修一の住んでいる借家の玄関前に横づけして止めました。そして八木と家の中に入るとアンナが一人でピンク色のビニール手袋をはめて、ぞうきんをもっていました。八木はどそく[土足]で佐藤修一の部屋に入ると

アンナ「あ~あ」と言いました。

八木は「またふけばいいがね」と言いました。そして八木は「そうじ終わったか」

アンナ「きたないがね、ふいたけどおちないのがある」

八木「ふだん、そうじもしないんだからちょうどいいがね」

アンナ「佐藤さんがあばれるんでまみがひも[紐]でしばったんだ、だけどひもどうするん、すてちゃっていいん」

八木「いいんだろう、もうまみも使わないだろうし。」

と言ったのです。この時佐藤さんの死体は布団の上に眠かされて頭は玄関の反対の方を向いていました。また、くわしい事は思い出して話します。(H12/8/28上申書)

 

殺人現場で死体を見たというのに、その様子は付け足しのように述べられ、のんびりした掃除の話を細かく書くというのはどういうことだろうか。死体目撃談のディテールが語られるのはその2日後である。そこで初めて、八木が土足で死体の横腹をゆすると布団が少しめくれて佐藤がブリーフだけの姿だったことが語れる(H12/8/30上申書)。

しかし、考子証言のハイライト中のハイライトと言うべき「バサン、バサン」――八木が土足で佐藤の横腹付近を蹴ると佐藤の足首がバサン、バサンと音を立てて旋回した――は一連の上申書群のなかでは一言も語られなかった[2]。

9月に入ると、白川豊美刑事は、それまでの考子の上申書をベースにして供述調書を次々と作成していった。物語の基本は既に出来上がっている。この時期以降に作成される供述調書では、考子が聞いた会話やその前後の情況は、より精密なものとなり、上申書では分からなかった会話の時期や場所が特定された。それに加えて、断片的で多義的であった八木と武の会話に「それは……の意味だと思います」とか「……しようとしているのが分かりました」という解釈が施されることが多くなった。

9月下旬から10月上旬にかけて、警察官の調書は姿を消し、代わって考子の上申書群が再登場する。その数は6通である。ここで彼女は、渡辺荘事件に関する八木と武の会話をまた繰り返し語るのであるが、その内容は詳細を極め、かつ、非常に説明的なものになっていく。まるで、八木と武が考子を前にして自分たちがいま何をしてきたのかを細々と解説してみせているような会話である。

マミ「その後、アパートに居って[ママ]、佐藤さん、パン買って来たから食べなとちぎって食べさせた。そしたら食べなくなってしまったので、何で食べないんと話したら佐藤さんはノドにつっかかると言ったので酒と一緒に飲めばいいがねと話したら佐藤さんは酒は飲みたくないと話した。しかし食べさせなければならないので水と一緒に飲みないねと飲ませ様としたが食べないし、飲まないので口にパンをおしこんでアンナとおさえつけながら食べさせた」と話したのです。

この時マミはほかに、アパートに居った[ママ]時、佐藤さんは布団に眠てて、いった時、布団の上に座らせて食べさせた。それから佐藤さんは「もういらない」と言って布団に横になったので、アンナがおこした。また佐藤さんは八木の言う事をよく聞いていたので普段からマミが「これはマスターが買って来たんだから」と言うと素直に言う事を聞くのでこの時もマミの話しだとマスターが買って来たんだからと言うと佐藤さんは「じゃあ食べるよ」と言って少し食べた。また、マミは佐藤さんの事を顔がむくんで来た、普通の人間の顔色じゃないと言ったり、八木が「ペットボトルもっていった」と聞くとマミが「もって行ったけど飲まなかった」と言ったのです。八木は「何の為にもって行ったんだ、飲ませなくっちゃしょうがないだろう、だてに金使っている訳じゃないだろう」などと話したのです。(H12/10/3上申書。強調は引用者)

 

こんな感じである。また、10月6日付の上申書で、細野荘事件のときと別荘謀議のときに八木が「カブト」と言ったというエピソードがはじめて語られた[3]。同日付のもう一つの上申書では、八木と武が事件当時の出来事を話し合っている会話の中で、武が「そしたらマスターが来たんでビックリしたよ」と言うのを聞いたと述べ、殺害場面に八木が登場したことが示唆される[4]。この話もはじめてである。そしてさらに、10月16日付の上申書で、「マスターがやれと言うからやったんだ」「人聞きの悪いこと言うなよ」という言い争いを聞いたという話が登場するに至る。

このあと、11月21日の渡辺荘事件による逮捕の前までに、警察官調書12通、検察官調書9通、上申書2通が作成される。物語の細部を確認し精緻なものにするための個別テーマごとの比較的短い調書を何通か作成した後に、全体を通した分厚い調書を作成するというパターンである。それは役者が芝居の稽古をしたり、オーケストラがシンフォニーのリハーサルをするやり方を髣髴させる。こうして渡辺荘事件に関する考子証言の内容は逮捕の前までにほぼ完成してしまうのである。

 

[1]以前の供述は、「株の投資」と言われて毎月3万円を八木に渡していたのであり、佐藤が生命保険に入っていることは、平成7年6月4日にレオで「おめえだって、保険入ってるがや―」と怒鳴れれて殴られるまで知らなかった、というものである(H12/3/29検察官調書、H12/3/30警察官調書)。

[2]考子が「バサン、バサン」を語るのは平成12年10月22日である(H12/10/22検察官調書)。しかし同日付の調書では「バタンバタンといった感じで左右に揺れ[た]」と言うのであって、法廷証言のように「バサン、バサン」という忘れがたい音がした(第29回公判証言)というものではない。

[3] 9月11日付警察官調書では、八木は細野荘で「何々をそんなに喰わせたらしょうがないだろう、何々のどの部分入れた」と言っていたが、その「何々」がなんであるかははっきり覚えていない、というものであった。

[4]それ以前の供述では、八木が犯行場面にいなかったことが前提となっている。例えば、8月9日付上申書では、武が八木に「佐藤さんに1つ食べさせて、アンナと出てきた。そしてそのまんまディナーショーに行った」と説明している。八木が現場にいれば、このような説明は不要であり、することはないだろう。
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