第6章 森田考子の証言

 

「空白の2ヶ月」:平成12年7月末まで

 

森田殺人事件の起訴(平成12年5月30日)の後、今度は佐藤修一の件について集中的に取調べを受けることになる。考子は正確な日付は記憶していないがこの時期も取調べは「ずっとありました」;土日を除く毎日取調べを受けていたと証言している(第32回公判証言)。しかし、それにもかかわらず、この間に調書は1通も作られていない[1]。この2ヶ月間、捜査官は考子に対してどのような取調べをして、彼女はどのような供述をしていたのだろうか。

渡辺荘事件についての詳細な供述を完成した後の平成12年12月下旬の段階で半年前のことを振り返って、考子はこう述べている――「毎日、しつこく佐藤さんの事件について聞かれましたが、それでも私は、八木が話した自殺説を話し続けたのです」(H12/12/22警察官調書)。法廷でも、それ以前と同様に、八木の指示で佐藤は自殺したと言っていたと証言した(第32回公判証言)。しかし、この説明が事実に反することは明らかであろう。既に3月下旬の段階で彼女は、佐藤は八木と武に殺されたのだと供述していたのである。6月になって自殺の話を持ち出すというのはありえない。少なくとも、考子は、佐藤は八木と武に殺されたのだ;自分は保険金の分け前をもらったが、殺人には関与しておらず、どのような方法で彼らが佐藤を殺したのかは知らない、そう供述していたはずである。

考子は法廷で当時の取調べの様子を次のように説明している。

3日間ぐらい刑事さんと婦警さんがいましたけど,何もしゃべらないで3日間過ごしたこともありますし,とにかく,思い出すまで時間をかけてもらっていましたから。

***

ものすごく,私,一つ一つ,本当にガラスのかけらを川に投げたのを拾うようなかたちで,一つ一つ思い出してきたんですよ。時間をかけて。だから,どこまでをいつに話して,どこまでをというのが区別できないんです。

「思い出したことを,何でもいいからしゃべってくれ。」って言われたんですけど,思い出すことがないので,考えても考えても,思い出すことがないんで,そのまま。***思い出したことだけしゃべってくれればいいっていうことで,だから,逆に私のほうが思い出さないのは悪いような気がする時もありましたから。***ただ,本当にもう,ボーっと自分の中に,その場面,場面を思い浮かべて,思い出してきたことですから,はっきり言って進まない日も,2日,3日あったこともあるし,丸々1日たって,いきなり中へ戻ってから思い出したこともあったり,夢で見たこともありますし,そういうことの積み重ねで***(第32回公判証言)。

 

この証言から次のような情景が浮かび上がってくる――佐藤は八木と武に何らかの方法で殺されたに違いない、と考子は述べる;しかし、いつ・どのような方法で殺したのかは想像もつかない;警察は八木と武の犯行に結びつく情報をなんとか考子から引き出そうとする;「どんな小さなことでもいい。当時何があったか思い出してくれ」。白川刑事はそう言って考子を励ます;考子は5年前の出来事を必死に思い出そうとする;当時のスケジュール帳のページを繰りながら、八木や武と自分が何をしていたか、彼らが何を言っていたか思いを巡らす;何日間も取調室の中でこのような作業をする;すると突然に当時のある場面が思い出される;房に戻って突然場面がよみがえることもあるし、夢を見ることもある;このようなことを繰り返しているうちに、徐々に徐々に当時の八木と武と佐藤の死を巡る物語が姿を現しはじめた……。

「空白の2ヶ月」は、考子が記憶と物語を取り戻すための「心の旅路」であったのだ。しかし、これは序章に過ぎなかった。心の旅路はさらに続くのである。

 

[1]  検察官は、考子の供述を録取した書面を全てわれわれに開示すると約束したが、開示された記録の中には平成12年5月31日から同年7月31日までのものは1通も存在しない。考子は、何通かは分からないがその間の調書もあると思うと証言している(第32回公判証言)。

 

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