第6章 森田考子の証言

 

平成11年の供述

森田昭の火葬をする予定だった平成11年5月30日の朝、考子は警察官の訪問を受けた。任意同行に応じた彼女は本庄警察で取調べを受けた。考子は森田とは本当の夫婦だと言い張った。

「バッグの中を見てもいいか」

白川豊美刑事はすぐに「茂」の木札と八木の写真を見つけ出した。写真の裏面には「八木茂は事件に巻き込まれませんように」と書いてあった。

「お前は八木のことが好きなんじゃないか」

白川にそういわれた考子は「もう、うそはつけない」と観念した。涙がぼろぼろと頬を伝わった(考子第31回公判証言)。その直後、自分と八木と息子の品物であふれる自宅を捜索する警察の様子をみたとき、「もうだめだ」と思った。そして、本当のことを話す決意をした。八木の声を聞くと気持ちがぐらつくので、「電話がなっても絶対に出ない」と書いた紙を電話機に貼り付けた。長い間財布の中にお守りのように忍ばせていた「茂」の木札を灰皿の上で燃やした。八木が夜にやってくるのを警戒してその日は夜通し警察官に玄関前で警護してもらった(同前)。

そして翌5月31日、本庄警察に出頭した考子は、4人で森田昭を「保険金を取るために殺しました」と自白した(H11/5/31警察官調書)。その後彼女は八木とも自分の母親とも連絡を絶ち、2歳の息子とともに従妹の家に身を寄せた。警察の24時間警護を受けながら、連日警察の車で本庄警察に出頭して、森田昭と川村富士美に対する4人の「保険金殺人」について語った。考子は6月22日までの間に合計16通の自白調書に署名したのである。マスコミが「保険金殺人疑惑」を騒ぎ始める3週間も前のことである。

この「自白調書」には際立った特徴がある。4人で森田昭を保険金目的で殺したと断定しているにもかかわらず、そう断定する根拠が語られないのである。八木から「毎月10万円もらうのとでかい金額もらうのと、どっちがいい」「関さんと結婚でもして保険にでも入ってもらえな」と言われて関昭との婚姻届を出した;八木は「薬を酒に混ぜて飲まして殺そう」と言っていた、と言うのだが、彼女自身がその行為を行ったというのでもなく、誰かがそれを実行しているのを目撃したというのでもない。一体どんな薬を誰が何時飲ませたのかが全く語られていないのである。

***関さんに対して、いつ殺すための薬等を飲ませていたのかは知りませんが、パパ[八木]に言われて、小料理マミーのママ武まゆみ、パブママネキンのママ美穂[アナリエ]の2人が、薬と称する毒を関さんに飲ましていたはずです。(H11/5/31警察官調書。強調は引用者)

 

川村富士美についても、考子は保険金殺人の「第2のターゲット」だったと供述した。しかしその「自白」も中身のないものだった。彼女は、前年の7月頃に川村から「俺、美穂と結婚したんだ」と聞かされたとき、これも偽装結婚であり「ああこれは関さんと同じだ、川村君を何らかの方法で殺して保険金を騙し取るんだ、ということを私は確信しました」と述べている。しかし、ここでも具体的な殺害方法については、何も語られず、「マミーの店やマネキンで、パパに言われて、マミや美穂が何らかの体に良くない毒のような物を飲ませていたものと思います」という推測が述べられるだけであった(H11/6/17警察官調書。強調は引用者)。

実を言うと、考子自身も「殺人」の存在を確信していたわけではないことを示すエピソードがある。平成11年6月終わりから7月初めにかけて、森田の保険金請求の書類を取り寄せたところ、八木がそれを取り上げた。八木は自分を裏切り者と考えている、だから自分に保険金を寄越さないつもりなんだ、考子はそう考えた。が、その一方で、

私はね,戸籍上の奥さんなんだから,あんたがそういうことをするんなら,私は,もし何もなくて關さんが帰ってきたら,証券は私のものだから,私が逆に請求すれば保険は全部,私のものになるんだと,そういうふうに思っていました。(第31回公判証言。強調は引用者)

 

考子が自白調書のとおりに4人で共謀して森田を殺害したと信じていたのであれば、この期に及んで刑事処分が何もなく森田の遺体が返ってくる可能性を想像することなどあり得ないであろう。

結局、本庄警察は殺人の自白調書を16通も取りながら、考子たちを逮捕しなかった。

この16通の自白調書の中に佐藤修一のことに触れた部分もある。そこには、「佐藤修一が死んだ時に私にも報酬がきた」と、思わせぶりな記述があるけれども、「報酬」の意味を説明する記述も、殺人をうかがわせる記述も全くない(H11/6/22警察官調書)。
itsuwarinokioku_line

Comments are closed