第6章 森田考子の証言

 

1 供述経過

あらためて指摘するまでもないが、森田考子の証言は何らの介入や圧力もなしに彼女の脳裏から自然に湧き出たものをそのまま言語にしたというものではない。武まゆみの場合がそうであったように、彼女が法廷で証言するに至るまでには様々な紆余曲折があったのである。そのことは、逮捕されてから最終起訴までの9ヶ月という長い時間の経過のなかで実に170通あまりの供述調書が作られていることからも明らかである。その間に濃密な取調べが何度となく繰り返され、取調官と考子との間で物語のディテールを巡るやり取りが際限なく行われ、それにつれてストーリーは様々に変容し、そしてついにそれは法廷証言という舞台の日を迎えたのである。

逮捕から法廷証言に至るまでの1年半あまりの間に舞台裏で何が行われたのかを正確に吟味しない限り、考子証言の価値を正確に評価することはできない。しかし、この吟味の手段は非常に限られているのである。舞台裏の事情はほとんどブラックボックスであると言っても過言ではない。例によって森田考子の取調が録音・録画されることはなかった。したがって、われわれは、考子と捜査官の間でどのようなやり取りが行われたのかを客観的に知る術はない。また、考子は武のように詳細な獄中日記を残してもいない。われわれが再三にわたって要求したにもかかわらず、留置人出し入れ簿は開示されなかった。いつどの程度の長さの取調べが行われたのかという初歩的な情報についてすら、われわわれは信頼できる資料を持ち合わせていないのである。

われわれに与えられているのは、膨大な量の供述調書と考子自身の証言のみである。これらが供述経過を吟味する資料としてはなはだ不十分なものであることは明らかであろう。供述調書は捜査官が作文したものに過ぎない。「上申書」と名づけられた自筆の文書も結局捜査官の意向によって作成されるものである。そして、武まゆみの証言にも明らかなように、「共犯者」自身の語る供述経過なるものは、供述が生まれ出る真の姿を必ずしも反映していない。自らの都合に合わせ、あるいは既に利害を共通にする同志と化した検察官の意向を反映して、証言は様々に脚色される。

しかし、だからと言って考子の供述経過を吟味することを放棄することは許されない。この吟味なしに彼女の法廷証言の真偽を判断することはとうてい不可能だからである。結局われわれにできるのは、彼女の供述調書に記載された供述の内容とその変化を、必ずしも信の置けない彼女自身の証言の助けを借りつつ、分析することである。

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