第6章 森田考子の証言

「布団ごとおっぱなす」

 

考子によれば、八木と武は佐藤の死体を「布団ごとおっ放してくる」と言っていたと言うことである(第29回公判証言)。この情景も、考子は「空白の2ヶ月」が明けて間もなくの時期から繰り返し供述している(H12/8/1上申書、H12/9/12警察官調書、H12/11/4検察官調書)。

これまた不可解極まる供述である。佐藤修一の遺体は自殺に見せかけるために利根川に捨てられるのではなかったか。布団をまとって入水自殺した人がこの世の中に存在するとは思えない。

 

「トリカブト」の認識

 

考子によれば、佐藤修一に対してトリカブトが使用されていることを彼女が知った経緯は次のとおりである――平成5年の秋に細野荘で八木が「カブトをどのくらい入れた」と武に尋ねるのを聞いた;その後今度は佐藤に飲ませていたペットボトル入りコーヒーの中味を尋ねたところ、八木ははっきりと「トリカブトが入っている」と言った(第28回・第29回公判証言)。

しかし、考子は捜査段階ではこれとはまるで異なる話をしていたのである。まず、逮捕の5日後に彼女は、八木と武が「佐藤さんを何らかの形で殺した」と話しはじめるのであるが(H12/3/29検察官調書)、トリカブトが使われていたなどということは片鱗すらもない。

「空白の2ヶ月」が明けた8月1日の上申書に「植物の茎か根っこ」というフレーズが登場する。佐藤が武からもらったまんじゅうを食べて死にそうになったことがあり、「その時八木とまみは植物のクキや根っこのどくの話しをしていたのです」と言う(H12/8/1上申書)。この「植物の茎か根っこ」というフレーズはその後も繰り返し登場する(H12/8/9上申書、H12/8/10上申書、H12/9/11警察官調書、H12/9/12警察官調書)。

ようやく10月6日になって、八木が細野荘で「カブト」と言ったという話になる(H12/10/6上申書)。しかし、ペットボトルに「トリカブトが入っている」と八木が言ったというエピソードはまだ出てこない。

ペットボトル入りのコーヒーは8月10日の上申書に現れるが、その中身について八木が発言したという話はない(H12/9/11警察官調書も同じ)。それから2ヵ月半経った10月31日に至って、八木が「飲んだら死ぬぞ」と言ったというエピソードが登場する(H12/10/31上申書)。しかし、それでもまだ「トリカブト」は出てこない。同じ趣旨の供述はその後も4度繰り返される(H12/11/13検察官調書、H12/11/14警察官調書、H12/11/22警察官調書、H12/11/22弁解録取書)。

公判証言に近い会話が出てくるのは実に12月7日である。その日付の検察官調書のなかで、考子は、八木が「いろいろ入っているけど、カブトも入っているよ」と言ったというのである(H12/12/7検察官調書。強調は引用者)。

八木が「トリカブトを入れている」と言ったという公判証言と同じ供述が出てくるのは平成12年12月9日である(H12/12/9検察官調書)。

八木が「カブト」と言い、「トリカブト」と言ったというのが本当だとすれば、このような考子の供述の変転は一体どう説明したら良いのだろうか。さいたま地裁判決の説明を見てみよう。

森田が共犯者の中で最も早く自白を始めたからといって,犯行のすべてにわたって細大漏らさず正直に供述するとは限らないのであって,現に森田自身,佐藤の死体を見たことについても,話すべきか否か2日間迷ったなどと証言しているのであるから,トリカブトについてもできれば供述したくないという思いに駆られる時期があったとしても何ら不自然なことではない。その後,捜査官とのやり取りから,既に捜査官がトリカブトのことを知っていると察知し,隠しても無駄であると考えて供述したというのも極めて自然な流れであって,供述経過に関する森田証言の信用性に疑念を容れる余地は乏しい。

考子は、8月1日の上申書で「佐藤修一を殺す相談をした」と言っているのである。「植物の茎か根っこの毒」で佐藤を殺す相談をしたと述べているのである。その8日後には八木と武が「パンに毒を入れ」て佐藤に食べさせて殺したと話しているのを聞いたと言っているのである(H12/8/9上申書)。ここまでのことを話した考子にとって、この毒の正体を隠すことに一体どんな意味があるだろうか。その毒がトリカブトであることを隠すくらいなら、最初から毒で殺したこと自体を隠せばいいじゃないか。

考子が「植物の茎か根っこの毒」としか言わなかったのは、彼女がそれ以上のことを知らなかったからである。先に検討したように、これに先立つ2ヶ月の間、白川刑事は考子に佐藤の死にまつわる事柄について「何でもいいから思い出してくれ」「思い出したら言ってくれ」と言って彼女を励ましていた。そして、6月30日には武まゆみが、佐藤修一にトリカブトの葉や根っこを微量ずつ与えていたという供述をはじめ、7月14日には八ヶ岳のトリカブト自生地を捜査官とともに訪れている。こうした情況を踏まえて、取調室の中であれやこれや思いを巡らしている考子に向かって、白川が

「何か植物の葉や根っこの名前を聞いた覚えはないか」

とヒントを含む質問をするということは十分にありえる想定ではないだろうか。考子はすぐには反応しなかったかも知れない。彼女は「1つずつ,本当に思い出していくしかない」「間違ったことを言ったら大変」という意気込みで記憶を辿る努力を必死で重ねていた(第33回公判証言)。決して裁判官が言うような、利害や打算で小ずるく事実を小出しにするような態度だったのではない。彼女にそのような芸当ができないこことは、平成11年の供述経過や平成12年3月逮捕以来の供述経過が雄弁に物語っている。

そんな考子にある日突然に何の前触れもなく「植物の茎か根っこ」という言葉がひらめく。

「たしか、『何々の茎か根っこ』と八木は言っていました。そう聞きました」

「何々って何なんだ」

「分かりません」

「そうか。例えば……例えばだぞ、これはあくまでも例として言うんだけどな、『なんとかカブト』って言ってなかったか?」

「うーん、分かりません」

「そうか。しょうがない。今日はこの辺にしておこう。疲れたろう。房に帰って休みなさい」

 

そして、またある日の夜中、房に帰った考子の脳裏に、突然、八木が「カブト」と言っている光景がありありと思い浮かぶ……。結局そういうことだったのではないだろうか。「ガラスのかけらを一つずつ拾い集める」という考子の表現は、このようにして映像や音声の断片を収集して、断片と断片とを繋ぎ合わせる作業を指しているものに他ならない。武まゆみの平成13年証言や彼女の獄中日記は、本件において、このような取調べ方法が日常的に行われていたことを十分に示している。

 

保険料の負担

 

考子は、八木に「保険金の中から500万円あげる」と言って誘われて、平成6年初めから1年余り毎月3万円を佐藤修一の生命保険料として八木に支払っていたと証言した(第29回公判証言)。しかし、この証言も彼女の捜査官に対する供述と大幅に食い違っている。平成12年3月29日、「八木や武まゆみは佐藤修一さんを何らかの形で殺しておいて保険金を騙し取ったのではないか」と表明した検察官調書のなかで、考子は佐藤の死と八木への月々3万円の支払いに関連するエピソードを語っている。やや長くなるが、その全文を引用する。

このようなこと[1]があって何日か経ち、私と八木とアナリエとまゆみがナイトレストラン「レオ」で話をしているときのことでした。

私がそろそろ帰ろうと思っているとき、八木が

「佐藤さんのことで話があるから」

と一緒にいるまゆみ達に切り出しました。

私は、佐藤さんの話であれば、私がわざわざとどまって聞くほどのことはないからこのまま帰ろうと思い、腰を上げました。

すると、八木が

「おめえ、何でけえるんだよ」

と大きな声で私を引き止めたのです。

私が

「だって関係ない話じゃないの」

と八木に言うと、八木は私を指さしながら

「おめえだって、保険入っているがやー」

と大きな声で言ったのです。

私は、びっくりして

「なにそれ」

と、一体、八木が何の話をしているのか聞きました。

すると、八木が

「おめえだって、佐藤さんに保険かけているがやー。毎月三万ずつかけていただろうが」

と言ったのです。

これには驚きました。

確かに、私はそのころ八木に毎月三万円ずつお金を預けていました。

けれど、これは八木が

「株に投資しないか」

と言ったから、私が株に投資して幾らかでも配当があれば儲かると思い、八木に頂けたものだったのです。

三万円という金額も、八木が

「毎月三万預けておけ」

と言ったからそのようにしていたのです。

私は、それ以前にも八木が投資していたセブンイレブンやどこかのレストラン関係の株に一口乗るといった格好で八木にお金を預けて投資をしていた時期がありましたから、八木が三万円ずつ株に投資しないかと持ちかけてきたとき、八木を疑うことなく毎月三万円ずつを預けていました。

ところが、八木の話では、その毎月三万円のお金が株ではなく、佐藤さんの生命保険の保険料として使われていたというのです。

私は、佐藤さんの生命保険の保険証書を見たこともなければ領収書も見せてもらったことがありませんでした。

ですからいきなり私が毎月三万円ずつの保険料を払って佐藤さんに保険をかけていたと言われて、何が何だかさっぱり訳が分かりませんでした。

ただ私が分かったのは、八木が私に嘘をついてこっそり私が佐藤さんに保険をかけていた形にしていたということでした。

私は、八木に騙されたと思い、

「だってあれは、株の金だったでしよう。何で佐藤さんの保険なの」

と八木にくってかかりました。

八木は

「うるせえ」

と私を取り合いませんでしたが、私は八木に騙されたことが我慢できず、八木に

「何で佐藤さんの保険になるのよ。私は関係ないでしょ」

となおもくってかかり、八木から

「余計なことをガタガタ言うな」

と叱られて、まゆみやアナリエの見ている前で八木から顔をぶん殴られました。

私が八木から殴られているのを見ても、まゆみやアナリエが平然としていたのを今でも覚えています。

 

翌日の調書でも、5日後の調書でも同じことが語られる(H12/3/30警察官調書、H12/4/3検察官調書)。すなわち、考子は、佐藤の生命保険料を自分が負担しているなどと考えていたことはなく、毎月3万円の八木への支払いは彼に誘われた株式投資の資金だと信じていたというのである。

この供述の変更について、考子は法廷で「捜査段階では,まだ佐藤さんのことはばれていなかったので,逮捕されていない以上,しゃべる必要はないと思ったから」嘘の話をしていたのだと釈明した(第29回公判証言)。しかし、考子は、この日の調書で、佐藤の生命保険金の中から名目で300万円、現金で150万円を「分け前」として受け取ったことを認めているのである。さらに翌30日の調書では300万円の中には「口止め料も入っていた」とまで言っているのである[2]。「分け前」や「口止め料」をもらった事実を認めるということは、自分も八木や武の仲間であることを認めることに他ならない。「ばれていないから隠す」という供述態度とはずいぶん違うだろう。事件への関与を意図的に隠すというのであれば、300万円を貰ったこと自体を隠せば済む。

法廷での考子の説明は、その他の多くの説明と同様に、現在の自分の立場に合わせて過去の自分の言動を歪曲して語るもの――ハインドサイト――の一つと見るべきである。

 

[1]佐藤が行方不明になった後、八木の指示で武まゆみらと一緒にタクシー運転手に聞いて回ったり、佐藤の行方を捜し歩いている八木たちのために坂東大橋のたもとに弁当を届けたり、アナリエと一緒に警察に捜索願を出しに行ったりしているうちに、佐藤の死体が警察に発見されたという知らせが入り、八木とアナリエが出かけていったという出来事を指している。法廷証言では、これらの出来事よりも前に、考子はレオで八木と口論となり殴られたことになっている(第29回公判証言)。

[2]考子は既に平成11年の任意取調べの段階で、佐藤修一が死んだときに「報酬」がきたと述べている(H11/6/22警察官調書)。
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