第6章 森田考子の証言

 

考子はなぜ渡辺荘に行ったのか

 

考子の証言によると、彼女がそのとき渡辺荘に行ったきっかけはこうである――レオで鹿野や川村の相手をしているときに、八木が戻ってきて、彼から「アンナを迎えに行くから、一緒に行こう」と言われた;それで八木のワゴン車に同乗して、渡辺荘に行った(第29回公判証言)。

そもそも、アナリエを渡辺荘に置いて来た八木が、レオに戻るなり彼女を迎えに行くというのが不自然である。そして、迎えに行くというのであれば、八木が一人で行けばよい。考子が八木と一緒に行く理由は全然ない。

「アナリエを迎えに行く」というのは口実で、八木は別の目的のために考子を誘ったのか?いやそんなことはない。考子の話によれば、渡辺荘の玄関前に車を止めた八木は、

「車にいていいよ」

と言ったのである(同前)。

さらに不可解なのは、その後の彼女の行動である。彼女の証言によると、八木に「車にいてもいいよ」と言われたが、彼女は八木の後を追って渡辺荘に入った。彼女はこのとき渡辺荘の中に佐藤の死体があるのを知っており、しかも、「佐藤さんはもがいて、苦しんで、何かをとろうとしたのか、もう死んでいた」とか、部屋の中が「へどまみれになっていた」などと聞いていたというのである(同前)。それにもかかわらず、「車にいてもいいよ」という八木の言葉も無視して、渡辺荘の玄関に足を踏み入れたと言うのである。そのような行動をとった理由として、考子は

「1人でいるのが怖いですから」

と言う(第33回公判証言)。彼女は幼稚園児ではない。33歳の女性である。そして、当時彼女は1戸建ての借家で一人暮らしをしていた。八木がアナリエを連れてくるまでのほんの数十秒から数分の間、車の助手席で彼らを待っていられないということがありえようか。

そして、考子は渡辺荘で佐藤の死体を目撃した。それだけである。彼女がそこででしたことは、それだけである。それ以外は何もしていない。八木から何か指示されたわけでも、何かそこで作業をしたわけでもない。「ぼう然と立っていただけ」「ボーっと立っていただけ」である(同前)。考子自身も、何で渡辺荘に連れてこられたのか疑問に思ったし、いまだに不思議に思っているというのである(同前)。

これほど不可思議な証言はない。初めから最後までおかしなことだらけである。取調べ期間中ずっと「渡辺荘の玄関から先は真っ暗」だった。考子は白川刑事の期待に応えてどうにか玄関の扉をこじ開けた。しかし、それは所詮無理に作られた記憶なのである。現実感のかけらもなく、考子は夢遊病者のように佐藤の死体の前に立ち尽くし、そして去っていく。

 

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