第5章 武証言のおかしさ

2 語られるべきことの欠落

 

真犯人ではない人が犯行を語る場合、供述者は、捜査官からさまざまな情報を与えられそれに迎合して犯行のディテールを組み立てていくことになるが、全てを捜査官に頼ることはできない。捜査官の方でも、一旦自白を獲得した後は、できるだけ供述者自身に細部を語らせようとするだろう。その場合、供述者は、実際に体験していないことを語るわけだから、物語の成立に必要な細部を想像でおぎなう必要が出てくる。しかし、人間の想像力には限界がある。後から供述を仔細に検討していくと、犯行を体験した真犯人であるならば当然に語るべきディテールがまったく語られないという事態が起こり得る。このような供述の欠如は、その自白が虚偽自白であることを示す一つの兆候であると一般に理解されている(渡部1982pp299‐300)。

誰が佐藤を裸にしたのか、誰が佐藤の体を拭いたのか

 

武は、ディナーショーからレオに戻ったあと、八木、アナリエと3人で渡辺荘に行き、佐藤の死体から黄色のスウェット上下を脱がせ、パンツ1枚の状態にして、体を拭いたと証言した(第6回証言調書)。ところが、佐藤の服を脱がしたり、体を拭いたのが誰なのか、わからないというのだ。

弁護人:で、ディナーショーから戻って、最初に渡辺荘に行ったときに、スエットを脱がせて、パンツ1枚にして体をふいた、そう証言されましたね。

武:してると思いますが。

弁護人:スエットを脱がせたという記憶は、いつごろよみがえったんですか。

武:よみがえったというか、先程も言ったように、佐藤さんの殺害場面というものは、全部をきれいに私は思い出せていません。そして、その佐藤さんの黄色いスエットを脱がせた場面というのは、多分、かなり汚れているであろうということは想像はできますが、その場面自体が全然思い出せないので、脱がせたこと自体も全然思い出せません。

***

弁護人:そうすると、この法廷で、スエットを脱がせて、パンツ1枚にして体をふいたというのも、それは記憶としてそれを覚えてるのではなくて、多分、そうだろうと。その程度のことだということですか。

武:多分、そうだろうというか、私たちがやったということは分かるんですが、実際に黄色いスエットを着ていた佐藤さんと、その後のパンツ1枚になっている佐藤さんを見た覚えはあるので。その途中が抜けているということですから、まるきり記憶にないわけではないんですが、ただ、その脱がせている動作の場面が浮かばないということです。

弁護人:体をふいている場面は。

武:場面は浮かびません。ただ、汚れているから、ふかないで置いておけるはずがないということから、ふいたということなんですが。

弁護人:何かタオルなり、ティッシュなりを持って裸の体をぬぐっている、そういう情景は、全く思い浮かばないんですね。

武:はい。

弁護人:そうすると、だれがスエットを脱がせたかも、あなたは分からないんですね。

武:はい。

弁護人:誰が体をぬぐったのか、それも分からないんですよね。

武:はい。

弁護人:あなたの現在、記憶していることは、2度目に渡辺荘に行ったときには、佐藤修一さんがパンツ1枚の姿になっていたと。そういうことだけですか。

武:場面とすると、そうなりますが。(第22回証言調書)

 

これは不思議な証言である。武は、その前後の状況を克明に証言している――八木が布団をめくって佐藤の左首に右手をあてて脈を見る動作をして、「動かねえ」と言ったとか、脱がせたスウェットをビニールのゴミ袋に入れたとか、布団の位置をずらせて、八木に指示されて、掃除をした、と。しかし、事柄の性質上最も鮮明に記憶している筈の、死体の衣服を誰が脱がせたか、誰がどうやってその死体を拭いたのか、については「覚えていない」というのである。

切り取った後の革ジャンの襟と袖口

 

武は、佐藤の死体に革ジャンを着せる際に、襟と袖口を切り取ったと証言した。けれども、切り取った襟や袖口の部分をどう始末したかについては全く説明していない。佐藤の死体に着せた革ジャンから切り取った襟と袖口は、犯行の重要な証拠となりうる。本当に八木や武が革ジャンの襟や袖口を切り取る場面に居合わせたなら、切り取った後の襟と袖口の処分について重大な関心をもつだろう。武はその襟と袖口をどうしたかについて詳細に語って然るべきである。ところが、武は全く語っていない。捜査官は、佐藤が遺体で発見されたときに着ていた革ジャンの写真を見て、その襟や袖口がないことに気づき、その説明を武に求めたであろう[1]

武は「革ジャンの襟と袖口を切った」という「記憶」を甦らせた。しかし、それは武の想像力の産物に過ぎない。だから、切り取られた袖口や襟の部分をどう始末したか――それは実際に襟と袖口を切った犯人ならば必ず記憶にとどめ、語ることができる部分である――を語ることができないのである。

ニチイのレシート

 

武の証言によると、犯行のアリバイのための道具の1つとして、昼間ニチイで買い物をし、その際にレシートをとっておくことを彼女が提案し、八木がこれを採用して、実際に武とアナリエは当日ニチイに買い物に行ったと言うことである。それが本当だとすれば、ニチイで買い物をした際のレシートをその後どのように扱ったかについて彼女が忘れるはずはなく、彼女はそれを詳細に語って然るべきである。例えば、武が語る八木茂像(「確認好きの八木さん」)からすれば、八木は武がレシートをもらってきたかどうかを必ず確認するはずであるし、そのレシートをどのように保管するかを指示するだろう。武はそれを語れるはずである。ところが、武は、レシートの取り扱いについて全く語っていない。正確に言えば、検察官の主尋問では、レシートをもらったことすら証言していない[2]

そして、このレシートはどこからも発見されていない。このレシートは、そこに刻印された時刻に武やアナリエがニチイにいたということを示すもの、すなわち八木や武らの計画におけるアリバイの証拠であるはずである。少なくとも渡辺荘事件について嫌疑をかけられる可能性が全くなくなるまでは、いつでもアリバイ証拠として使えるように保管しておかなければ意味がないものである。犯罪を示す証拠ではなく、犯罪を否定する証拠なのだから、それを隠滅することはありえない。だから武証言を前提にすれば、このニチイのレシートは武か八木が大事にどこかに保管しているはずなのであり、捜査機関が捜索を行えば必ず発見されるはずなのである。逆に、嫌疑をかけられる心配がなくなったので処分したというのであれば、それまでどこに保管していたのか、いつどうやって処分したのか、が語られるはずである。しかし、武の証言にはその話もまったく登場しない。

この問題についても判決は、武に肩入れして、武のためにさまざまな弁解を用意した。

[武は]殺害行為を行うのとは別の時刻の行動についての証拠が犯行のアリバイになることはないと考えていた形跡もあるので,武自身はもともとレシートについてそれほど高い関心を有していなかったとしても不自然ではない。一方,レシートをもらうことを提案したのが武であったために,被告人もまたレシートにそれほどの関心を有していなかったと考える余地がある。

仮に,被告人らが,事件直後に捜査機関からアリバイを尋ねられていれば,被告人がレシートのことを思い出して武に確認したかもしれないが,実際には,佐藤の死は当時自殺として処理されているから,被告人らが,レシートに対する関心を失ったままこれを放置し,時間の経過とともにその後散逸したとしてもやむを得ないというべきである。

 

アリバイのためにレシートをもらうことは武が提案して八木が採用し、八木は武とアナリエに「レシートをとっておけ」と指示したというのである。どうして、武と八木がレシートに「関心を有していなかったと考える余地」などがありえようか。確かに佐藤の死は自殺として処理された。しかし、それは武が語る「トリカブト殺人」の2週間以上も後の話である。レシートの話が本当ならば、少なくとも、その間は武か八木がレシートをどこかに大切に保管していたはずである。そのことが語られないということは、レシートの話がそもそも虚構だということに他ならない。裁判官の頭の中にはこちらの方向でものごとを「考える余地」というものがないらしい。

トリカブトの分解に使ったハサミ

 

武は、平成5年9月に美濃戸から採取してきたトリカブトを解体する際に、自分の家にあった「裁ちバサミのようなハサミ」を使った、それは自分のもので、どこの家にもあるような普通のハサミだった、と証言している(第3回証言調書)。武の証言が本当であり、このハサミが捜査機関に押収され、それを鑑定すれば、そこからトリカブトの成分が検出されるはずである。もし、検出されれば、武とトリカブトを結びつける重要な証拠となりうる。だから警察はこのハサミを探したはずである。警察はハサミを見つけたのか、見つけられなかったのか、それは不明である。いずれにしても、このハサミは証拠として提出されていない。

それどころか、そのハサミをその後どうしたのかについて、彼女は全く語っていないのである。武の証言が真実であれば、このハサミが犯罪の証拠となりうることは彼女も意識するはずである。そうであれば、例えば、このハサミを使った後どこに隠していたとか、最終的にどこかに捨てたとか、このハサミの行方を語って然るべきである。武がそのことを全然語らないということは、自宅にあった裁ちバサミでトリカブトを解体したなどという事実が存在しないからではないだろうか。武は、そのような経験をしていないから、それを語れないのである[3]

 


[1] 武ノート9冊目:11/20によると、武は襟の切られた革ジャンの写真を見せられている。

[2] 弁護人の反対尋問で、ニチイでの買い物のことを思い出す過程を問われたときに、「まずレシートをもらって、そのレシートを取っておいたということを先に思い出しました。」と証言している(第21回証言調書)。

[3] 武は、捜査段階では、「裁ちバサミ」ではなく、「花切りバサミ」を使ったと供述していた(H12/10/20警察官調書)。どんなハサミを使ったかについてさえ供述が変遷しているのである。

itsuwarinokioku_line

Comments are closed