第4章 捜査と公判の間

3 捜査と公判の間

 

さて、武の自白は捜査官の前でなされただけではなく、八木の公判で裁判官の前でもなされている。この事件において、捜査官の前でなされた自白と裁判官の前でなされた自白とで取扱に差を設けるべきであろうか。さいたま地裁の裁判官たちは、この両者には差があるという。

弁護人の主張する,検察官による武に対する偽計,脅迫および量刑を巡る約束等は,まず捜査段階における捜査手法を問題とするものであるところ,武の捜査段階における供述調書については,当裁判所は,同人の供述経過を知るための証拠として採用したにすぎず,犯罪事実の存否を判断するためのいわゆる実質証拠として採用したわけではないから,武の捜査段階における供述調書自体に証拠能力が認められるか否かは,本件においては直接問題とならない。

 

そして,武の当公判廷における証言についてみると,武は,当公判廷に証人として出廷し,宣誓をして,供述拒否権を告げられた上で証言したものであって,その過程に任意性を疑わせる事情はないといえるから,武証言の証拠能力は当然に認められるのであって,弁護人の主張する,偽計,脅迫および量刑を巡る約束が行われたか否かという問題は,それにより武が捜査段階において虚偽の自白を行い,当公判廷においても,その影響下においてそれと同内容の証言を行ったのでないかという問題に帰着するが,これは武証言の証拠能力の問題ではなく,信用性の問題として検討すべきである。

確かに、裁判官は武を脅迫したわけではない。裁判官は武が法廷で証言する前に彼女に黙秘権を告げている。しかし、だからと言って武の公判での自白について「任意性を疑わせる事情はない」と言い切れるだろうか。そして、捜査段階における佐久間検事らの数々の違法行為の「影響下においてそれと同内容の証言を行なったのではないかという問題」は、「証拠能力の問題ではなく、信用性の問題 」というべき事柄なのだろうか。

われわれはそうではないと考える。武の公判廷での自白は決して任意になされたものとは言えず、佐久間検事らの違法行為が継続している渦中でなされたものであり、そして、この影響力の問題は証拠能力の問題に他ならない、と考える。

 

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公判廷での自白

 

公判廷は取調室と違って公開の場であり、誘導や脅迫的な尋問方法が行われることは通常はない。だから公判での自白には任意性が推定される、というのが一般的な考え方である。だから、公判廷での自白の証拠能力を否定する先例はあまりない。しかし、そのような例が全くないわけではない。これまでに公判廷での自白の証拠能力を否定した最高裁判所の判例が3つある。

1つは、逮捕以来109日間拘禁され、終始犯行を否認していた被告人が控訴審の公判で初めて自白したというケースである。最高裁は「[被告人には証拠隠滅のおそれも逃亡のおそれもなく]あれ程長く拘禁しておかなければならぬ必要は、どこにもないではないか。ただ被告人が犯行を否認してるばかりに、――言葉をかえていえば被告人に自白を強要せんがために、勾留をつづけたものと非難せられても、弁解の辞に苦しむのではなかろうか」と述べて、この公判廷の自白は憲法38条2項が禁じる不当に長い拘禁の後の自白であるとした(最大判昭23・7・19刑集2‐8‐944)。

2つ目は、逮捕から6か月と10日間拘禁され終始犯行を否認していたがその後の控訴審の公判で自白したケースである。自白後の公判廷で被告人は「病気を1日も早くなおすために家庭に帰してください」と訴え、その後保釈が認められた。最高裁は「被告人が原審公判廷でした自白は、まさに憲法38条2項にいわゆる不当に長く拘禁された後の自白に当たるものというべきであ[る]」といってこの自白の証拠能力を否定した(最大判昭24・11・2刑集3‐11‐1732)。

そして、3つ目は、15歳の少年を勾留の必要のない別件(恐喝)で勾留した上、放火罪の取調べをし、約7か月経過した公判中に少年が放火の自白をしたというケース。ここでも最高裁は、不当に長い拘禁の後の自白に当たるとして証拠能力を否定した(最大判昭27・5・14刑集6‐5‐769)。

下級審の判例をみてみると、神戸地裁昭和50年4月11日判決が、証人があらかじめ自分の供述調書を閲読してその影響の下で行なった証言の証拠能力を否定している(神戸地判昭50・4・11判時793‐109)。

要するに、公判廷で、供述拒否権を告げられた上でなされたというだけで、供述の任意性の問題が全て解消するとは言えないのである。供述するに至った状況の如何によっては、公判廷での自白の任意性に疑いが生じることはあり得るのであり、その場合にはその供述の証拠能力は否定されなければならない。

反復自白

 

この問題を考える上で参考になるのは、いわゆる「反復自白」の問題である。これは警察から暴行や脅迫など不当な取調べを受けて自白した後に、今度は検察官の前で同じ自白をしたという場合に、検察官自身は特に不当な取調べをしていないという理由で検察官に対する自白の証拠能力は認められるのかという問題である。判例を見てみよう。

最高裁昭和27年3月7日判決。
警察官が被疑者を畳と板の間の間に正座させて取り調べ自白させた翌日に、警察官立会いで検察官が調べ、自白を反復したというケース。最高裁は次のように述べて検事調書を排除した。

右検事の訊問は一両日に亘る警察における取調の翌日、その警察署から直接前記検察庁支部に連行されて行われ、その訊問の内容も司法警察官作成の意見書記載の犯罪事実を読み聞かせた上為されたものであることが分かる。しかも、その際護送の警察職員が付添っていて、自白を示唆したと被告人等が供述していることは前記のとおりである。されば、かような状況の下になされた検事に対する自白は特段の事情のない限り、同被告人等がその前日警察において長時間の肉体的苦痛を伴う訊問の結果した自白を反復しているに過ぎないのではないかとの疑いが極めて濃厚である。かかる疑いを打ち消すべき特段の事情は本件記録上これを発見することはできない。若しそうとすれば、検事に対する右被告人の自白と警察における長時間の肉体的苦痛との因果関係がないとは言い切れない、すなわち、右検事に対する被告人の自白も多分に任意性を欠くの疑いを包蔵するものと云わなければならない(最判昭27・3・7刑集6‐3‐387)

 

最高裁昭和32年7月19日判決(八丈島事件)。
令状によらずに警察の留置場に2週間以上違法拘禁されその間に警察の道場で刑事から殴る蹴るの暴行を受けて自白した後、正式の勾留状によって拘禁され、予審判事と検事の前でも自白したというケースである。

最高裁は次のように言って、予審判事や検事の前でなされた自白の証拠能力を否定した(最判昭和32・7・19刑集11‐7‐1882)。

たとえ、予審判事及び検事において被告人の取調にあたり細心の注意を払ったものとしても、被告人が予審判事による勾留尋問の際になした自白及びその直後に検事に対してなした自白が、その直前まで継続していた警察の不法留置とその間の自白の強要から何等の影響も受けずになされた任意の自白であると断定することは到底できない

 

最高裁昭和41年12月9日判決(宮原操車場事件)は、警察官が手錠をしたまま取り調べて得た自白の任意性には原則として疑いがあるとしたうえで、「検察官の取調についても、警察官の取調の際における影響が遮断されていることが認められない限り同様の問題がある」と指摘した(最判昭41・12・9刑集20‐10‐1107)。

 

三井誠教授は、一連の最高裁判例の趣旨を次のように整理している。

① 第1自白が不任意自白であるからといって、それ以後の取調べによって得られた第2自白がすべて 不任意となるわけではない。
② 第2自白が証拠として排除されるか否かは、それが第1自白獲得における違法の影響を遮断しているか否 かによって決められる。
③ 特段の事情がない限り、第1自白採取における違法は、第2自白との間に因果関係があると推定される。
④ 影響を遮断する特段の事情について、その存在の立証責任は検察官にある(三井2001、p101)

 

判例に現れた「反復自白」の例の多くは、警察で行なった自白を検察官の前で繰り返したという例である。それでは、この事件の武まゆみのように、検事の違法な取り調べによって行なった自白を裁判官の前でも繰り返した場合はどうなのか。

 

先に指摘したように、昭32年の最高裁判決(八丈島事件)は、検察官に対する自白だけではなく、予審判事に対する自白についても「取調にあたり細心の注意を払ったものとしても、被告人が予審判事の勾留尋問の際にした自白***が、その直前まで継続していた警察の不法留置とその間の自白の強要から何等の影響も受けずになされた任意の自白であると断定することは到底できない」と言って、証拠能力を否定した。

しかし、その26年後、昭和58年7月12日の最高裁判所第3小法廷の判決は、違法な別件逮捕をされて自白したのに続いて勾留裁判官の前でも自白したという場合について、勾留質問での自白の証拠能力を肯定した。

勾留質問は、捜査官とは別個独立の機関である裁判官によって行われ、しかも、右手続は、勾留の理由及び必要の有無の審査に慎重を期する目的で、被疑者に対し被疑事件を告げこれに対する自由な弁解の機会を与え、もって被疑者の権利保護に資するものであるから、違法な別件逮捕中における自白を資料として本件について逮捕状が発付され、これによる逮捕中に本件についての勾留請求が行われるなど、勾留請求に先き立つ捜査手続に違法のある場合でも、被疑者に対する勾留質問を違法とすべき理由はなく、他に特段の事情のない限り、右質問に対する被疑者の陳述を録取した調書の証拠能力を否定すべきものではない。(最3小判昭58・7・12刑集37-6-791)

 

この58年判決と32年判決の関係をどのように考えたらよいのだろうか。昭和32年判決は、三井教授が整理しているように、警察における違法な取調べは、「特段の事情がない限り」裁判官に対する自白の任意性に影響を与えると言っている。

これに対して、58年判決は、警察の逮捕が違法であったとしても、「特段の事情のない限り」裁判官の勾留質問は違法とは言えないと言っているのである。

自白の証拠能力が否定される場合には2つある。
1つは、その任意性に疑いがある場合である。
もう1つは、その自白が違法な手続を利用して得られた場合である。別件逮捕・勾留中の自白の証拠能力が否定されるのは後者の場合に当たる。

すなわち、昭和32年判決は、自白の任意性を問題としているのに対して、昭和58年判決は手続の違法を問題としているのである。任意性の問題は「特段の事情がない限り」後の手続に引き継がれるが、手続の適法・違法の問題は必ずしも引き継がれないということである。昭和58年判決で伊藤正巳裁判官は補足意見を執筆して、この点を指摘している(強調は引用者)。

ここにもいわゆる自白の反覆がみられるのであるが、一般に、第二次的証拠たる自白が第一次的証拠たる自白の反覆の外形をもつ場合に、第一次的証拠に任意性を疑うべき事情のあるときは、証拠収集機関の異同にかかわらず、第二次的証拠についてもその影響が及ぶものとみて任意性を疑うべきであるとしても、本件において、第一次的証拠につき、その収集が違法とされ、これが排除されたのは、前記のとおり、任意性には必ずしも影響を及ぼさない理由によるものであるから、単に自白反覆の故をもって、直ちに第二次的証拠を排除すべきものとすることは適切でない。

 

自白の任意性に関する問題は原則として後の手続にも影響が及ぶというのは理にかなったことである。警察官や検察官から脅迫や約束をされて一旦自白した人が、その後に裁判官の前だからと言って突然自由意思を回復すると考えるのは非現実的である。

昭和58年判決の後も、「反復自白」を理由に裁判官の勾留質問調書の証拠能力を否定した裁判例は幾つかある。

 

大阪高裁昭和61年1月30日判決(貝塚ビニールハウス事件)は、5名の被告人が警察官から暴行を受けて自白した疑いが濃厚であることを認定して、5名の警察官調書の証拠能力を否定したうえ、検察官に対する自白についても「検察官が被告人らに対して直接暴行、脅迫を加えた事実がないにしても、被告人らの検察官に対する各自白が警察官による不当な影響が遮断された状況の下でなされたものとは認められず、その任意性についても疑いがあるといわざるをえない」と述べてその証拠能力を否定し、さらに「V[その段階では否認していた被告人]を除く被告人らの勾留裁判官に対する各自白についても同様に考えざるを得ない」と述べて、勾留質問調書の証拠能力も否定した(大阪高判昭61・1・30判時1189-134。同じ事件で有罪が確定した被告人の再審無罪判決も同様の理由で勾留質問調書の証拠能力を否定している。大阪地堺支判平元・3・2判時1340-146)。

 

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公判廷での反復自白

 

さて、勾留質問は裁判官が行なうものだとは言っても、公開の法廷で行なわれる訳ではなく、勾留質問室という密室で行われる。そして、勾留質問は捜査官の取調べの間にはさまれた一瞬の出来事に過ぎないとも言える。

これに対して、公判証言は捜査から時間がかなり経った後に、しかも公開の場所で行なわれるのであるから、公判で捜査段階の自白が反復されたとしても、それが捜査段階でなされた違法な取調べの影響を受けているとは一概に言えないのではないか、と考える人もいるかもしれない。

しかし、過去の無罪事件を調べてみると、捜査官から違法な取調べを受けて意に反して嘘の自白をしてしまった被告人が、公判開始後もある時期まで嘘の自白をし続けていたという例がかなりある。

「豊橋一家三人殺し事件」の被告人は起訴から6か月経った第2回公判までは殺人の事実を全面的に認めていた(名古屋地豊橋支判昭49・6・12判時776-103)。

「総監公舎爆破未遂事件」の被告人のうち分離公判された1人は、1審判決直後まで自白を維持しており、控訴審になってはじめて犯行を全面否認した。もう1人は1審の第3回公判(起訴から4ヶ月後)まで自白を維持していた(東京地判昭58・3・9判時1078-28)。

「旭川日通所長殺害事件」では、被告人は、第5回公判まで(起訴からの期間は不明)自白を維持していた。確定した無罪判決は次のように述べている。

被告人に対する取調べは極めて過酷なものであり、それにより被告人の受けた肉体的、精神的疲労、痛手は相当大きかったものと考えられるうえ、被告人が旭川警察署留置場から旭川刑務所拘置監に移監されたのは本件殺人事件の第1回公判期日の後であり、また、***被告人には右の当時までいまだ弁護人に対する全面的な信頼感がなく、一方弁護人においても被告人から事実関係、取調べ情況、被告人の当時の心情等を十分聴き出していなかったことが窺われることなどの事情に徴すると、公判自白及び公判不利益供述が、弁護人の数回に亘る接見を経た後になされたこと、また、公判不利益供述は旭川刑務所拘置監に移監された後になされたことを考慮に入れたとしても、右供述の当時、被告人は前記の著しく不当な取調べの影響を受けていなかったとは認めがた[い](旭川地判昭60・3・30判時1171-148、161)

 

死刑判決確定から32年後に再審無罪判決を得た免田榮は、第1審の第1回公判では強盗殺人の事実を全面的に認める供述をしていた。
彼が自白を翻したのは起訴から3ヶ月経った第3回公判である。再審で無罪を言渡した熊本地裁八代支部昭和58年7月15日判決は、公判廷での自白でも免田が犯行当時マフラーやはっぴを着ていたなどと客観的な証拠と矛盾する供述をしていた点を指摘して、次のように述べた。

***そうすると、被告人はこれらについて第1回公判廷でも嘘をいっていることになる。公開の法廷で、弁護人もつき、手続的にも任意性、信用性が十分保障されているはずの第1回公判において、被告人が虚偽を述べたということは一体何を意味するのであろうか。捜査段階での自白の影響が約1ヶ月後の公判においても切断されていなかったと見ざるをえず、***やはり被告人が本件で逮捕され、睡眠不足の状態における取調べがこたえていたのではないかという事実を推測させるのではなかろうか。(熊本地八代支判昭57・7・15判時1090-21、92)

 

他に、第7回公判(起訴からの期間は不明)まで自白を維持した事例(名古屋高金沢支判昭61・3・30判時1208-141)、第1回公判(起訴から2か月)で殺人の事実は否認したが、事件当日被害者方に赴いたことがあるとの嘘の事実を認めていた事例(最1小判昭57・1・28刑集36-1-67「鹿児島夫婦殺し事件」)、嬰児の鼻腔部を閉塞して殺害したという嬰児殺の訴因を否認しながら、第1回公判(起訴の2ヶ月後)ころまで「私の足が子供の体に触れていたことは分かっていた」という虚偽の事実を供述していた例(浦和地判平元・3・22判時1315-3)などがある。

 

これらの事例から得られる教訓は、捜査段階において違法な取調べを受けて任意性のない自白をした被告人は、拘禁場所が変わったり弁護人がついたからと言って、取調べの影響から脱することができるとは言えないのであって、公判にいたっても捜査段階の違法な取調べの影響下で反復自白をすることが十分にありえるということである。

したがって、ここでも、違法な取調べの影響を遮断する「特段の事情」がない限り、反復自白の証拠能力は否定されるべきなのである。反復自白の問題を詳細に検討した三井誠教授も、警察―検察の間の反復自白の問題と捜査―公判の間の反復自白の問題は「理論的には同じである」と述べている(三井2001、p100)。

ところで、上に引用した事例は、いずれも、公判での自白についてその証拠能力を否定してはいない。その証拠能力を前提として信用性を否定しているのである。しかし、それはそれぞれの事件で弁護人が証拠能力を争わなかったからそのような判断になったのである。「反復自白」を理由にして公判廷での自白の証拠能力が争われた事例は実際にはほとんどない。公刊された判例集にはわずか1件あるだけであり、それは結論的には証拠能力を認めるものである。その判例を見てみることにしよう。

大阪高等裁判所昭和63年3月11日判決は次のような事案であった。恐喝で逮捕された2人の被告人は、当初いずれも犯行を否認していたが、2人の刑事から、パイプ椅子の上に正座させられたり、耳もとで名前を連呼されたり、取調室の机をひっくり返されたりして(そのため1人の被告人は前歯を折った)、結局自白した。その後起訴されたが、原審公判を通じて彼らは自白を維持した。原審で実刑判決を受けて控訴したが、被告人らは捜査段階の自白と原審公判での自白の任意性を争い、量刑不当の主張をした。しかし事実誤認の主張は控訴審の途中で撤回した。大阪高裁は、捜査段階における自白については任意性に疑いがあるとして排斥したが、公判での自白については次のように述べて証拠能力を認めた 。

***被告人両名は、昭和61年9月12日に、前示代用監獄から大阪拘置所へ移監され、また、同年12月2日には、いずれも保釈により釈放されたこと、しかるに、被告人両名は、大阪拘置所への移監後も、また、保釈による釈放後も、弁護人の在廷する法廷で、一貫して各公訴事実を認める陳述及び供述をしていることが認められ、右各被告人らの供述等のうち、少なくとも大阪拘置所への移監後のものは、警察における不当な取調べの影響を遮断された状況におけるものと認められ、他に、各供述の任意性を疑わせる事情は存しない。(大阪高判昭63・3・11判タ675-241、245)

 

この判決は、捜査段階における違法な取調べの影響が公判まで継続することを原則として承認したうえで、この影響が遮断されたと考えられる「特段の事情」――①警察の留置場から拘置所に移監されたこと、②保釈されたこと、③弁護人がいる法廷で自白したこと――があることを認定して、最終的に公判自白の任意性を肯定したのである。

 

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