第3章 武まゆみの証言と記憶

 

3 取調室を超えた武と検察官との交流

 

武は、平成12年10月初旬頃には八木と心情的に決別していたが、捜査の終盤になると、さらに進んで、八木への憎悪が掻き立てられ、このような醜い男に長い間惚れこんでいた自分が情けないと思うようになった。日記の中で武は「ただのHジジ」「ただの女好きのサギオヤジ」とか「中身のない、H好きのサギ氏」とか「人でなし」などと八木を罵った(武ノート10冊目12/20、12/23)。

他方、取調べ期間を通じて、武と佐久間との間に非常に強い信頼関係が築かれたことは明らかである。武は、自分の弁護人よりも佐久間の方を信頼した。例えば、村木弁護士に出す手紙についても、佐久間にあらかじめ読んでもらい、検事から「大丈夫だ」と言われて「良かった」とノートに書いている。手紙の「意味が通じない」などと佐久間に言われたら書き直すつもりだったとも書いている(武ノート10冊目12/2)。最終起訴(平成12年12月25日)の後も佐久間と連絡を取りたいと考え、「裁判が始まる前に、会って頂きたい」というメッセージも書いている(武ノート10冊目12/24)。

実際のところ、最終起訴後も武は鈴木刑事や佐久間検事と頻繁に会っている。起訴後も平成13年8月頃まで2、3週間に1回の割合で鈴木の取調べを受け、平成13年3月ころまで佐久間の取調べを数回受けている(武第19回証言調書)。同年8月初めころからは「証人テスト」ということで、検察側の主尋問の終了まで、繰り返し検察官の訪問を受けた。その訪問の頻度はほぼ連日であり、1日以上間が空くことはなかった(武第19回証言調書)。午前、午後、夕食後と行われることもあった(同)。主尋問が進行している間にも検事との「証人テスト」を行い、既になされた証言の訂正を行うこともあった(武第7回証言調書、第8回証言調書)。

武は検察官に「弁護士さんの反対尋問が始まってからも来て下さい」とお願いして、実際に、検察官はわれわれの反対尋問中にも連日のように尋問終了後の夜の時間帯や土曜日曜の休みの日に武を訪問し、2時間程度話し合いをしている(武第19回、第20回、第21回証言調書)。
武は自分の証言内容について、訪れた検事に「大丈夫ですか」と確認し、ときには検事から「あなた、それは偽証になるわよ」と怒られ、ときには「余り考えすぎないように」と励まされたり、不安を鎮めるために雑談をして気を紛らわせてもらったりしていた(武第19回、第20回、第21回、第24回証言調書)。

そして、検察官は、弁護人の反対尋問中にしばしば、異議に名を借りて尋問を遮り、武に対して質問への答え方を示唆するということを行なった。その例は枚挙にいとまがないが、1つだけ例を挙げる。

第23回公判において、われわれは武の平成12年7月27日付上申書を示して、そこに書かれている「自白の決意」は「あなたの本心だったのではないですか」と訊いた。検察官はこの「本心」という言葉が具体的ではないと言って執拗に異議を述べ、挙句の果てに、次のように発言した。

要は、弁護人が、この、八木さんの立場がもっと悪くなるということも承知でというところをお聞きになっていますが、平成12年7月27日当時の、武証人がどういうつもりで書いたのかということをお聞きになりたいのか、それとも、八木被告人の立場として、どう認識していたということをお聞きになりたいのか、あるいは、この当時、まだあんパン等の話が出てないわけですから、トリカブト事件の犯行態様の記憶との関連でお聞きになりたいのか、趣旨が不明であると私どもには思われました。(武第23回証言調書 強調は引用者)

 

武は、結局、これが「本心」であったことを認めたが、それは「記憶にふた」をしていたからだとか、「うそ発見器にはかかりたくない気持ちがあったので、その上申書を書いた」という弁解をしはじめ、7月28日の日記に「うそ発見器にかけられてもかまわない」と書いたのは「本心じゃない」と言うに至った。この武の証言態度が検察官の執拗な、明らかに理由のない、異議に名を借りた発言の影響を受けていることは明らかであろう。

さらに、検察官は、尋問の間中、武の答え方によって、大きくうなづいたり、眉をしかめて唇をすぼめるという動作を繰り返し行い、さらに弁護人の反対尋問中に小声でボソボソとつぶやいたりもしていた。武もそのような検察官の動作をしばしば伺いながら質問に答えていた。われわれは、このような検察官の態度に対して何度か異議を述べた。裁判長は公判中にそれを注意したこともあるし(武第5回証言調書)、公判終了後に(つまり記録に残らない形で)裁判長が「そういうことは止めなさい」とたしなめたこともあった。

武は、証言中に、佐久間検事に感謝の言葉を延々と述べ、さらに彼女のことを「大恩人」とまで言ってのけた(武第26回証言調書)。

武の証人尋問は平成13年10月26日に終了したが、その後も、検察官は拘置所に武を訪問している。平成14年3月15日に武自身に対する判決が確定するまでの間に、4人の検察官がそれぞれ2、3回ずつ、合計10回前後訪問しているという(武第86回証言調書)。また、武は、佐久間検事に10通前後の手紙を書いているという(同)。

ところで、武や八木を含む4人の被告人に対する第1回公判は平成13年3月30日に弁論を併合したまま行なわれた。この前々日(3月28日)に佐久間検事は武を訪問した。武は、佐久間に、自分の最大の関心事を尋ねた。「求刑はどうなりますか?」と。武は、これまでの佐久間の言動から考えて、勿論死刑求刑はありえないと考えていたが、無期刑ではなく、できれば有期刑になればいいと考えていた(武の茂樹宛手紙)。

しかし、平成12年11月以降佐久間から刑の話をされることがなくなっていたので、不安を感じて、検事に尋ねることにしたのである。佐久間は「裁判の進みを見て考える」と答えた。そして、「ぶっちゃけた話、村木先生は何と言ってるの、何か争うとか言ってるの」と訪ねた(武第86回証言調書)。
武は、罪状認否の際に読み上げる予定の原稿を佐久間に見せて、全ての事件について有罪を認めるつもりであることを約束した(同)。そして、佐久間は、八木の法廷での証言について言及し、「自分の仕事だと思ってやりなさい」と励ました(同)。

この一連のやりとりの意味は明瞭である。「求刑」「裁判の進み」「自分の仕事」。これだけで、武と佐久間の間ではお互いの考えが疑問の余地なく理解されたはずである。武がこれまでの自白を維持し、八木の公判で検事の望む証言をするという大仕事をやり遂げれば、検事は自分との約束をきっと果たしてくれるに違いない。武はそう確信したのである。

八木の公判での証人尋問が終わった後の平成13年11月に武に対する検察側の論告求刑公判が行われた。検察官は無期懲役を求刑した。その直後の手紙で、武は、自分が自白したから自分の命が助かったと述べ、佐久間検事に感謝した(同)。佐久間は約束を果たしたのである。

武に対する判決は平成14年2月28日に言い渡された。求刑どおり無期懲役だった。しかし、判決はその理由中で検察官の求刑態度を「わが国では許されない司法取引に道を開くものである」と言って批判した。その直後に公判に立ち会った星景子検事と佐久間検事の2人は拘置所を訪れた。彼女らは判決理由について怒りを表明し、星は「あの判決理由じゃ」と言って、武に控訴を進めた(同)。しかし、武は控訴せず、無期懲役刑は確定した。

 

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