第3章 武まゆみの証言と記憶

 

「記憶のふたをあけてくれて、ありがとう」

 

この一連の「記憶回復」の作業は、捜査官との共同で行なわれた。決して、武1人で行なったわけではない。捜査官は武に様々な情報を与えて、物語の獲得に協力している。いくつか例をあげる。

刑事や検事は他の人がこう言っているという情報を与えている:「考子は死体を見ている」「ゲロなどの掃除はアナリがしている」「考子の話はリアル[だ]」「考子は、まんじゅうにトリカブトを入れていたことも知っていた」「遺書は、私が、別荘に行く途中に、郵便局のポストへ出したと、川村が言っている」(鈴木刑事10月27日);考子が、八木と武が「なんで押えたんだ」「だってマスターが押えろって言ったから」と言い争っているのと聞いている(佐久間検事10月28日);「死体に服を着せるとき、私が手袋を配った」とアナリエが言っている(佐久間検事12月1日)など。

佐久間検事は、10月28日の取り調べで、考子の供述を非常に詳細に武に伝え、武はそれをノートに書き取っている。その内容は、6月1日に別荘で行なわれた会話から6月3日深夜のレオでの人の出入り、モップに関する会話にまで及んでいる。「考子の話」として伝えられた中身は、例えば、レオで武が「モップ持っていってよかったね」というのを聞いたことがあるとか、八木が「まみはすごいんだ。1人でかついじゃったんだ」というのを聞いたという、それ自体は多義的で、断片的な発言に過ぎない。しかし、この会話の端々から、死体を利根川に流すためにモップを持って行った話や死体を持ってワゴン車に運んだ話に結実していくのである。その意味で、この日の佐久間の情報提供は、武が渡辺荘事件の供述を完成するために、重要な役割を果たしている。

武は11月18日に佐藤の革ジャンパーの襟と袖口を切ったときのやり取りを思い出しているが(武ノート9冊目11/18)、それは「写真のえりを切った所を見て」そのことに関する会話を「聞いた覚えがある」と思い至ったのである。「えりを切った所」の「写真」というのは、平成7年6月に佐藤の遺体を発見した行田警察が撮影した5枚のポラロイド写真しかない(H12/10/30捜査報告書)。すなわち、捜査官は武にこのポラロイド写真を示して、佐藤修一の革ジャンパーの襟と袖口が切断されているという情報を与えて、彼女はそれに添う話を「思い出した」のである。

また、捜査官は武に対して「記憶回復」をすることが絶対に必要であるというプレッシャーをかけている。佐久間検事が、10月24日の取調べで、「自殺」供述を続ければ八木と同じ否認扱いになる(死刑になる)と言って、トリカブト殺人の完全な記憶を甦らせるようにプレッシャーをかけたことは、同日付の日記や手紙から明らかであろう。その後も、「このままいくと考子の話が一人歩きして、それが利用される。私は、その場合、すごく立場が悪くなると」話したり(鈴木刑事10月27日);「みんなの罪をしょっていく気か」とか(佐久間検事10月30日);「あなたしか知らないことを言う事が大事だ」(佐久間検事11月20日)などと告げて、記憶を一刻も早く甦らせて供述することが結果的に有利になること、逆に、記憶を甦らせないと、他の人の話に基づいて不利な事実が認定される可能性があることを捜査官は繰り返し示唆したのである。

さらに、佐久間検事は折に触れて、佐藤事件について完全な自白をすることが量刑上有利に働くことを示唆している。例えば、10月30日には武に対して、八木は死刑しかありえないが、武に対しては「差をつける」と言っている(武ノート6冊目)。

そして、取調べの終盤が近づくにつれて、佐久間検事は、武を、事実を語る証人と言うよりは、八木と対決する当事者に仕立てていく。法廷では「高野先生との対決になる」と言い(武ノート9冊目11/20) 、八木との戦いに「勝つ」ことが大切であることを武に自覚させようとしている。武も、それに答えて、「絶対に私が勝つ」とノートに書いている(武ノート9冊目12/6)。

12月半ば頃からノートには「ハートマーク」が多くなる。武の記した説明によると「私の思った事、考えた事、心の内を記したもの」である。12月以降の「ハートマーク」の記載をみると、自白ができて「人間として救われた」とか(武ノート9冊目12/5、12/7)、「どんな処罰もどんなに重くても受け入れる」とか(同:12/5、12/7)、罪を犯したことへの反省の弁(同12/13)、被害者への謝罪の言葉や弁償の方法(同12/5、12/13)、自白させてくれた検事への感謝の言葉(同12/5、12/7、12/8)、自白したことによる開放感(同12/6、12/8、12/12)などが書き連ねられている。これらは言うまでもなく検察官へ向けられたメッセージである。このころになってノートの裏表紙にマークの説明をつけたこと自体がそれを物語っているが、例えば、以前の記載では「検事」と言っていたのに、このころから「検事さんたちは」と「さん」付けにしている箇所が出てきたり(武ノート9冊目12/5)、内藤検事あてに「ごめんなさい」と書いたり(同12/7)、佐久間検事に「ありがとうございます」と書いたり(同12/8、12/12、12/13、武ノート10冊目12/24)、逆に、高野を批判したりしている(武ノート9冊目12/7、12/9)。

こうした検察官向けメッセージのなかに、渡辺荘事件の記憶の「回復」を手助けしてくれた佐久間検事への感謝を述べている箇所がある。

私は、自分で記憶にふたをしてしまう程の嫌な、そして、とても悪い事をしていた。今、その記憶のふたをあけて、よみがえらせる事ができて、本当に良かった。それもこれも、みんな佐久間検事のおかけだ。私の事を信じてくれた事が、とてもうれしい。私は、本当にとぼけていたわけではなくて、忘れようと思って、とじ込めていたのだと思う。
自白できずに、ウソをついて、黙っていた時もつらかったけど、思い出せなくて、自分としては、自分がやった事は話したいのに、思い出せないから、私がやった、と言えなくて、これもとてもつらかった。自分の意思とはちがう、自分は言いたいのに、覚えてなくて、いえない、やたら想像でしゃべれば、作り話になってしまう。一時はどうしようかと思った。頭は混乱するし、私は何?頭おかしいの?と、ちょっとパニクッた。でも、私は、必死に思い出す努力をして、最初にトリカブトを思い出した。***ちゃんと思い出さなければ、私も、ケッカン人間になっていたのかもしれない。本当に、思い出せて良かったと思う。長い時間がかかって、検事にも迷惑をかけたけれど、佐久間検事のおかげで、悪魔の女にならなくて良かったと思う。自分のやった事を正直に話す事は、勇気のいる事かもしれないけど、正直に話すのは、気持ちがいい事だ。私は、忘れていた事を思い出させてもらって、とてもさっぱりして、すがすがしい気持ちになれた。ありがとうございます。(武ノート9冊目12/12)

 

こうして10月24日の佐久間検事との再会によってもたらされた死の恐怖を契機として始まった「記憶再生」の作業は完成した。武は、佐藤修一は坂東大橋から飛び込んで自殺したんだという記憶を持ち、それが真実であると確信し、それを約4ヶ月間にわたって主張しつづけていたが、佐久間検事からそれは「科学捜査の結果」と矛盾する、その供述を維持すると八木と同じ否認扱いになる(すなわち死刑になる)と言われたことを契機として、自らの記憶に根本的な疑問を抱き、その後約2ヶ月間かけて、捜査官の協力のもとに集中的な記憶再生作業を行ない、ついに渡辺荘で佐藤修一にトリカブトを食べさせて殺したという「記憶」を確固たるものとして獲得したのである。自分が佐藤修一の自殺を確信していたのは、自分があまりにも恐ろしい罪を犯してしまったために、その記憶を無意識の世界に抑圧してしまったからだ――「記憶にふた」をしていたのだ!――という理論を武は信じたのである。

 

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