第3章 武まゆみの証言と記憶

八木との決別

 

武は5月22日以降にノート4冊を村木弁護士に宅下げしていたが、8月8日になって武のもとにこれを読んだ八木のコメントを記載したメモ(「八木メモ」)が届いた。そこには、風邪薬事件について嘘の自白をして、しかも、すべてを自分のせいにしている武に対する非難の言葉があった。「オレのことを愛しているなんて言ってほしくない」とまで書いてあった。捜査官の言葉を信じて、八木のために自白したと思っていた武は当然にショックを受けた。

***そうだったら、私はダマされたのか?ヤバイじゃん!!そんなウソつかれて、私の人生を変えちゃったんじゃ、どうするんだこれから、私は。マスターにイヤがられて、どうやって生きて行くんだよー!!
***
マスターは、無罪で争うと言う。絶対に意思を曲げないだろう。
私は本当、どうしたらいいのだろうか。どうしよう。どうしよう。
私の家族は、マスターのことは忘れてくれ、と言う。八木家と武家は仲良くやってるから、こわさないでほしいということだ。本当どうしよう!!(武ノート5冊目8/9)


***
ああ、どうしたらいいんだ、私は!!
***
私としては、マスターの言う通りにしたいと思っているが、それでいいものか、わからない。
***
マスター、私はどうしたらいいの?
二人の愛が終わる、なんてことになったら、私は、生きていてもつまらない。マスターのために、と思って、自白したけど、今のまま、裁判になったら、終わる、ということになってしまうんでしょ?やはり、私は、ケイサツ、検察に、だまされたのか。いいように、検察側のほしい証言をした、ということなのだろうか。できれば、前のように戻りたい。またつきあっていきたいと思っているが、私の方針を変えなければダメなのだろうか。(武ノート5冊目8/12)

 

武は、八木の愛をつなぎとめようと、八木宛の返信を書いて村木弁護士に託した。この手紙(武H12/8/18手紙)にも、佐久間検事や鈴木刑事の取調べの様子が克明に書かれている。幾つか拾ってみる。

私は検事に、朝から晩まで、何10回も「八木は死刑だ。もう生きて外には出さない」と言われていました。そして、「八木を助けられるのは、あなたしかいない。八木を死刑から救ってあげようよ」と、これも何10回も言われました。
***
検事にしても、刑事にしても、自分たちのストーリーと少しでもちがうと、調書にはしないし、監禁して、孤立させて、自分たちの思う通りの調書を作って、こんなのでいいのか、と思う。
***
検事に、関さんを殺そうとか死なせるとかは、1度も思ったことがない、と言ったら、検事は、殺そうと思うことが殺意ではない、死ぬとわかっているのが殺意なのだ、と言って、それを調書にしたのです。私は、殺そうと思って何かをすることが殺意だと思うのですが、そして、その時にもそのように言ったのですが、相手にされませんでした。***検事は、私に、考子やアナリエに殺意があったのに、あなたに殺意がないのはおかしい、とか殺意を認めないと自白じゃないから、あとで困るからとか言っていました。
***
検事は「考子が八木の言ったセリフを全部覚えていて、それを調書にしてあるから、あなたがいくら計画がなかったと言ってもダメで、あなたが知らないだけで、計画はあったの。考子はちゃんと1~10まで聞かされているんだから」と言って、検事の思う通りの調書にしてしまったのです。
***
佐藤さんの件については***刑事は、私がウソを言っている、と言っていて、考子の話とちがう、というので、まだ調書にできない、と言っていました。8月14日の調べの時に、刑事に「まだ、まみはウソをついている。まだ八木をかばっている。佐藤は当時1人では歩けない程弱っていたんだ。利根川までは、タクシーでなんか、行ってない。誰かが運んで行かなければ、1人ではいけない状態だったんだ。ちゃんと、そう言っている人もいるんだ。見た人もいる。あとで全部わかるんだから、もう何を聞いてもおどろかないから、本当のことを言え」と言ったので、私はウソは言ってないし、知らないことまで言えない、と言いました。

 

この手紙が八木に届けられることはなかった。もちろん、返事も来なかった。武はこの手紙の中で「私の心は、殿を守って、一緒にたたかって行きたい、と思っているし、また、以前のように戻りたいと思っています」言う。その一方で「今は、すごく悩んでいます」と、相反する気持ちをそのまま書いている(武H12/8/13手紙)。武は、8月末頃までに、村木弁護士と面会したり、妹清子に相談の手紙を送ったりして相談した。彼らも武に従前の方針で行くことがベターであるとアドバイスしている。

この一連のやりとりの前後を通じて、武の供述内容に変化はない。それまで自白していた風邪薬事件について否認に転じた形跡もないし、トリカブトの供述を撤回したり、偽装自殺供述を変更したこともない。

むしろ、八木メモを受け取った直後に、武はトリカブトの採取の経過やトリカブトを仕込んだまんじゅうを与えた経緯について、自ら上申書を提出ししたりして、次々に詳細な供述をしていくのである(H12/8/15上申書)。9月14日には捜査官とともに再び美濃戸を訪れている(武ノート5冊目9/14)。結局、武は、八木ではなく、佐久間検事を選んだのである。

武のノートには八木に対する思いを綴った独白ともメッセージともとれる記載が随所に見られたが、9月14日の「私は、本当はマスターと一緒にたたかいたい。死んでもいい」という記述(武ノート5冊目9/14)を最後に、そのような記載は見られなくなる。10月19日からはじまる6冊目以降のノートには全く八木に対する愛を語ったり、その行く末を心配するような記述はなく、八木はいわば物語の登場人物の1人として描かれている。そして、例えば「ダダダと同じになっちゃうって!」とか「ダダダもヒドイ!」という表現に見られるように、自分が八木と同一の扱いを受けるのを嫌い、むしろ別々に生きることを希望する表現が多くなる。

そして、10月末になると、八木から送られてきたメモを佐久間検事に披露することすらしている。佐久間は、例えば、それは「[罪を]しょって行け、オレはずっと待ってるから、と言う意味だ」とか「八木の指示だったと言わなければ、結婚するということ」だと武に解説してやり、「調書にしてやる」と言っている(武ノート6冊目10/30) 。これらのことからして、武は、遅くとも平成12年10月初旬までには、心情的にも八木と決別したと見るべきであろう 。

 

「あんパンの絵が浮かびました」

 

平成12年10月24日、武は久しぶりに佐久間佳枝検事の取り調べを受けた。そして、絶大な信頼を寄せる佐久間から衝撃的な事実を告げられる。その日の日記を見てみよう。

今日は久しぶりに検事調べだった。佐久間検事だ。
なんか、私は、訳が分からなくなってしまった。
ディナーショーの当日のことだ。みんなは、その日、ディナーショーに行く前に、トリカブトまんじゅうをあげてから、ディナーショーに行って、その後、死体を捨てに行った、ということらしい。私の記憶の中には、そんなことはなかったのに……。
でも科学捜査の結果はそうなんだって!!
私はヤバイらしい。このままだと、ダダダと同じになっちゃうって!!
私、人生投げた訳じゃないから、それはいやだ!!
ちゃんと、思い出さなくちゃだけど、ダダダもひどい!
私が全部やったって、誰かに話していると言ってた。(前に)
私がまんじゅうを無理矢理食べさせて殺したと。死体も私が一人でかついで川に捨てたと言ったんだそうだ。たぶん考子に……。
何で、そんな事を……。私は、なんで、覚えてないのか……。
自分で、忘れたくて、消したとしか思えない。その辺の前後の記憶だけが、スッポリとなくなってるんだから。
あと、私が、利根川へ行ったのは、なんだったのだろうか?

 

この日記の記載から取調でのやり取りを推測することは容易である。佐久間は、武に対して、ディナーショーの日(平成7年6月3日)に佐藤は坂東大橋から飛び下りたのではなく、「みんな」がディナーショーに行く前に佐藤にトリカブト入りまんじゅうを食べさせて殺し、ディナーショーから戻った後その死体を利根川に捨てたのである、と告げた。そして、それが「科学捜査の結果」間違いのない事実であると宣言したのである。そしてさらに、佐久間は、これまでのように「自殺」の話しをしていると、それは「ダダダと同じ」で「ヤバイ」ことになると警告したのである。「ダダダと同じ」とはどういうことか?言うまでもなく、それは「死刑」を意味する 。だから武は「私、人生投げたわけじゃないから、それはイヤだ!!」と絶叫したのである。

しかも、佐久間は、この恐ろしいトリカブト殺人を武が1人でやったと、武が1人で「まんじゅうを無理矢理食べさせて殺した」と、死体も武1人でかついで川に捨てたと、ほかならぬ八木茂が言っていると告げたのである。「ダダダもヒドイ!」武はそう叫んだ。武は再び死の恐怖と直面することになった。佐久間検事の発言の真偽を疑うことなど武には考えられない。武は、佐久間ではなく、自らの記憶を疑ったのである。「私は、なんで、覚えてないのか……」「忘れたくて、消したとしか思えない」「その辺の前後の記憶だけが、スッポリとなくなってるんだから」「私が、利根川へ行ったのは、なんだったのだろうか?」と。

この10月24日付で武は村木弁護士経由で妹宛に手紙を書いている 。この手紙は、佐久間検事と武とのやり取りをより詳細に記述している。

今日は佐久間検事と話していて思いました。まだ、思い出したわけではないのですが、このまま行くと全部私のせいにされてしまうと言われました。だから自分のやったこと、やっていないことをきちんと話さないと私はとてもヤバイのだそうです。検察は死因について完全に立証できる、水死ではなく死んでから水に入れたということです。それと、運ぶことは複数でやっていて私は覚えていないし、やっていないと思うのですが、その中に私もいたと言われていて、その日に私がまんじゅうを食べさせたことも分っていると言われました。でも、本当に覚えていないのです。それと、死体(水に入れる前の)を見せられた人がいて死んでいたことも事実だということです。それは孝子さんらしいのですが。あと逮捕されるよりずっと前のその当時に八木さんが(多分孝子さんに)全部話しているそうなのです。(まんじゅうのこと死体を運んだことなどを)私は毎日毎日何ヶ月も自殺だ、自分で飛び込んだと八木さんから言われていたために、そのように思い込んでしまったのかもしれないと今日佐久間検事に言いました。また、後で会って話したいので近いうちにきてください。
***
最初のページに書いたように(村木先生宛)ちょっと今私も大変なのです。ちゃんと思いだして話をしないとマジ、とんでもないことになりそうです。今のままだと死因と私の証言が違ってしまうので否認あつかいになってしまうのだそうです。それだと、この件はお金が動いているので、前の2件とは違い本当の意味で否認と思われてしまい社長と同じに扱われてしまうということです。でも私は否認しているわけでも、ウソをついているわけでもなく、事実を話したいと思っていたのですが、なんか違うようなのです。ちょっと混乱しています。私もやっていないことまでやったとはいえないので、よく思い出すことにしましたが、そのところがスッポリ消えているのです。可能性としてはまんじゅうは私があげたと思うのですが、それも覚えていません。自分で自分の記憶にふたをしてしまったのかなとも思えるくらい、きれいさっぱり覚えていません。それが原因で死んでいるのは間違いないらしいので、私だと思いますが…。
話は元に戻りますが、今日の検事調べで話を聞いたら今の状況だとマジヤバのようです。どうしよう~!まあ、この件は村木先生とちゃんと相談して検事とも相談してちゃんと事実を話そうと思っていますが私の頭の中にないのです。その記憶が…。覚えていればとっくに話しているのに、最初は私がとぼけていると思っていたようです。今日はそこの場所をちゃんと言ってきました。私は全然とぼけていないし、ウソをついているわけでもないとちゃんと説明しました。なんとか分ってくれたようですが、これからきちんと思い出さなければなりません。でも、思い出せるかなーというのが正直なところです。検事もそんなことあるんだねとびっくりしていましたが、裁判所でそんなこと言っても分ってはもらえないから今のうちに思い出すようにといっています。私も意識的にウソをついたりはしていないので、なんか記憶のすり替えをしてしまったようなのです。ややこしいのですが、村木先生と会った時にきちんと細かく話すのでそのことを後で村木先生から詳しく聞いてください。
あと、ヒバリ[森田考子]の事ですが、ヒバリだけは、かほる[母親]と会えるんだそうです。正直に話しているからと言う理由だそうです。これも今日聞きました。
人のことどんどん言って今も私はヒバリの証言でこんなことになっているのに。みんなでよってたかって「まみがやった。それもまみ。」とか言ってるんだって!(今の騒がれていること)

 

この日に作られた検察官調書には、平成7年6月3日に渡辺荘でトリカブトの根を刻んで入れたあんパンを佐藤に食べさせた;これが佐藤にトリカブトを与えた最後であり、八木から「一杯入れろ」「2倍入れろ」と指示されたと書いてある。けれども、先に引用したように当日の日記や手紙には、このような記憶があるとの記載はなく、「その辺の前後の記憶だけが、スッポリとなくなってるんだから」「自分で自分の記憶にふたをしてしまったのかなとも思えるくらい、きれいさっぱり覚えていません。」としか書いていない。

2週間後に作られた検察官調書によると、この日検事から「佐藤が利根川で死んでいないことを立証する」と言われたり、「考子さんが別荘でディナーショーの日に佐藤さんを殺す打合せをしたと話した、ディナーショーの前に佐藤さんにトリカブトを食べさせたのではないか」と言われてもピンと来なかったが、「生きている佐藤さんに最後に食べさせたものの記憶をたどりなさい」と言われて、

私は、検事さんの前で目を閉じて考えました。何分も考えました。生きていた佐藤さんに最後に食べさせたものを一生懸命に思い出しました。
すると、頭の中にパッとあんパンの絵が浮かびました。そのあんパンは、ビニール袋に入った比較的薄い感じの安っぽいあんパンでした。
もっとも、この時私の頭に浮かんだあんパンが、実際に私が佐藤さんに食べさせたあんパンそのものというわけではなく、私が平成7年6月3日に佐藤さんに食べさせたあんパンはトリカブトの根っこがたくさん入り、しかも、食感がごまかされるように、つぶあんであんこの多いものを選んだ記憶があります(武H12/11/7検察官調書)。

 

という。武は、検事の前で目を閉じて何分も考えたら、頭の中にパッとあんパンの絵が浮かんだというのである。そして、それに続けて、それがディナーショーの日のことであること、トリカブトの量がいつもの2倍くらいであることなどを思い出し、さらに、検事から誰の指示なのか「自分でやったことの責任を自分でとらなければならないかわりに、他人がやったことまであなたが責任を負うこともないのだから」と言われて、「八木さんの指示」であったことを思い出したというのである。

本当にこのようなプロセスを経てこのようなことを想起できたのかは、調書の記載だけから判断するのは危険すぎるだろう。当日の日記や手紙では、先に引用したように、この出来事の記憶が全くないと述べられている。武は翌日の日記にも「なんか、頭の中がグチャグチャになっちゃったみたいだ。何が本当のことで、現実なのか、わかんないや。どうしたらいいんだろう」と書いている(武ノート6冊目10/25)。いずれにしても、調書の記載は「八木の指示で、ディナーショーの日に、佐藤修一に、いつもの2倍くらいのトリカブトの根を入れたあんパンを食べさせた」という極めて抽象的な話であり、その結果佐藤がどうなったのかとか、佐藤の死体をどうやって利根川まで運んだのかなどについては、抽象的にすら一切記載がない。

供述調書というのは、被疑者が述べたことをそのまま速記にとったものではない。それらしく被疑者のモノローグが書かれているが、それは被疑者の言葉ではなく、取調官の作文なのである。そして、佐久間は武の取調べをする前日に考子の調書を作っているのであり、その調書をもとにこのような内容の武の調書を作り彼女に署名させることは造作もないことであったであろう。

はっきりしているのは、佐久間検事から、佐藤が利根川に飛び込んで死んだのではなく、ディナーショーの日にトリカブトを食べさせられて殺されたことが「科学捜査の結果」である、今までと同じ供述を続けると八木と同じ運命をたどることになると告げられたことによって、武は自分の記憶に対する自信を完全に喪失し、精神的に混乱してしまったということである。

 

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