第3章 武まゆみの証言と記憶

自殺とトリカブト

 

5月30日に森田殺人事件が起訴され、連日の取調べは終った。別れ際に佐久間検事は武に「あとで思い出したことがあったり、相談したいことがあったら、いつでも呼んで下さい」と告げた(武ノート4冊目5/30)。

6月に入って取調べがなくなり、武は暇を持て余す。「何だかんだ言ったって調べがあった方がいい」などとノートに書いている(武ノート4冊目5/31)。そうした中にあっても、八木が依然自白しないことについての心配を武はノートに書いている。

もしかしたら[佐藤事件での]再逮捕もあると言っていたけど、私は、それは大丈夫みたいだ。そのことについて、調べはあるかもしれないけど。再逮捕されるのは、マスターとアナリエだろうと思う。マスターは、その再逮捕されると、いよいよ命がないかもと検事が言っていた。保険金殺人の場合、1人でも無期か死刑を求刑されると言ってた。まして、否認ということになると、求刑が死刑になる可能性が高い。***マスターは、マジ、ヤバだゾ。求刑をするのは検事なんだから、同じ自白するなら検事にしておいた方が、求刑がいくらかよくなる。その辺のことよくわかってるだろうに。どうして、少しでも刑を軽くしようとしていないのか。私は、マスターのために自白したのに、私が自白すれば、マスターもあきらめて、自白すると思っていたのに。そうすれば、せめて、死刑だけはまぬがれると思ったのに。求刑が無期なら、自白していれば、有期の判決になるかもしれないのに。そうすれば、生きて外に出られる可能性が出てくるのに。本当にこのままいったら、ヤバイゾ。***私は、もう自白しちゃったから、それなりの刑になるとかくご[覚悟]しておけばいいけど、マスターは、無罪になれると思っていて、死刑じゃ、かくご[覚悟]してないどころか、お金使って死刑じゃ目も当てられないじゃん(武ノート4冊目6/3)

 

この段階で、武は、自分は佐藤修一事件について再逮捕されることはない、自白しているので刑も「それなりの刑」に止まるだろうと予測していたのである。留置場の同じ房の人間に「私は10年くらいと思っている」「10年前後と思っていた方が、ショックを受けない」と話したエピソードが日記に記載されている(武ノート4冊目6/15)。

佐藤事件をめぐる動きは6月中旬から始まる。まず、同月13日に鈴木春美刑事が東松山署を訪れ、武を取り調べる。鈴木は「別荘での真剣な話」「当時の佐藤のこと」「佐藤の手紙のこと」を思い出すように武に告げた(武ノート4冊目6/13)。「別荘での真剣な話」については、既に5月29日付で佐久間によって調書化されている。それによると、平成7年6月にサンパレスのディナーショーに行った後レオの営業が終わってから東秩父の八木の別荘にみんなで行き、八木がアナリエになにやら真剣な話をしていて、武がタバコを吸おうと思って立ち上がったところ、八木にひどく怒られたという話である。このとき武は佐久間に「話の内容を思い出せません」と述べている(武H12/5/29検察官調書) 。

この鈴木刑事の取調べの翌日に武は村木に連絡をとり(武ノート4冊目6/14)、6月16日に村木に「佐藤さんの一件について」話すべきかどうかを相談し、村木から「かくしていると、私に悪く作用する」ので「話したほうがいい」というアドバイスを受けた(武ノート4冊目6/16)。そして、武は鈴木に連絡をとって、6月20日にその話をする(武ノート4冊目6/20)。この「佐藤さんの一件」とは、佐藤修一に自殺したことにして保険金を騙し取る話を持ちかけ、佐藤をその気にさせて、6月3日の夜に坂東大橋から利根川に飛び込ませたという話し(「偽装自殺供述」)である。武は、その状況をノートに詳細にメモしている。

佐藤が、自殺したということを、八木さんが言っていたのは、八木さん自身が、それを知っていたからだった。
八木さんは、佐藤さんに、自殺、というか、自分で利根川に飛び込ませたのだ。だから、利根川だったことも、自殺だったことも知っていた。
自殺をさせた、というか、八木さんが佐藤さんと、話していたのを聞いていた。八木さんと佐藤さんの話は、
「佐藤が、利根川に飛び込んで、死んだことにする。そして、保険金を引き出して、2人で使う。」
というものだった。
佐藤は、泳ぎが達者だから、大丈夫と言っていた。皮ジャン[ママ]を着ていたのは、水につかっても、寒くないようにと、佐藤さん本人が、皮ジャンを選んで着る、と聞いた。だから、八木さんと私は、佐藤さんが、いなくなった時、皮ジャンを着ていたことを知っていたのだった。あと、打合せでは、利根川まで、タクシーで行くように、とのことだった。だが、実際は、利根川の土手あたりまで、私が乗せて行った。それから、坂東大橋から飛び降りる、ということだった。人に見られるように、ちゃんと、目げき者を作って、飛びおりるように、ということだったが、私は、佐藤を車からおろして、橋を渡って、Uターンしてきたが、橋の上どころか、佐藤の姿をそのまま見なかった。いなくなったのだった。私は、そのまま、店まで(レオまで)帰った。そのことを八木さんに報告した。八木さんは、どう思ったかは知らないが、私は、佐藤は、本当に利根川に飛び込んだのか、わからないので、どこかへ、いなくなったのか、不思議だった。
そして、八木さんは、佐藤さんを、さがさないと、ケイサツにも変だと思われると思って、さがしたのだった。タクシーに聞いたりしたのは、佐藤さんと八木さんとの当初の約束だったから、ということで、聞いたのだ。
佐藤の手紙は、佐藤が書いていたのを見た。レオで書いていた。文面までは、わからないが、店の中で書いていたと思う(さだかではない)。
だから、八木さんは、水死を自殺、と言ったのだった。(武ノート4冊目6/17)

 

八木さんと佐藤の話
八木さんから持ちかけたと思う。
「死んだことにして、保険金をもらって、楽にして暮らせば、借金も返せるし。***」
こんな内容のことを言った。佐藤はのり気で聞いていた。
「佐藤さん、泳ぎはできるかい?」
と八木さんが聞いた。佐藤さんは
「うん。かなり泳げる方だ。」
と言った。いわゆる「かっぱ」だと言った。
***
八木さんは、目げき者というか、証人にするため、佐藤に、利根川までタクシーに乗って行った方がいいと言った。でも、佐藤は、実際、タクシーには乗らなかったのではないかと思った。それは、タクシーに聞きに行って、誰も知らないと言われたからだった。
それと、結局、利根川までは、私が乗せていったのだし、タクシーで行ったのだったら、私が乗せて行くことはなかったと思うのだけど。
***
八木さんに言われて、私が乗せていった。利根川の土手の所だったと思う。いなか道を通って行って土手の所に出た。そしておろした。それから、私は、普通の道へ出ようと思って橋を渡った。(伊勢崎方面に向って)すぐにUターンして、本庄方面を[ママ]帰ったのだが、その間、佐藤は、見かけなかった。その時、私は、どこへ行ったのかなと思った。あまり気にせずに、そのまま帰ってレオへ行った。これがサンパレスへ行った日のことだった。考子はこの日夜おそくレオへ来た。(武ノート4冊目6/18)

 

武は6月20日にこの話を鈴木にした。このときの鈴木の態度は、武の話を嘘と決めつけるものではなく、「もっと、その話をつめる」というニュートラルなものだった(武ノート4冊目6/20)。むしろ、和やかに、八木が武ののろけ話をしていて、武が自白しても八木は「全然おこっていない」と告げている(同前)。

しかし、その二日後には鈴木は武に「今いち***信用性にかける」と告げた。武は当日の日記に「私に、感違い[ママ]はあっても、ウソはないのに」と書いている(武ノート4冊目6/22)。そしてその翌日の日記にはこう書いている。

 

自殺の件にしても、刑事たちは、誰かがつきおとした、と思っているようだ。ちがうと言ってるのに。八木さんが、あの日別荘に行ってから、誰かと連絡をとったと言っているのだけど、それは、川村が言っているらしい。私には記憶がないのだけど、それで、誰かにたのんで、結果を聞いた、ということのようだ。それはないと言ってるのに。私が八木さんをかばっていると思っているらしい。(武ノート4冊目6/23)

 

このころ武は、佐藤にトリカブトを継続的に与えていた話をする決意をする。6月23日に村木弁護士に相談して、話すことを決め、6月30日に鈴木刑事に話をした。鈴木はこちらの方の話は即座に調書化した(武H12/6/30警察官調書)。一方、佐藤修一が利根川で自殺した話については、鈴木は「自殺とは認めない」と突っぱねた。武は「八木さんが、他の人を頼んだとは思えないから、自殺にまちがいはないと思う。刑事は殺人の方がいいのだろう」と日記に書いた(武ノート5冊目6/30)。

その後、警察は、武の供述をきっかけとして、トリカブトに関する取調べや実況見分を精力的に行なうようになる。7月14日には武を同伴して八ヶ岳山麓美濃戸別荘地に行く。しかし、佐藤修一の直接の死因である坂東大橋での自殺の話については、一向に調書にしない。それどころか、警察は武の話が嘘であると言って受け付けようとしなかった。そこで、武は自分の話が真実であることを警察に理解してもらうために自ら上申書を書いて提出した。

逮捕された最初の頃、1ヶ月程は、否認して黙秘を続けていましたが、いろいろと考えて、決心して自白をしました。最初に決心して自白をしてからは、あともどりなどする気はないし、私自身、命がけで自白しているのです。私の自白によって、八木さんの立場は、もっと悪くなると言うことも承知で話しているのです。
川村さんに対する殺人未遂についても、森田さんの殺人についても、正直に、私の知っていることは、みんな話してきました。今回、佐藤修一さんの件についても、私の知っていることは、つつみかくさずに、ちゃんと正直に話しています。故意にウソをつくつもりも、かくすつもりもありません。また、八木さんをかばったりするようなこともしていません。
私は、事実をちゃんと知ってもらいたいと思っているし、真実を明らかにすべきだと思っています。事実をまげようなどとは、全然思っていませんし、まげられても困ると思っています。
ただ、私が忘れていることや、感ちがい[ママ]をしていることも多少はあると思うので、きちんと思い出したいと思っています。
私は、事実や、私だけが知っていることなども、自分の意思で話しています。最初の、自白を決心した時も、今回の佐藤さんの件についても、すべて私自身の意思です。
私は、私が決心して、本当のことを話してからずっと、今でも、1日も早く、八木さんにも自白をしてほしいと思っています。
今、私は、忘れていることや、わからないことを、ちゃんと解明したいと思っています。
真実を明らかにすることが被害者の方のためであり、自分たちのためでもあると思うのです。だから、ちゃんと鈴木刑事に、協力したいと思っています。(武H12/7/27上申書)

 

武は、その翌日にも上申書を提出している。そこには、自白の理由が簡潔に書かれている。

取調べで、刑事さんや検事さんから聞いて、それ[すぐに釈放されると軽く考えていたこと]はまちがいだったと、わかりました。それと、私が自白をしても、しなくても、どっちでも同じで、私も八木さんも有罪になる、と言うことと、自分で自白をした方が、少しでも刑が軽くなるということも分かりました。
***私の担当の佐久間検事は、そんな私の気持ち(どうしてしゃべらないか)をわかってくれました。そして、私に、八木さんを助けられるのは、私しかいない、私の自白しかない、と教えてくれて、八木さんを助けてあげようよ、と言ってくれたのです。そう言われてから、何日か考えて、私が自白して、八木さんを助けられるのなら、助けたい、助けてあげよう、と思ったのです。それで、自白することに決めたのです。(武H12/7/28上申書)

 

武は、自分が自白したのはその方が「少しでも刑が軽くなる」ということを理解したからであり、佐久間から「八木さんを助けられるのは、私しかいない」「八木さんを助けてあげようよ」と言われたからであることを正直に述べている。

しかし、効果はなかった。鈴木は「嘘発見器にかかるか」と言った。武は「かかってもいい。私は本当のことを言っているのだから、何にかかっても大丈夫」と答えた。鈴木は「黒だとわかったら困る」などと言い返した(武ノート5冊目7/29)。結局、ポリグラフ検査は行なわれなかったようである。鈴木は、また、佐藤の体内からトリカブトが「出たらどうする?」と尋ねた。武は「私はあげてない。もし入ってたら、それは、八木さんが、うちから持って行ったのだろう。だから、出ても、私がウソをついたことにはならない」と応じた(武ノート5冊目7/28)。その翌日鈴木は「もうしばらく来ない」と武に告げた。武はこの鈴木刑事の態度について「半分以上おどしと思う」と書いている(武ノート5冊目7/29)。

武は、自分が捜査に協力しているのに、捜査官がそれを信用しないことにいらだち始めていた。「なんか、だんだんむなしくなってきた今日このごろ」と日記に書いた(武ノート5冊目7/31)。
鈴木は、トリカブトを佐藤に少しずつ与えたという話については次々に調書にしたり武に上申書を書かせたりして捜査を進めていった。しかし、肝心の佐藤の死に関する武の供述、すなわち「自殺供述」の方は全く調書にしようとせず、裏付け捜査をすることもなかった。彼は武の話を「嘘」と決め付けつづけた。

昨日、刑事は、私がウソをついていると言った。最後の佐藤のようすがちがう、というのだ。私は、本当のことを言っているのに。
だいたい、誰が見たんだよ!サトウの姿を。
刑事に何を言われても、変えようがないよ。だって、私はウソは言ってないし、言ったこと以外はやってないもん!!(武ノート5冊目8/5)

 

やっぱり、私の言っていることは、ウソだと思われている。
このままでは、まだ調書にはできないという。
どうして?私は、自分でやってないことまでは言えないし。それこそ、デタラメの調書を作ってほしくない。
このまま、いっても、ウソの証拠にはならないよ。だって、私は、ウソは言ってないもん!!
刑事は、この件も、私か八木さんが、殺っていると思っているらしい。立件の方向で捜査しているという。(武ノート5冊目8/14)

 

刑事は、やっぱり、私がウソを言っているというし、何言っても、まだマスターのことをかばっていると思っている。サトウのこと、マスターが殺したと思っているのだ!だから、マスターは、レオにいた、と言っても信じてくれないのか?あと、誰だ?サトウが1人では歩けない状態だ!なんて言っているのは?ちゃんと歩けたのに。(武ノート5冊目8/16)

 

しかし、本庄警察は、9月末、ようやく武まゆみの偽装自殺供述を調書化することに決めた。9月25日から28日の4日間かけて、鈴木刑事は、佐藤修一と出合った経緯から、平成7年6月3日の夜に佐藤を利根川の河原に連れて行って別れた経緯、そしてその後の死体発見に至るまでの武の供述を、合計6通の調書にまとめた。

けれども、本庄警察は武の「自殺」供述を受け入れたわけではない。平成7年6月3日当日の話を調書にまとめたのは9月27日の取り調べにおいてだが、その際にも鈴木は、武の話が嘘であると決め付けている。鈴木は武に「当日、八木は利根川に行っている」と断言し、「嘘や作り話があると後で困る」などと言った。これに対して武は、「嘘も作り話もなく、私は本当のこと、自分のやったことはちゃんと言っている」と答えた。その翌日の取調でも、鈴木は「佐藤を乗せたタクシーはいない。佐藤は運ばれて行ったんだから」と断定した(武ノート5冊目9/28)。

鈴木刑事のこのような強硬な態度に接して、武は、自分の記憶に対する自信を失いかけた。9月28日の日記に次のように書いている。

刑事が、あんなに、はっきり運ばれて行った、と言うってことは、誰か、運んで行った人がいて、その人が、運んで行ったと言っているってことなのかな?それだと、私のやったことは、何だったのか?ウソを言ってると言われるのは、そのせいだとしたら、とっても変だ。なんか、きつねにつままれているようだ。なんなのだろうか?ふしぎだ。変な話だ。でも、私は、絶対に、利根川に行ったし、2回目、サトウを乗せて行ったのだ!(武ノート5冊目9/28)

 

警察がこのような態度をとった背景に、そのころの森田考子の供述があったことは明らかだろう(考子の供述の詳細については第6章を参照)。考子は、8月1日を皮切りにして、次々に上申書を書くようになる。それは、レオ店内や八木の別荘で八木や武、アナリエらの会話の断片を聞いたというものであるが、それらが佐藤修一の殺害や死体処理に関連する会話としてまとめらるのである。例えば、平成12年8月1日付上申書では、別荘で、

まみ「まんじゅうがなくなって来たし、佐藤さんもまんじゅうがあきてきたのでパンの方がいい」
八木「いつもより量があるからそれなりに入れればいいがね。あとはマミちゃんにまかせるから、まみにまかせておけばベテランだから、うまくやってくれるだろう」

 

という会話を聞いたことがあるというものであるが、この会話が「佐藤修一を殺す相談をした事」という説明で語られる。8月9日付の上申書では、いつの日かはっきりしないが、

まみ「モップをもっていって良かったね。それでつついて流したけど、雨がまたふれば流れるだろうね」
八木「いまの時期だと水も多くなってくるだろうし、そうすれば流れていくだろう」

 

という会話を聞いたというものである。これが「佐藤修一の死体を流した事」と説明されている。そして、8月28日には、ついに、渡辺荘で布団のうえに寝かされている佐藤の死体を見たという上申書が登場するのである。8月30日にはこのとき佐藤は「パンツ1枚」だったという話しが付け加わる。この一連の上申書のあと、警察は、9月25日までに、考子の語る内容から推察される佐藤修一殺害のストーリーを6通の調書にまとめている。上申書では「植物のクキや根っこ」となっていたものは、この時期の調書では「トリカブトと言う植物の毒と言うような言い方」だったとされた(考子H12/9/11警察官調書)。調書が一段落して9月下旬になると、再び上申書群が登場する。この段階になると、考子は、6月1日の別荘で武と八木が「カブト」という言葉をやり取りしているのを聞いたという供述になる(考子H12/10/6上申書)。この上申書群のあと、10月23日までに警察と検察はより進化した内容の考子の供述調書を作り上げることになる。それらの調書には、その後に武が「思い出す」ことになるストーリーの骨格がすでに出来上がっている。

 

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