第3章 武まゆみの証言と記憶

自白

 

そして、4月23日に取調べ検事が女性である佐久間佳枝検事に替わる。武の日記を見てみよう。初日の取調べでのやり取りは次のとおりである。

検事は、私の両親のことや、兄弟のこと、八木さんのこととかを言った。「あなたを生きて帰したい。このままいったら、生きて帰れない。そんな道を選んでほしくない。」とか、「八木は死刑だ。もう決まってる。でもあなたが話をすれば、八木も助かるかもしれない。」とか、「八木が愛しているのはあなたじゃない。あなただったら、別に八木といっしょの道を歩いたってかまわない。でもちがうから絶対ダメ。」とか、「別にね。あなたの自白調書がほしくて言ってるわけじゃないのよ。最初のころはあなたの自白がないとダメだったけど、今は証人が証こ[証拠]がたくさんあるから、あなたの自白は関係ないの。ただ自白してるのとしてないのは、裁判の時に、判決がすごくちがうの。だから、あなたを助けたいの。」とか、「弁護士に聞きなさい。私の命を保証してくれますか?って。はいといったら一筆書いてもらいなさい。別にためすわけじゃないけど、何も知らないで裁判して弁護士のいう通りにしてたら死刑になっちゃった、じゃ笑えないよ。それからおこったってどうにもできない。たぶん弁護士は、書かないよ。だって私なら書かないもの。それで、今度私の悪口をいう。悪口を言ったら弁護士の負けだよ。」とか言ってた。「裁判所でサインしなかったのは、あれはまずいよ。あんた裁判官にケンカ売ったんだよ。あんたの判決を出す人も、あの中(裁判所)にいるんだよ。いまからでもおそくないから、あやまりなさい」といってた。
***検事は、「あなたが、このままだまっていて調書がないと、裁判が、10年はかかる。なぜかというと、証人を全部呼ばなくてはならないから。その10年はもったいない。」とか、「他の共犯者はもう全部話して終わっている人もいる。話をはじめた人もいる。ひと山乗りこえた人もいる。あなただけが止まっている。あなただけがおくれている」とか***言っていた。(武ノート1冊目4/23)

 

二日目もほぼ同じようなやり取りが繰り返される。

検事は、「八木を死から救えるのはあなたしかいない。ツヤ子さんでも、田辺さんでもない。あなただけ。森田考子やアナリエでもない。あなたの自白だけが八木を助けられる。」とか、「八木を助けてあげようよ。八木もかなり自分の不利なこともみとめてるよ。だけどあなたのことを何も言わないんだ。あなたが話せば、私が八木に伝えるよ。あなたの気持ちを。八木に助かってほしいと。」「調書がなくて無罪になった人はいない。殺人だよ。きそ[起訴]されて無罪になった人もいない。あなたがこのままだまっていても、裁判所は認定する(きそ[起訴]どおりに)。そうすると、八木は自分の女をつかってやったということで、死刑はまぬがれない。それでいいのか?」「八木もあなたたちのことは心配してると思うよ。らくにしてあげようよ。もう八木は笑わなくなったよ。何を言っても笑わない。あなたが話せば助かる可能性が出てくる。ツヤ子さんも、もしやったのなら、本当のことを言ってほしいと言ってる。それはあなたのお母さんも同じだ」「弁護士が、ここにおいてある証こ[証拠]、調書(いろいろな人の)を見れば、有罪だとわかるよ。そうなってからじゃおそいんだ。もうあまり時間がない。私の言ってることが、信じられない?このままいけば、八木はまちがいなく死刑だ。あなたも同じだということ、あなたが話せば二人とも助かるかもしれない。ということ。もしこれがうそだったら私検事やめるよ。」「弁護士さんに聞いてごらん。私無罪になれますか?と。なると言ったら一筆かいてもらいなさい。書かなかったら、やっぱり有罪だよ。」とか、「茂樹さんなんか、仕事は無期出社禁止だ。だから国友の事務所にいるよ。高野弁護士に、弁護料1000万と言われて、500万しかできなくて、500万払ったようだけど。それぐらいもらわないとこんな大きい事件の弁護なんてできないと言われたそうだ。今なんか、弁護士の所じゃなくて警察に相談にきてるよ。このままだとうちを追い出される。どうにかしてくれと。うちを売らないと食べていけないと。」***「アナリエも話しはじめたよ。話したら聖也に会えなくなると泣きながら、森田考子は、萩原弁護士をことわったよ。あの弁護士にたのんだら裁判が長くなる。早く外に出たいからといって。」
「川村にかぜ薬を飲ませた?」と聞かれて答えなかった。「明日必ず返事してくれ。時間がないから」と「川村は、何のくすりを飲まされたか。よくおぼえていて、くすりのひょう本みたいの作って見せると、これ、これ、と指をさすんだよ。さしたものは、あなたの店にあった。飲ませた所を見ている証人もいる。だから、だまっていても、裁判所は認定する。八木が買ったくすりも薬局もわかっている。調書もある。もちろん証人にもなってもらう。八木は、本庄でいちばん“プレコール”を買っているんだよ。あなたが、本当の話をすれば、それを八木に伝えれば、八木も本当の話をする。そうすれば助かるんだよ。」とか、「八木に、なんで川村に10億も保険をかけた?と聞けば、じぜん事業だ。有名になりたかったとか、さいごにおれは頭がおかしいとかいいだした」「だから、上のもんは、もう八木にしゃべらせるなと、自分が死ぬことを意識させるために、そういう話をしろと言われて、そういう方針に変わったんだよ。」と言っていた。「八木はもう外には一歩も出さない。だから、あなたは八木におこられる心配はないんだよ」とも言っていた。「無罪なら無罪でも、それがわかるように弁解して。」とも言っていた。(武ノート1冊目4/24)

 

佐久間検事の取調べ手法も基本的には内藤検事と同じである。すなわち、自白がなくても有罪は間違いないと言い、弁解が無意味であることを強調した上で、自白しないと死刑になる、裁判は長期化するという脅迫を加えて、自白すれば死刑は免れるという量刑上の約束をするというものであった。

しかし、それに加えて、佐久間は、女性として、八木の愛人という不安定な立場にある武の心情への理解も示すというソフトな戦略も採用した。佐久間はこの取調べの初日に、八木が田辺や子供と一緒に写っている写真を内藤が見せたことを「本当に悪いことをした」と謝罪もしている(武ノート1冊目4/23)。八木を思う武の気持ちを察して、「このままでは八木の命がない」「八木を助けられるのはあなたしかいない」などと盛んに言っている。

そしてさらに、佐久間は、弁護士が何も実情を知らない無力な存在であること、黙秘や調書への署名拒否などの戦略が無意味でありかえって事態を悪くすることを強調して、武の信頼を勝ち取ったのである。

佐久間は武の弁護人村木がかつて扱った事件の実例をあげて、その弁護活動が無効であることを示した(武ノート1冊目4/24)。佐久間に「弁護士に一筆書いてもらえ」と言われた武は、村木に命を保証してもらえるかと実際に尋ねた。その答えは、佐久間の予想したとおりであった。村木は命の保証を拒否したのである(武第17回証言調書) 。これは佐久間のトリックに他ならないが、武を窮地に追い込むうえでは絶大な効果があったと思われる。つまり、武にとっては自分を守ってくれるはずの弁護士ですらも「命の保証は出来ない」のである。これによって「このままでは死刑になる」という佐久間の発言は非常に現実味を増す。それと同時に、「あなたを生きて返したい」という佐久間の申し出に権威が付与される。こうしたことも武が佐久間に心酔していく大きな原因になったであろう。

こうした硬軟取り混ぜた戦略が、事実を否認する武まゆみの心理に大きな動揺を与え、自分の弁護士よりも佐久間検事を信頼するように仕向けたと思われるのである。

こうして武は4月26日に佐久間のまえで川村殺人未遂事件を自白し、引き続いて、森田殺人事件についても積極的に自白するようになる。自白した心境について武は次のように語っている。

「証こ[証拠]、証人で、裁判所にすいてい[推定]で、あなたがやったと認定される」という[佐久間検事の]言葉で、私の腹は決まったと思う。検事を信用してみようと。***私は今まで八木さんのためにだまっていた。私が認めると八木さんが大変なことになると思って。だけど、実際はちがうようだと気づいた。ここ何日か悩んでいたけど、私が話そうが、話すまいが、何も変わらないということ。変わるといえば、判決が少しちがうということ、私が話した話さないは関係なく八木さんも有罪で、今のままだとまちがいなく死刑だということらしい。私は、八木さんを助けたいと思う。私が話しても、八木さん本人が話をしないと助からないらしい。私は八木さんに生きていてもらいたい。(武ノート1冊目4/26)

 

佐久間検事の戦略は見事に効を奏した。
武は、佐久間の話を聞いて、このまま否認していても確実に有罪になり、死刑判決は免れない、自分が自白して、その話が八木に伝われば、八木も自白して自分と同じように死刑は免れる、そう信じたのである。それゆえに、武は自分の自白が報道機関を通じて八木に伝わるように、勾留理由開示の公判を利用した(武ノート1冊目4/27)。

その後、取調べは順調に進み、風邪薬事件(川村殺人未遂・森田殺人事件)の調書が連日作られていく。勿論武は調書に署名をした。その供述経過を概観してみよう。

風邪薬事件について「自白」したというものの、その供述内容は必ずしも捜査官の意に沿うものではなかった。例えば、武は森田昭に対して平成11年4月以降は風邪薬は飲ませていない(武ノート1冊目5/4);だから森田昭は風邪薬で死んだとは思っていない(武ノート1冊目5/1);川村を殺そうとは思っていなかった;だから川村が吐いた時などには胃薬をあげていた(武ノート1冊目5/4);川村とアナリエの結婚についても森田と考子の結婚についても偽装結婚だとは思わない(武ノート1冊目[日付なし])という供述を武は維持していた。

武は、ノートに、日記とは別に、事件の内容を整理し始めた。年表を作って出来事の大まかな流れを書き、また、個別的な出来事の詳細を書いて整理している。その内容は、その後の検察官調書の内容あるいは法廷での証言と一致していない点が多々ある。検事や刑事は、そのノートをコピーして、調書の作成に利用している。刑事や検事から尋ねられてうまく答えられない事項については、「宿題」ということで、その後ノートに整理してから供述するというパターンも見られる。武は風邪薬事件についても、捜査官が期待する事柄を十分に記憶していた訳ではないのである。

ノートにも「とっても頭がいそがしい。事件のことも思い出さなけりゃならないし、大変なのに、ちがうことばかり考えている」と書いている(武ノート1冊目5/6)。

取調べの経過のなかで、佐久間検事は、随時、武に対して、彼女の調書を柱に立証していくと言って、武に対する信頼を表明している。しかし、武の不安は解消されたわけではない。彼女はノートに「私は本当に大丈夫だろうか?」「八木さんは大丈夫だろうか?」と書いている(武ノート2冊目5/8)。

5月8日に川村殺人未遂事件で起訴され、その翌日森田殺人事件で逮捕された。武は、逮捕の際にも、森田に風邪薬をあげていたのは平成11年3月までであり、殺意はなかったと弁解している(武ノート2冊目5/9)。このうち殺意の点については、すぐさま佐久間に「保険金をもらう目的」だということは殺意があったことになると説得されて、これを認める調書に署名した(武ノート2冊目5/11) 。

武は、佐久間の話を信じて、自分とともに八木の命を救うために自白に転じた。しかし、自分の思惑とは裏腹に八木は否認を続けていた。そのような八木の様子を佐久間は折に触れて武に伝えている。その際には勿論このまま否認が続けば刑が重くなる、死刑になるということもあわせて伝えている。武のノートにはそのやり取りが具体的に記されている。

検事は、「八木は返対[反対]なんだよ」と言っていた。このまま、もくひ[黙秘]だと刑はもっと重くなると言っていた。私は、八木さんに死刑が決まることをさけてもらいたいと思い自白を決めた。八木さんには分かってもらえないのだろうか。このままだとマジにヤバイぞ。(武ノート2冊目5/11)

 

検事に、「八木さんはどうですか」と聞いてみた。前と同じだと言っていた。ただ、私が自白したことを聞いた時は「頭のネジが10本あるところから7本とんだ」と言ったそうだ。(よほどのショックだったのだろう。)八木さんは、「まゆみのことは、わかっている。自白したことも彼女にはそれでいいでしょう。でも、私はまだ今は言えません」という具合だそうだ。とても見苦しいような言い訳をしているとも言っていた。検事側は「八木にはもうしゃべってもらわなくてもいい」という方針で、八木のことはどうでもいいということになっているという。八木さんは八木さんで、「私が検事の方へつくわけにはいないんですよ。弁護士の先生がいるし」と言っているらしい。八木さんもかなり悩んでいるらしいのだが、道は自分で開かないと死刑を求刑されたら良くても無期だって。
今日の検事の話の具合だと、八木さんに、私の気持ちは伝わったようだ。私がどうして自白したのかもわかっているということだ。そして、八木さんは、私のことを心配してくれているらしい。なんか、今日は、この話が聞けて、私はすごくうれしくなった。ただ八木さんは「裁判で戦う気持ちは変わらないようだ。でも弁護士が、証こ[証拠]、証人関係を見れば、無罪の主張はできないと思う。そうなって裁判になってから自白じゃまにあわないよ」と検事は言っていた。(武ノート2冊目5/14)

 

マスター 刑を求刑するのは検事だよ。知ってると思うけど。検事に聞いたら「八木はこのまま行ったら、うちは、いちばん重いの持ってくよ。だって、最初からあなたたち4人共しゃべらなくても、持ってけるようにしてから逮捕したんだから」と言っていた。だから無罪は勝ち取れないよ。検事のプライドで、やってるし、負けるような勝負はしないとも言ってるし、私の自白で、それもマスターの証こ[証拠]としてあつかわれる。だいたい調書の取り方がそのような感じだ。死刑を求刑されたら良くても判決は無期だとも言っていた。検察もそんなに下がるような求刑はしないと、みっともないからだと言っていた。私はマスターに生きててもらいたい。生きていてまた私と会ってほしい。「裁判だって10年もかけたら、その10年間外には出られないよ」と検事は言っていた。「もくひしていると裁判は10年かかるか20年かかるかわからない。その間外には出られない。そして刑はその後になる。だから裁判が長引けば、生きて外に出ることもむずかしくなるよ」とも言っていた。「八木は全部裁判が終るころ70才くらいになっちゃうんじゃないの。それから刑だよ」と。それじゃ、私とは生きて会えないじゃない。私は、マスターと会いたいだけなの。早く終わりにするには、自白して裁判を短くして、刑を軽くするしかないと思うんだけど。よく考えてください。マスター。(武ノート2冊目5/17)

 

今日は、5月22日です。検事に、[八木さんは]年のことを気にしているのかなと聞いたら、そうだと言った。「八木は、まみはいいんだ。若いから。あいつは20年たったって、50才だ。今のオレと同じだ。まだまだ楽しめる。だけどオレは、20年たったらじいさんだ、死んだも同じだ」と言ってる。「年をとっちゃうことを気にしてるみたいよ」と言った。私はやっぱりと思った。でもこのままだまっていて、きつい求刑をくらうより、自白して少しでも刑を軽くして早く出ようと思えば、今の状態よりはいいと思うけど。
私は、八木さんが年をとってもかまわないよ、と検事に言ったら、笑っていた。でも本当に、だまってると、よくても無期だ。悪ければ終身刑、最悪は死刑だと検事は言っていた。自白すれば、いくらか軽くなると言っていた。検事は、「だって求刑するのはうちなんだから。自白している人を死刑になんかしないよ。裁判所だって、自白している人を死刑になんかしないよ。かなり、見てくれるから、求刑よりは軽くなる。八木は、その辺がわからないんだよ」と言っていた。(武ノート2冊目5/22)

 

しかし、八木が自白に転ずる気配はない。そこで、武は取調べの経過と自白しないと大変なことになるということを八木に伝えるために、ノートを村木弁護士に宅下げする(武ノート4冊目5/22)。そして、武は、心配になって八木の状況を佐久間検事に尋ねた。佐久間は、八木は高野弁護士の指示にしたがって黙秘しているが、このままいくと最悪の事態になると武に話した(武ノート4冊目5/26)。

佐久間さんは、「八木は逃げようがないのに、あなたと考子の話でもうダメなのに、オレは知らない、勝手にやったんでしょうなんて言ったら、裁判所はどう見ると思う?反省しているあなたと、とぼけている八木。すごい差が出てくる。反省してるかどうかという所が、刑に左右してくるのよ。私たちは、八木がだまっていた方が楽よ。わからないことは全部八木のせいにしちゃえばいいんだから。そうすれば、裁判所だって、そう見るわよ。だって八木の調書はないんだから、いくら八木がそれはオレは知らないと言ったってダメよ。聞いてもらえないサ。正直に話してないんだもの。今までが。そう思われるだけだって」と言った。(武ノート4冊目5/26)

 

森田殺人事件による逮捕の後の取調べは、風邪薬事件の詳細に関するものが中心であった。しかし、勾留期限が迫った5月27日以降、集中的に佐藤修一に関することの取調べが行なわれた。27日から30日までに合計8通の佐藤事件関係の検察官調書が作られた。
27日付の検察官調書は全部で3通あるが、そのうちの一つには、八木から「佐藤さんが行方不明になった」と聞き、八木の指示で本庄駅のタクシー運転手に聞いて回ったり、利根川に佐藤を探しに行ったりしたことなどが書かれている。28日付の検察官調書4通のうち一つには、森田昭の生命保険料の支払いを持ちかけられたときに「これは、佐藤修一さんのときと同じかな」と思い「関さんもいずれは殺されると思いました」という記載がある 。5月29日付の検察官調書は、合計44ページにわたって佐藤修一のツケが溜まっていったいきさつから死亡保険金の使いみちに至るまでの供述を書いた詳細な調書である。次のように締めくくられている。

[森田の生命保険の話をされたとき]佐藤さんのときと似ていると思い、人が都合よく死ぬということは2回も続かないと思ったことから「関さんはいずれ殺される」と思ったのです。もっとも、私は、自分が実際に関さんの殺人や川村さんの殺人未遂に加わってみて、今にして思えば、佐藤さんは八木さんが殺したのかも知れないと思っています。

 

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