第3章 武まゆみの証言と記憶

2 武ノートが語る取調べの経過

 

武まゆみは、平成12年3月24日、本庄警察署の警察官によって逮捕され、東松山警察署に留置された。直接の逮捕容疑は、森田昭・川村富士美にかかわる偽装結婚事件であったが、当時既に警察はこの偽装結婚事件を一連の「保険金殺人事件」の一部と見ており、殺人事件の立件を目指した捜査の一環として偽装結婚容疑で逮捕したことは明白であった。したがって、逮捕当初から、川村富士美に対する殺人未遂容疑、森田昭に対する殺人容疑そして佐藤修一に対する殺人容疑についても、捜査官は武に尋問している。武は、逮捕のときに刑事からは森田昭殺人事件について訊かれ、否認をし、刑事から「嘘だ」と言われていたが、検事からはそのようなことは訊かれていないなどと証言している(武第16回証言調書)。しかし、武まゆみは4月20日の日記に検事から「死刑の話 無期の話」をされ、「このままでいくと、そうなると思う」と言われていると書いている。4月20日というと、川村富士美殺人未遂容疑での逮捕(4月16日)の直後であり、偽装結婚容疑と殺人未遂容疑だけで捜査官から「死刑」とか「無期」という話が出るわけはない 。検察官を含めて捜査官が、逮捕当初から3つの殺人事件について、武まゆみを問いただしていたことは明らかであろう。

彼女は平成12年4月16日に川村殺人未遂容疑で再逮捕されたが、その日から大学ノートに日記をつけるようになった。公判で証拠採用された日記は、大学ノート10冊分、平成14年1月12日までのものであり、武に対する取調べのほぼ全過程を網羅している 。そして、このノートには、刑事や検事の取調べでの言動や、自分の供述内容、事件に関する記憶の想起過程などが、克明に綴られている。記載の体裁からしても、出来事をそれから間がないうちに記録したものであることは明らかである 。このノートが、取調べの経過、とりわけ、取調べ中における捜査官の言動、武のオリジナルな供述の内容、事件に関する記憶とその変容過程を知る上で、第一級の資料であることは明らかである。したがって、このノートの記述に基づいて、武まゆみが渡辺荘事件を自白するに至った経過を見ていくことにする。

川村殺人未遂事件で再逮捕された武は、この容疑についても否認し、「風邪薬はあげていない」「殺意などない」と弁解していた。そして、調書への署名も拒否しつづけていた。そのころの日記をみると、内藤晋太郎検事がさまざまな働きかけをして武を自白させようとしている様子がわかる。

内藤は、まず、八木にとって武は愛人の1人に過ぎず、本当に大切な女性は他にいると思わせようとした。八木の愛人の1人で彼との間に3人の子供をもうけた田辺静代とその子供のことを話して「八木にそっくり」「とてもかわいがっている」「八木がいちばん大事にしているものじゃないか」などと言い、続けて「あんたは相手にされてないから、別れた方がいい」「八木があんたのこと何て言ってるか知ってるか?」などと告げている。また、八木が田辺や子供と一緒に写っている写真を武に見せて「八木には帰る家がある。あたたかい家族がある。だからあんたのことは相手にしてない。あきらめろ。別れた方がいい」などと言った 。

内藤は、さらに、武らが有罪であることは証拠上明白であると言った上で、このまま否認を続けると死刑になること、そして裁判が長期化して10年、20年とかかることを告げている。そしてさらに、八木は「武が勝手にやった」と供述していると言い、このままでは「あんたが中心人物ということになる」などと言って脅している。

このような取調べが違法であることは言うまでもない。日本の検察官は、こういう取調べを平気で行なうのだ。内藤検事によるこの違法極まりない卑劣ともいえる取調べに対しても、武は屈しなかった。しかし、その効果がなかったとは思えない。日記に現れているのは4月16日以降の取調べのみであるが、それ以前の取調べでも同様のやり取りがあったことは想像に難くない。武は3月24日の逮捕以来、接見禁止(弁護人以外の誰とも会えない)状態に置かれたうえ、1日の休みも与えられずに、休日も含めて連日朝から夜遅くまで、時には深夜に至るまで取調べを受けていたのである。このような過酷な取調べによって徐々に抵抗の意欲が減退していったと考えるのが自然であろう。

 

itsuwarinokioku_line

Comments are closed