第3章 武まゆみの証言と記憶

 

10 結論

 

渡辺荘事件が事実であるならば、その実行犯である武がその記憶を失うということはありえない。
八木から「佐藤さんは自殺したんだ」と言われたからと言って、このむごたらしい殺害の記憶が抑圧され、佐藤を坂東大橋に連れて行って利根川に飛び込ませたという記憶がそれにとって代わるなどということもありそうもない。少なくとも、仲真紀子が証言したように、清明な意識の下で意図的にトリカブト殺人を犯しながら、その記憶がいつのまにか無意識の世界に抑圧されてしまうことを示唆する実証的研究は存在しない。

しかし、だからと言って、武は記憶を失ってなどおらず、「記憶にふたをしていた」というのは嘘であったということにはならない。それは最初から渡辺荘事件が実在することを前提とした議論であり、結論を先取りしている。
意図的殺人の真正な記憶が抑圧されえないのだとすれば、「可能性」としてはもう一つある。すなわち、「抑圧され、回復した」とされる「記憶」それ自体が虚構である可能性である。

この2つの可能性のうちどちらが真実であるのかを裁判で決めるのは証拠である。刑事裁判においては、事件の実在について合理的な疑いがあるならば、それは否定されなければならない。本件の証拠関係に照らして、武の渡辺荘事件の「記憶」が真正なものであったことについて、合理的な疑いを払拭しない限りその「記憶」は否定されなければならない。

武に対する取調べ方法は、偽りの記憶を生じさせる危険を孕んだあらゆる要素を含んだものであり、「強制-自己同化型虚偽自白」を生み出す典型例と言っても良いものである。武の日記に克明に記録された記憶想起過程は、偽りの記憶が生まれ出る様子を記録した資料として貴重なものといって良い。

彼女の自白と証言が生まれ出た経過を証拠に照らして虚心坦懐に見つめるならば、そして、記憶と供述の心理に関する科学を冷静に受け入れるならば、武の「記憶」が偽りの記憶であることは明らかである。武の語る渡辺荘事件は、捜査官の強烈な圧力と彼女のイマジネーションが作り上げた壮大なファンタジーなのである。

 

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