第3章 武まゆみの証言と記憶

「死刑の恐怖は無期刑確定まで続いた」

 

武は、平成12年5月末に佐久間検事から「臓器が保管されている」という話しをされて、このままでは「トリカブト殺人」が発覚して、死刑になるのが怖くなり、鑑定と矛盾しないストーリー――トリカブトを少しずつ与えていたが、最後は自殺した――を思い付いたと証言した。
われわれはこの平成14年証言は嘘であると主張し、日記の該当箇所や手紙の記述を指摘した。そのうちのいくつかについて(全部ではない!)裁判官は反論している。

まず6月はじめの日記の記載(「私は大丈夫だ」「10年前後と思っていたほうがショックを受けない」という楽観的な予測)について、判決はこう言う。

しかしながら,武が,「もしかしたら,再逮捕もあると言っていたけど,私は,それは,大丈夫みたいだ。」と記載しているとおり,同月の日記は,佐藤殺害が立件された場合に刑が一段と重くなることは何人にも容易に想像がつくことであるから,佐藤殺害を自白した場合には死刑になるかもしれないという恐怖感があったとの武証言は決して不自然なものではない。また,武は勾留中の身であり,居房で記載していた日記は,秘密を保持することのできるようなタイプのものではなく,差し入れを受けた市販の大学ノートに記載したにすぎないものであることに照らすと,この日記の内容はいつ捜査官の目に触れるとも限らない状況にあったと認められる。そうすると,武が佐藤殺害を隠していた場合に,日記に,「佐藤殺害がばれたら死刑になってしまう。」などと記載できないことは明らかであって,日記の記載と同14年の武証言とは何ら矛盾しないといえる。

 

捜査官が武の日記を含む全てのノートを最終的には見ることができたのは事実である。しかし、平成12年6月の段階では武は周到にも「日記」を書いたノートは捜査官の目に触れないようにしていたのである。武が8月中旬ころに書いて村木弁護士に託した八木宛の手紙がある。その中で武はこう書いている。

マスターの所に差入れてもらった私のノートについてですが、4冊のノートの中で、検事や刑事に見せたのは1冊だけです。他の3冊は見せていません。取調べの状況や聞かれたこと、答えたことなどを日記のように書いていたもので、それはマスターと弁護士さん以外の人には見せていません。(H12/8/13手紙)

 

われわれはこの手紙も裁判所に証拠として提出した。しかし、判決はこの手紙のことには全く触れていない。武が検事や刑事に見せた「1冊」というのは、事件の記憶を整理したり調書の内容をまとめたりしたもの(武ノート3冊目)であり、日記とは別のノートである。武はこのノートについては検事や刑事にコピーさせたりしている。しかし、日記用のノートについては、8月の段階では捜査関係者には決して見せないようにしていたのである。

確かに、平成12年6月の段階で佐藤事件は正式には立件されていない。しかし、3月の逮捕以来武が佐藤の死についても追及されていたのは事実である。そして、問題なのは立件されていたかどうかではなく、武がそれを予想していたかどうかである。平成12年6月3日の武の日記はこうである。

もしかしたら、再逮捕もあると言ってたけど、私は、それは、大丈夫みたいだ。そのことについて、調べはあるかもしれないけど、再逮捕されるのは、マスターとアナリエだろう、と思う。マスターは、その再逮捕されると、いよいよ、命がないかもと検事が言っていた。保険金殺人の場合、1人でも無期か死刑を求刑されると言ってた。まして、否認ということになると、求刑が死刑になる可能性が高い。求刑をそこにもっていかれると、よくても無期だと、村木さんも言っていた。マスターは、マジ、ヤバだゾ。(武ノート4冊目)

 

自分も再逮捕され、そうなると死刑になるかも知れないと思いながら、こんなことを日記に書くだろうか。武は自分は「大丈夫」だが、八木とアナリエは再逮捕され、そうなると八木は死刑になるかも知れないと心配している。なぜ彼女はそんな予測ができるのか。ここに引用した記載から分かるように、検事は、武自身のことだけではなく、ほかの「共犯者」の量刑についても、武と話し合っているのである。そういう話合いの中で武は「大丈夫みたいだ」という判断ができたのである。この引用部分の後のほうで、武は八木が死刑になることへの心配を綴り、「マスターは、私の刑より絶対重いって、検事が言っていたもん、心配するよ」と書いている。江戸時代には死刑にもランク付があった。しかし、現代には死刑よりも重い刑など存在しない。武は自分が死刑になることはないと思っていたからこんなことが書けるのである。

日記の記載によれば、佐久間検事は武に対して「あなたを生きて帰したい」「自白すれば助かる」「八木との間に差をつける」などと繰り返し言っていた。このような検事の発言は、「あなたには死刑は求刑しないから、安心して自白しなさい」というメッセージ以外の何物でもない。実際にどのような刑を求刑するかを佐久間は明言しなかった。だから武はあれこれ予測し、「10年くらいになればいい」などと希望的な観測を日記に書いたのだ。

先に指摘したように、判決は、検事との量刑をめぐるやり取りに関する日記の記載について、創作できたとは「考え難[い]」と言っている。つまり、裁判官たちは、量刑の話しは日記の記載どおりに実際にあったのだと考えたはずである。そうならば、「私は大丈夫」という日記の記載も文字通りそう思っていたからそう書いたと考える方が――死刑が怖かったけどそう書いたと考えるよりも――ずっと自然な読み方ではないだろうか。――すくなくとも、日記が「いつ捜査官の目に触れるとも限らない状況」などという証拠に基づかない推理を前提にしなければ成り立たないような読み方よりは。

次に、武の八木茂樹宛の手紙(「検事に“極刑は免れた”と言われました」「有期になればいいかナ」「早くて15年」)である。判決文を見よう。

この手紙が発信された時点では武に対する検察官の求刑は未だ行われていないから,仮にそれ以前に検察官との間で量刑に関する何らかの約束があったとしても,武が,公判廷で,従前証言を翻して,捜査段階において佐藤殺害を否認していたことを証言した場合,検察官の心証が悪化して,死刑を求刑される可能性が高くなると考えたとしても必ずしも不自然とはいえず,武が八木茂樹宛の手紙に「早くて15年」と記載しつつ,内心では,もしかしたら死刑を求刑されるかもしれないという不安をもっていたことは十分にあり得るところと考えられる。

 

なぜ判決は「仮にそれ以前に検察官との間で量刑に関する何らかの約束があったとしても」などと仮定法で語るのだろうか。量刑約束の問題はこの裁判で最も熾烈に争われたテーマの1つである。そもそも武の平成14年証言は、検察官から「量刑取引がなかった事実」を立証するとして申立てられ、裁判所がわれわれの反対を押し切って許可した結果なされたのである。

裁判所には、この問題について白黒をつける責任がある。しかも裁判官は、判決文のなかで「弁護人が指摘する観点をも十分に踏まえた上、極めて慎重に検討する」と約束しているではないか。そして、武と佐久間の間に量刑約束があり、この手紙にあるように自白直後に佐久間が武に「極刑は免れた」と告げたのが事実であれば、この手紙に出てくる「有期になればいいかナ」「早くて15年」というセリフは非常な真実味を帯びるであろう。判決はここでも肝心の部分をぼやかすことで、平成14年証言に肩入れしているのである。

裁判官が「十分にあり得る」と言う出来事を具体的に想像してみよう。武が茂樹にこの手紙を書いたのは平成13年5月13日、第1回公判の1か月半後、証言の4ヶ月前である。武は「記憶にふた」をしていたが、佐久間との共同作業でそのふたを取り去ることができ、佐久間に「心の底からお礼が言いたいです。ありがとうございます」と日記に書き、八木の公判で「高野先生に絶対に勝つ」準備を着々と進めていた時期である。

佐久間と武とは既に深い絆で結ばれていた。この時期に武が「実は記憶にふたをしていたというのは嘘でした。事件を忘れたことは1秒足りともありません」と言ったとして、佐久間が「あなたは私に嘘をついていたのだから、約束は守れないわ。やっぱり死刑を求刑することにする」ということ、そして、武がそのような佐久間の反応を予測することがあり得るだろうか。むしろ、逆ではないだろうか。佐久間は「良く言ってくれた。私も本当はそうじゃないかと思っていたの」と言うのではないだろうか 。検察官としての佐久間の立場からすれば、殺人事件をすっかり忘れていたがその後思い出したという風変わりな証言よりも、単純に否認から自白に転じたという証言の方がはるかに裁判官受けがすると考えるだろう。そのことによって、死刑を求刑しないという約束を反故することはあり得ない。

武が佐久間から「佐藤の臓器は保管されている」と言われ体が震えるほど怖くなったと言う5月30日の日記に臓器の話しが全くなく、「[取調べが終わって]チョーヒマ人になってしまう」などとふざけたことを書いている点についても裁判所は「人目につくおそれのある日記に、佐藤の臓器が保管されていることを聞いて動揺したなどと記載するはずがないことは明らか」だと言う。

武はこの日記の中に、「[八木に]早く会いたい。抱いてもらいたい」というようなプライベートなことを随所に書いている(武ノート一冊目5/4、武ノート2冊目、武ノート5冊目9/14)。さらに、警察のやり方に対する批判も書いている(武ノート5冊目7/30、8/16など)。少なくとも5月30日の段階で、武が自分の弁護人と八木以外の人物にこのノートが見られるおそれがあると考えていたとは思えない。

臓器の話しが出たとしても、判決が言うように、ストレートに「臓器が保管されていると聞いて動揺した」などと書くことは確かにあまりないだろう。われわれが言いたいのはそういうことではない。武は、その日の検事の取り調べの様子を日記に克明に書いているにもかかわらず、日記に臓器の「ぞ」の字も登場しない;恐怖に慄いているような様子は微塵もなく、佐久間から「本当にアウトだ」と言われた八木のことを心配しつつ、取調べがないので「明日からチョーヒマ人」と日記に書いている;これは臓器の話しを検事から聞いて体が震えるほど怖くなった人の日記とは思えないのではないか。われわれが言いたいのはそいうことである。裁判官は問題をすりかえている。

実は、武は茂樹宛以外にも、自分には死刑の心配はないという手紙を書いている。渡辺荘事件で逮捕された翌日である平成12年11月22日付で武は妹宛にこう書いている。

***事件の事を前よりは、思い出して話していますが、いまいち、完全に思い出した訳ではないのですが、肝心な所は思い出しているので、検事は大丈夫だ、と言っています。後は、高野先生と私の争いになるから、それに負けないように、と言われています。
***検事が、私は社会に復帰できる、させる、と言ってくれています。私のやった事からすれば、やはり重い刑になるのかもしれませんが、長くなるかもしれませんが、外には出られるようです。それで少し安心しました。

 

この手紙を読む可能性があるのは、武の妹と村木弁護士の2人だけである。裁判官たちは、どういう遠慮があって、武はこの手紙に「死刑の恐怖」を隠さなければならなかったと説明するのだろうか。武が本当は「死刑の恐怖」に慄きながら妹には「安心しました」と嘘を書き送らなければならないどんな「十分な可能性」を彼らは見つけてくるのだろうか。

 

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