第3章 武まゆみの証言と記憶

 

9 判決

 

武ノート、武の手紙、それらの核心部分を裏付ける膨大な量の供述調書、平成13年証言、そして仲鑑定。これらの証拠が指し示すものは明白であり、いかにもとって付けたような平成14年証言によってそれが覆ることなどありえない。武の「記憶」は偽りの記憶である。われわれはそう信じた。どんなに検察官志向が強い裁判官でも、まさか平成14年証言に乗ってこれらの証拠をまるごと放り投げるようなことはしないだろうとわれわれは確信していた。

しかし、われわれは間違っていた。さいたま地裁第2刑事部の3人の裁判官たちは、武の平成14年証言を「極めて自然であり、十分信用することができる」と言い、したがって、「仲証言にいう『偽りの記憶』の問題は生じないということになる」と宣言したのである。

 

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「異様に緊密な状況」

 

判決は、量刑に関する検察官とのやり取りについてのノートの記載について、「嘘」「創作」という武の証言は信じられないと言う。

先の日記の,具体的で,取調べ検察官の言い回しの癖をよくとらえた自然な表現ぶりからは,武がそこに記載されたような内容をすべて思いつきで創作できたとは直ちに考え難く,また,そのような記載をしたことに関して武が説明する内容についても,一見してこじつけの弁解めいた趣があって,容易に信じ難い部分がある。

同年9月4日から同10月26日にかけて,当裁判所において武に対する証人尋問が行われている間,検察官が,主尋問中のみならず弁護人による反対尋問に移行してから後も,連日,さいたま拘置支所の武のもとを訪れ,その機会に,法廷における証言内容について話題にしたり,さらには,武に対する無期懲役の判決が宣告された後,直ちに武のもとを訪れ,判決理由中で武が反省していないと指摘されたことなどについて不満を口にした上,控訴を勧めるものと武に受け取られるような言動に出るなど,重罪を犯した犯人と,これを訴追する検察官との間には通常みることのできない異様に緊密な状況と度を超した気遣いが看取されることも考え併せると,武証言の信用性を吟味するに当たっては,弁護人が指摘する観点をも十分に踏まえた上,極めて慎重に検討することを要するものと考えられる。

 

このように、判決は、日記の記載は創作とは考えがたいと言い、武と検事との間に普通でない関係があったことを認めた。しかも、判決は、だから武の証言の信用性の判断は「極めて慎重」でなければならないとまで言っている。

ここまでいわれれば、じゃあ取調べの状況について裁判所はどのような事実を認定したのかと期待するだろう。

ところが、判決は、取調室の中で武と佐久間検事との間でどのようなことが行なわれたのか、日記に書いてあることが実際に行なわれたのかについて、口をつぐんでしまうのである。

あの日記に書いてあるような取調べが実際に行なわれたとするならば、武の自白や法廷証言は相当に疑わしいものだと誰しも思うであろう。あんな風にして思い出した「記憶」はおかしいんじゃないかと常識のある人なら疑いを持つだろう。

ところが、判決は、このもっとも肝心の部分――取調室で何が起こったか――を明らかにしなかった。そして、これに続く文章の中で、日記の記載を部分的に取り上げて、「平成14年証言と矛盾しない」とか「~と理解することができる」とか述べて、平成14年証言と日記の記載があたかも全体的に整合しているかのような説明に終始するのである。

判決は、証人尋問中の武と検事の交流を指摘して「異様に緊密な状況と度を超した気遣いが看取される」と言った。

しかし、この「状況」は公判になって突然できあがったものではない。そうなるに至った長い歴史があるのである――

最初に「死刑」の威嚇があった;その後検察官は「あなたを助けたい」「八木を助けられるのはあなたしかいない」と自白を持ちかけ、死刑は求刑しないという約束をした;武は揺れ動きながらもそれを信じて風邪薬事件を自白した;しかし、その半年後に検事から「トリカブト殺人」が動かぬ事実である、このままでは「八木と同じ死刑」は免れないと脅され、武は再び死の恐怖に突き落とされた;なんとかそれを免れたいと考えた武は、検事とともに「記憶のふた」を取り去る努力を必死に続けた;その仕事をなんとかやり遂げ、「死の恐怖」から解放された武と佐久間検事との間には、検事と犯罪者という関係を超えた何者も介入できないような深い人間関係が出来上がった;そして、法廷で証言する間も検事は休みも取らずに拘置所の武を訪れ、「高野先生との戦い」に勝利できるように武を励まし、導いた。

――それが「異様な状況」の正体である。この理解が誤まっているというのであれば、裁判所は自らの理解を示さなければならない。そうでなければ、この「異様な状況」に根ざした武の公判証言の意味を正しく理解することは不可能であろう。

 

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