第3章 武まゆみの証言と記憶

武ノートと仲鑑定

 

仲鑑定は、武の供述調書のみを資料としたものである。鑑定依頼のときまでには武ノートの後半6冊が開示されておらず、これを鑑定資料とすることは不可能だった。しかし、武ノートに現れた取調べの経過や「記憶想起」の過程は、仲鑑定の正しさを強力に裏付けている。

武ノートには取調べの経過が詳細に語られている。そこに現れた取調べや供述の日付と鑑定資料となった供述調書の日付や供述テーマは殆んど一致している。いくつか、取調べ(供述)が先行して、遅れて調書が作成されたことがあるが、「偽装自殺」供述の場合を除いて、時期に大きな違いはない。

仲は、供述調書の記載に基づいて、佐藤の「自殺」に関する具体的な供述が現れた時期を平成12年9月として、「過労死」よりも「自殺」の方を先に語ってもよさそうなのにそうなっていないという「疑問」を提起した(仲鑑定書)。この点は、武ノート(4冊目)をみると、6月16日に「明日にでも、担当の鈴木刑事に連絡してもらって、話そうと思う」と決意し、17日から18日にかけてその詳細をノートに綴り、20日に実際に鈴木刑事に供述していることが分かる。仲鑑定は、その洞察に基づいて、調書作成の不自然さを見抜いたのである。

捜査官はこの自殺供述を信用せず、「いい加減な調書は作れない」などと言って、調書を意図的に作らなかった。そして、「嘘発見器」にかけるなど言って武を脅した。武は、「私は嘘を言っていない」とノートに書き、上申書を提出している。「自殺」とは別の記憶を思い出すようにと捜査官が加えた圧力の程度が、供述調書から伺えるもの(仲鑑定書)よりも遥かに強いものであったことが、ノートの記載から読み取れる。

武の調書には現れていない違法かつ強力な圧力を検事や刑事が武に与えつづけていたことはノートによって初めて分かるものである。捜査官は、捜査のかなり早い段階で武に対して「自白をしないと死刑だ」と言っている(武ノート1冊目4/20、4/22、4/23)。

そのうえで、佐久間検事は「あなたを生きて返したい。このまま行ったら、生きて帰れない。……八木は死刑だ。もう決ってる。でもあなたが話をすれば、八木も助かるかもしれない」「自白しているのとしていないのは、裁判のときに判決がすごく違うの。ただ、あなたを助けたいの」などと武に告げて、武と八木が助かるためには「自白」が必要だという圧力をかけた。武はこの佐久間検事を信頼し、彼女の言葉を信じて、風邪薬事件を自白した。このようにして培われた武との間の信頼関係を利用して、佐久間検事は、「偽装自殺」供述は客観的な事実に反しており、このままその供述を続けると、「否認」と同じになる(=死刑になる)というプレッシャーを武に加えた。供述調書には、「佐藤さんが利根川で死んでいないこと、トリカブトで死んだことは裁判で立証する」という曖昧な表現になっているが、実際に佐久間検事が発したのは「科学捜査の結果」という断固たる表現であり、かつ、このままでは「ダダダ[八木]と同じになる」という脅迫を伴っているのである。しかも、鈴木刑事は、このままだと考子の話が一人歩きして、武が全部1人でやったことにされてしまうとまで言っている(武ノート6冊目10/24、10/27)。

当時の武には接見禁止がついており、家族らとも会えない孤立した状態におかれていた。その意味で、このような圧力は、普通の心理カウンセラーの加える圧力などとは比較にならないくらい強力な文字どおりの「死の恐怖」を与える圧力として作用したはずである 。

 

「イメージの喚起」という点についても、前述したように、武ノートは非常に豊富な事実をわれわれに提供してくれる。武は、早くも10月27日に「アンナがハサミを持って(右手に)、左手に何か持って、立っていた絵が出てきた」というフラッシュバックを体験している(武ノート6冊目H12/10/27)。このあと様々なフラッシュバック体験や想像によって物語を獲得していく様子がノートには克明に綴られている。

 

「イメージが真か偽かをあえて追及しない」という点についても、ノートの記載は調書以上に豊富なものを提供してくれる。取調べの場で思い出すことができない事項については「宿題」という形で次回に回し、「自殺供述」についてはあれほど執拗に拒否して撤回させたのに、渡辺荘事件の供述については「証拠がついてくる」などと言ってこれを受け入れている。佐藤が抱きかかえて吐いたものについて「ブルー系の洗面器」が「ゴミ箱」に変わり、ディナーショーについて最初は「ショーは最初から最後まで見ていた」と言っていたが後に「ショーは始まっていた」と言い変えたりしていたが、こうした変更について、捜査官はあえて追及していない。

 

「補強証拠」についてもノートはたくさんの事例を提供する。平成12年10月24日に佐久間検事はいきなり「佐藤さんが自殺でないこと、トリカブトで死んだことは科学的に立証できる」と告げている。そして、それと同時に、考子の供述内容を武に教えている(武ノート6冊目10/24)。鈴木刑事は、「考子は死体を見ている」「考子の話はリアルだ」などと言っている(武ノート6冊目10/27)。平成12年11月16日には警察でトリカブトの根を刻んであんパンに入れる実演をさせ、その量が「大さじ1杯」でピッタリだったと言って、本人に自信をつけさせている 。

 

「思い出せないけれど確かに何かあったはずだという信念」についても、捜査官の圧力やその提供する誘導情報や補強証拠に基づいて、これが形成されていったことはノートからも伺える。武はノートに「思い出さなくちゃ! 何で忘れてんだバカ者!」などと書いているが(武ノート10冊目12/20)、これは絶対に何かあったはずだという彼女の信念を物語っている。

 

そして、ノートによると、捜査官との間の和やかな雰囲気(仲が指摘する「安全で信頼できる雰囲気」)が伝わってくる。

今日は、夕方トリカブト博士が来た(検察庁に)
日直室で実験をした。この間のウォッカと氷の実験だ
大成功。やったあ。前回の失敗がショックだったから思わず拍手しちゃった。
トリカブト博士は、私が「相変わらずいつもオシャレだねえ」と言ったら、「全くお前は、どうしようもないこと言って」と笑っていた。
(武ノート8冊目12/12)

 

佐久間検事は、武にとって「捜査官」というよりは、自分の心を開いてくれる心理カウンセラーに他ならないことも、ノートの記載からひしひしと伝わってくる。

あのころは、自分がどうしていいのか分からなかったし、相談もできなかった。村木先生にさえ相談できなかった。佐久間検事は、そんな私の少ない言葉で反応してくれた。すごいと思った。そして、みんな話せると思ったらとても楽になった(武ノート8冊目12/5)

佐久間検事のおかげで私は悪魔にならなくてよかった。佐久間検事は、数少ない私の言葉でよく私のことを理解してくれた。佐久間検事には、心からお礼を言いたい。(同:12/8)

 

 

itsuwarinokioku_line

Comments are closed