第3章 武まゆみの証言と記憶

「記憶回復セラピー」

 

1980年代後半から90年代前半にかけて、全米各地で、成人女性がそれまで全く覚えていなかった近親姦の記憶を甦らせ、その供述に基いて父親に対する刑事告発や民事訴訟が行なわれるという出来事が続発した。

これらの女性は、例外なく、抑うつや性的な機能不全などの症状を訴えて継続的に心理療法を受け、その療法の間に幼少のころ(学齢期から生後数ヶ月にまで遡る)の近親姦の記憶を鮮明に「思い出す」のである。

セラピストが行なう療法は「記憶回復セラピー」(recovered memory therapy)と呼ばれるものであり、患者の症状の背後には幼少時の性的虐待の体験が潜んでいるに違いないと考え、催眠療法や時にはアミタールなどの薬物を使って幼少のころの記憶を思い起こすように患者に指導する。さらには「サバイバー」と呼ばれるグループに患者を参加させて、集団的に記憶回復治療を行なう。

しかし、「サバイバー」たちの記憶はしばしば拡散していき、父親のみならず母親や叔父叔母、それらの仕事仲間にまで「加害者」を広げ、ときには家族が「悪魔儀式虐待」(satanic ritual abuse)の秘密組織に参加しているという記憶まで報告するに至る。仲真紀子が鑑定書で引用しているイングラム事件はこのような娘の告発とそれに続く父親の詳細な「自白」に基いて、有罪判決がなされた例であるが、冤罪と言われており、現在も再審運動が活発に展開されている(Wright1994; Loftus & Ketcham 1994: Ofshe & Watters 1994)。

記憶回復セラピーによって「回復」された記憶の信用性に疑問の声を上げる人々の声が徐々に増え、ロフタスやオフシーなど供述心理学の専門家が著作や法廷での証言で「記憶回復セラピー」を科学的に批判した。娘に幼児虐待の嫌疑を掛けられた父親やその家族が娘とセラピストを訴えたり、娘が「記憶」を撤回してセラピストを訴えるなどの事例が増えてきた。1992年にはロフタスやオフシーなどをボードメンバーに加えた「虚偽記憶症候群財団」(False Memory Syndrome Foundation)が設立された。

そして、1997年にはニューハンプシャー州最高裁判所は、ハンガーフォード事件において、記憶回復セラピーによって回復された記憶に基く「被害者」の証言の許容性を否定する判決を下した(New Hampshire v. Hungerford, 143 N.H. 110(1997))。同裁判所は、「抑圧された記憶の回復」を巡る心理学界の論争を概観して、それを肯定する見解が学界(scientific community)において一般的に受け入れられているとは言いがたく(143 N.H., at 130)、その現象を支持する実証的な研究も乏しいとして(id., at 130-131)、「抑圧された記憶の回復という現象は、本件において回復された記憶と主張されている記憶 が信頼できると判断しうる地点にまで到達していない」と結論した(id., at 133)。

「記憶回復セラピー」はどのようにして行なわれるか。セラピストは、患者の症状を聞いてから「あなたの症状は私が診ている性的虐待の被害者のそれと似ている」と説明し、「子供のころに性的虐待を受けたことがありますか」と問う。患者はもちろん否定するが、セラピストは、それは記憶が抑圧されているからだと説明して、「あなたは否認モードにある」と言って圧力をかけ、かつ、「一緒に記憶を探索しましょう」「記憶を取り戻すことが回復への道です」と言って励ます。セラピストが用いる記憶掘り起し作業の技法として、「イメージ作業」「夢作業」「日記法」「催眠」などがあげられる。

「イメージ作業」というのは、患者に子供のころの出来事をイメージするように求め、そのイメージを膨らませるようにさせる作業である。こうして、例えば、最初は、父親と一緒にトイレに行ったという断片的なイメージから、父がペニスを患者の股間に擦りつけるイメージが現れ、映像は徐々に膨らんでいく。出来上がった映像はまるで映画やスライドを見ているように体験され、「記憶」として理解される。

「夢作業」。患者が見る夢の中に現れるシンボルは「抑圧された記憶」の断片であると理解される。セラピストは「無意識の中に保存された性的虐待の記憶が夢の中に現れたのです」と示唆する。患者はセラピストから性的虐待の可能性について示唆を与えられたり、性的虐待に関するパンフレットを読まされたりしているので、性的虐待そのものの夢を見ることもあるだろう。夢は日常の出来事の「残存物」からなることが多いのである(Loftus & Ketcham 1994(仲訳)p238)。

「日記法」は、イメージ作業や夢作業で得られた断片的なイメージを「物語」として書き留めることである。自由連想のように心に思い浮かんだことをすばやく書くことで無意識の中の心的外傷体験が現れると説明される。

「催眠」によってトランス状態になった患者に「年齢退行」させ、思い浮かんだイメージや情景を語らせ、幼児虐待の「記憶」へと誘導することも行なわれる。

セラピーは1回1~2時間程度のセッションで週に1回程度行なわれる。当初虐待の記憶を否定していた患者は「否認モード」にあるなどと言われ、さらにセッションが続けられる。数ヶ月ないし数年の後に患者は鮮明な虐待の記憶を「回復」するのである。

ここでいう「催眠」は、テレビのショー番組で見かけるような儀式ばったものとは限らない。意識的か無意識的かは関係なく、トランス状態に導く手法全般を指すのであり、アミタール・インタビューや、年齢退行などとともに、リラクゼーションやイメージ作業でも催眠状態は起りえる(Ofshe & Watters 1994 p139)。
オフシーとワタースは、催眠とは「ある特定の精神的なイメージや観念にに意識が集中し、それとともに周囲の環境に対する認知が制限された状態」になることと定義づけるのが最善であるという (Ofshe & Watters 1994 p143)。彼らによれば、催眠のもたらすトランス状態は、小説を読んでいるときにそのもたらすイメージに夢中になって、時間を忘れ、周囲の物音などにも気付かない状態に比肩できる(id.)。

催眠は患者の判断能力を弱らせ、暗示を進んで受け入れ、無意識のうちに空想とロール・プレイングを行なう傾向を促進すると、殆んどの研究者が指摘している。催眠と記憶との関係についても様々な実験が行なわれている。そのいずれもが、催眠状態にある被験者は暗示によって実際には存在しない出来事を回想し、かつ、それが歴史的真実であることを確信する傾向を示している。

クイーンズランド大学(オーストラリア)のピーター・シーハン教授は、催眠状態にある被験者は暗示によって誤ったディテールを自己の記憶に取り込みやすく、かつ、自己の記憶が正確であることを硬く信じる傾向にあることを実験的に明らかにした(Sheehan & Jamieson 1991)。アメリカ医師会科学委員会は、1985年、催眠によってもたらされた記憶に信頼性は認められないと警告を発した(Ofshe & Watters 1994 p144)。

催眠の被験者は、施術者や催眠環境から受ける暗示を進んで受け入れる傾向がある。
ローレンスとペリーは、催眠によって被験者を時間的に逆行させ前の週の夜に戻したうえ、その夜の出来事を再体験させた(Laurence & Perry 1983)。そして、被験者に大きな物音が聞こえて目が覚めたかどうかと尋ねた。27人の被験者のうち、17人が催眠中にその物音を体験したと答えた。そして、13人がそれは実際に起ったことだと述べた。そのうちの半数は、それが実際の出来事だと確信し、「確かにその音を聞きました。実際のところ、完璧に確かです。私はその音を絶対に聞いています」などと報告した。ある被験者は「間違いなくそれは起りました。なぜなら、私は本当にびっくりしたことを覚えているからです。身体で感じました」と答えた。注目すべき点は、この実験において、実験者は直接的な誘導をしていないことである。実験者は単に、「物音を聞いたか」と尋ねただけである。それでも、被験者たちは、この質問を物音を聞くイメージを作る暗示と理解したのである。

 

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