第3章 武まゆみの証言と記憶

 

長々と書き連ねたが、これは何十分の一かに圧縮した要約に過ぎない。実際の証言は、この何十倍も詳細で、何百倍も生々しいものであった。

1つだけ例を挙げよう。平成7年6月3日未明武が赤ちょうちんの厨房でその日の午後3時に渡辺荘で佐藤に食べさせる「トリカブト入りあんパン」の仕込みをしている場面である。

***それから赤ちょうちんの店へ入って,かぎを閉めて,黒いカラーボックスからあんパンを取り出して,冷凍室から用意しておいたトリカブトの根っこを取り出しました。

***根っこはいつものようにみじん切りに刻もうと思って,まずスライスからしました。で,八木さんからは1個を全部使えということでしたから,切り分ける必要もなくて,全部をとりあえずスライスしました。そして千切りをしていきました。それからみじん切りに入りました。みじん切りにしてトリカブトの根っこが細かくなっていくのを見ていて,何度か包丁を持っている手を止めて,びっくりしながら,あまりの量の多さにボーと見ていることが多かったのですが,それでも,刻まないとしょうがないと思っていたので,とりあえず,休みながらでしたが刻んでいきました。細かく刻めば刻むほど,そのトリカブトの根っこの量の多さにがく然としていきました。私はいつもトリカブトの根っこをまんじゅうとか,大福とか,あんパンとかいったものに,そういうあんこの中に,いつもトリカブトの根っこというものを詰めていましたが,そのときの量の多さというのが半端ではなくて,刻めば刻むほど,あんこの中に詰めるときのイメージが膨らんできました。これでは入り切れないのじゃないかと思うぐらいのすごい量の根っこでした。

***そして全部切り終わってからの根っこの量というものを例えると,大さじに1杯くらいと,はっきり言えます。

***全部切り終わった根っこを,まな板の真ん中辺に集めて,山になるようにしておきました。そして,私はそれをあまりの量の多さに,ぼおっと,どのくらいの時間だが分からないんですが,しばらく眺めていました。

***それから,あんパンを取り出して,あんパンのパッケージを開けて,袋からパンを取り出してから,パンを手のひらに乗せてあんこの偏り具合を見ました。そして,あんこが多く偏っているほうというんですか,多く片方に偏るようにと言ったほうがいいんですかね,片方のほうにあんこが多く偏るように,それを手の上で測ってから,パンを半分,半分少しぐらいの位置なんですが,位置で切りました。

***そして,トリカブトの根っこを詰めるために,左手にパンを持って,右手の人差し指であんこのところを,パンを切ったところを上にして,そして,そこに人差し指を入れて,端から端まで穴を開けることをしました。そして,最後にあんこでふたをしなくてはならないので,そのあんこを端に寄せておくという意味で,こういうふうに,あんこを削っておきました。そのとき,右手の人差し指は第2関節ぐらいまであんこの中に入っていました。

***開けてから,まず切ってあった根っこを1つまみつまんで,その穴の中に入れました。そして,ただ入れたのではなくて,指であんこの中に押し込みました。

***そして,押し込んで,2回目に根っこをつまもうと思って,根っこのほうに,根っこのほうというか,根っこをつまもうと思ったら,突然何か人の気配を感じたので,左のほうを見ました。そうしたら八木さんが立っていたので,とてもびっくりしました。私はそのときに,トリカブトを,しかも佐藤さんをそのときに殺すトリカブトを詰めていたわけですから,とても緊張していて,すごく集中していたのですが,それで,ただでさえ心臓がどきどきしていたのに,そこに人が立っていたということで,とてもびっくりして,八木さんを見た瞬間にギャーッと悲鳴を上げました。それで,余りにもびっくりして「何してんのよ。何でいるのよ。」みたいなことを言いました。そうしたら,八木さんは私がびっくりしているのを見て「何びっくりしてんだよ。てめえの男なのに。おれしか入ってくるわけねえじゃねえか。何びっくりしてんだ。ばか。」と言いました。私は「こんな,人を殺すためにトリカブトの根っこを詰めて緊張しているときに,びっくりさせないでよ。」と心の中で思ったんですが,それは口には出しませんでした。

***そのあと,私はそのまま,また引き続き根っこを詰め始めたんですが,八木さんはそのまま,ずっと私の手元を近くで見ていました。

***私はただでさえ,1人でやっていても,とても緊張して震える思いでやっていたんですが,八木さんに見られていると思って,なおさら,緊張が高まりました。そして,手が震えそうになるのを必死でこらえて,そして,ハラハラしながらも,またそのまま根っこを詰め始めました。そして八木さんが見ているから,手は震えながらですが,きちんとやらなくちゃいけないと思って,一生懸命に根っこを詰め始めました。

***そのときは八木さんが見ているので,1粒も残せないと思いました。それなので,1粒も残らないように詰めなければならないと思いました。私がいつも1粒とか2粒とか残して洗い流しているのを,そこでやったら八木さんにばれてしまうと思いました。それなので,それがばれたら証拠をなくすといつも言われているのに,流しにそんなものを流していると分かったら,八木さんにとても怒られると思ったので,それでそのときはいつもより余計に神経を使って,1粒も残せないと思いました。

***全部入れたあとは,最初にふたをするために削っていたあんこを元に戻して,平らになるように右手の人差し指でならして,そして見た感じ,いじった形跡がないようにきれいにあんこをならしておく必要があったので,それで,私は右手の人差し指できれいにあんこを平らにならしました。

***私がその細工をしている間は,[八木は]ずっとそばで見ていました。そして,できあがったときに,八木さんは「うまいものだな。全然分からないや。」と言ってから「ちゃんと,全部食べさせろよ。」と言いました。

***私は一応,そのときに「うん。」とだけ答えたんですが,そのときに「佐藤さんは気付かないで食べてくれるだろうか。」ということが不安になって,八木さんには言いませんでしたが,そのときに「こんなにトリカブトの根っこをいっぱい入れちゃって,佐藤さんは本当に気付かないんだろうか。ちゃんと全部食べてもらえるだろうか。」ということがとても不安で,もし食べなかったらどうしよう。佐藤さんがこのトリカブトに気が付いて,途中で食べるのをやめちゃったらどうしよう。そういうことが不安で不安で仕方ありませんでした。もし,佐藤さんが食べなかったら,あるいは途中でやめてしまったら,私は八木さんに今度どういうふうに言われるのだろうかということを考えたら,佐藤さんにそのトリカブト入りのあんパンを食べさせて殺すということも怖かったのですが,八木さんから,それが失敗したときに,佐藤さんに「口の中に押し込んでも食べさせろ。」と言われて,私がその行為をやらなくてはならないというほうが,また更に嫌な思いをすると思いました。ですから,佐藤さんにどうしても食べてほしいと願うような気持ちで,祈るような気持ちで「佐藤さん,お願い,食べて。」と思っていました。(武第9回証言調書)

 

写真のような記憶力、そして小説も顔負けの心理描写である。武はおそろしく饒舌に渡辺荘事件を法廷で語った。一審判決は「長い年月を経た以前の出来事であるにもかかわらず、極めて具体的且つ詳細で、迫真性に富んで[いる]」と評した。そして、裁判官たちは武の証言をほとんどそのまま判決の「罪となるべき事実」と認定して、八木に死刑を言渡したのだ。

しかし、武の証言には決定的な問題があった。彼女は、法廷でこれほど饒舌に語った事件のことを長い間すっかり忘れていたと証言したのだ。

彼女は、逮捕されて1ヶ月後に風邪薬事件の自白を始めたが、その後も佐藤は利根川に飛び込んで自殺したのだと言い続けていた。彼女が「トリカブト」という言葉を口にしたのは逮捕から3か月経った平成12年6月末である。しかし、その後も「自殺」供述は維持される。トリカブトを少しずつあげていたのは事実だが、それは平成6年末ころには止めたという。捜査官はこの話を信用せず執拗に追及したが、それでも武は4ヶ月間この供述を維持した。武の証言によると、平成12年10月24日佐久間検事から「佐藤さんが溺死ではなく、トリカブトで死んだことは科学的に立証できる」「このままでは八木と同じ否認扱いになる」と告げられ、これをきっかけに、彼女は佐藤に最後にいつもの倍の量のトリカブトを食べさせたことを思い出したと言う。しかし、「トリカブト殺人」の中身をすぐには思い出すことができず、その後少しずつばらばらに色々な場面を思い出していき、ついに「記憶のふた」が完全に取れて、法廷で述べたような詳細な話しをできるようになったというのである。

武の「記憶回復」のプロセスはどのようなものだったのか。まずそれを見ていくことにしよう。

 

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