第3章 武まゆみの証言と記憶

「佐久間検事はウソを見抜いていた」

 

武の平成14年証言によると、「忘れていた」という武の話を佐久間検事は全く信用せず、武のウソを最初から見抜いていた;そして、何度も武に向って「あれは否認でしょう」「否認だと認めちゃいなさいよ」「この『記憶にふたをした』っていうのどうにかならないかね」「これ消えないかね」などと言った;それに対して自分は「本当に忘れているんです」「否認じゃありません」と言って反論した、というのである(第86回、第87回証言調書)。

しかし、武のノートにも、彼女の供述調書にも、このエピソードは全く登場しない。武の平成14年証言によれば、彼女は検事や刑事を騙すためにノートを利用したのだという。本当に渡辺荘事件の記憶を失っているということを演出するために、ノートには一生懸命に思い出す努力をしているように書いた;1度に思い出したと書くと「全部忘れてないじゃんって思われるから」途中で「勘違い」をしている状況までノートの上で演じた、という。そのような彼女が佐久間から「あれは否認でしょ」などと言われて、「忘れていた」という話を信用してくれないというならば、そのことを当然ノートに書いて利用するはずである。例えば、「検事さんは『否認でしょ』と言うけど、そんなことはないもん。本当に覚えてないんだから!!どうして分かってくれないの!」という具合に書くはずである。――「偽装自殺」の話を「ウソ」と言って受け付けようとしない鈴木刑事については、武はノートの中で何度も「ウソはついてないもん」「刑事に何を言われても変えようがない」と書いた。そして、私はウソをついていませんという上申書まで出している。それと同じことをできない理由はどこにもない。

それどころか、武はノートの中で「今、その記憶のふたをあけて、よみがえらせる事ができて、本当に良かった。それもこれも、みんな佐久間検事のおかけだ。私の事を信じてくれた事が、とてもうれしい」と、「忘れていた」という自分を信じてくれ、かつ、記憶の再生を助けてくれた佐久間検事への感謝の言葉が述べられているのである(武ノート9冊目12/12)。

佐久間検事が武の自白の決意や記憶回復の過程を記録するために作成した検察官調書にも、この話は全く登場しない。佐久間検事が否認ではないかと疑っている様子は微塵もなく、むしろ「思い出すスイッチはどこにあるのかね」とか「まるで、パスルのピースをあっちこっちに埋めていく感じだね」というような、武の記憶回復能力に驚嘆する言葉が述べられているのである(武H12/10/25検察官調書)。

 

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武はなぜ「忘れたことはない」と言い出したのか

 

それでは、武はなぜ突然そのような劇的な証言変更をするに至ったのかを考えてみよう。武が「忘れたことは1秒たりともありません」と証言したのは、平成14年5月22日である。武はなぜこの時期に前年秋の証言を根底から覆す証言をしたのか。

1つの説明として、無期懲役判決が出されて、死刑の可能性がなくなったから真相を告白したのだという言い分もありえよう。平成13年証言当時の武の希望が死刑の回避というような消極的なものではなかったことは明らかであろう。彼女は、ノートにも手紙にも繰り返し、「有期になればいい」「10年くらいと思っていたほうがいい」とか「早くて15年くらい」という予想を述べている。要するに、佐久間検事が死刑を求刑しないことはすでに既定の事実であり、武は、単に命が救われるだけではなく、できるだけ早く社会に戻ることを希求するようになったのである。

無期懲役という自由刑は受刑者の側から見ると、まだ刑期が定まっていないのと同じである。法律上は、10年以上の刑期が経過して「改悛の状」が認められれば仮出獄もありえる(刑法28条)。しかし、殆んどの無期受刑者の在所期間は18年を超えている 。受刑者本人には仮出獄審査請求権はなく、監獄の長が、地方更生保護委員会の委員を指名して審理を行なわせるに過ぎない(犯罪者予防更生法29条)。それでも、無期受刑者の仮出獄申請の棄却率は非常に高い 。監獄の長が仮出獄申請をするに際しても、また、地方更生保護委員会の委員が審理をするに際しても、確定した刑事事件記録の存在する検察庁への問い合わせが行われ、その意見が聴取されるのである。要するに、武は、今現在も「改悛の状」を示しつづけなければならないのである。その唯一の方法は、佐久間検事への恭順を示しつづけることである。

ところで、先に指摘したとおり、平成13年秋の証言の間も、そして、それが終った後も、武は検察官と連絡を取り合っていた。無期懲役判決の理由について、無期を求刑をした当の検察官から苦情が出て、彼らは武に控訴を勧めたりもしている 。武と検察官との親密な関係は、証言終了後も続いていたのである。武は、佐久間検事の期待に応えるためには、最終的に八木を有罪にする証言をしなければならない、そのためにはどうしたらいいのかを常に考えていたはずである。そして、検察官は、八木の公判の進行状況を武に伝えていたのである。

このことは、武の証言態度から明らかに伺えることでもある。例えば、武は、平成12年12月12日には、佐藤の部屋の布団の下は畳であり、アナリエは畳の上のゲロを拭いていたと供述していた(H12/12/12検察官調書)。
われわれは、この供述を弾劾する証拠として、渡辺荘から押収された畳からトリカブトが検出されなかったという鑑定書を証拠として提出した。すると、武は、前の供述を変更して「佐藤の部屋にはカーペットが敷かれていた」と証言した(第6回証言調書)。

武は、平成13年秋には、佐藤が書いたという「ひらがな書きの遺書」の入った封筒には住所が書かれておらず、切手も貼ってなかった;佐藤殺害後にレオから別荘へ行く途中で八木から手渡されたときにはそこに住所が書きこまれ、切手が貼ってあったと、八木ないし八木の妻が住所を書きこんだことを示唆する証言していた(第7回証言調書)。

われわれれは、この証言に対する反証として、封筒のうえの住所の筆跡は佐藤修一の筆跡と同一であるという筆跡鑑定書を証拠として提出した。

すると、平成14年春になって武は、八木に遺書を渡す時点で「住所が書かれてあったかも知れない」と証言を変更した(第87回証言調書)。

もう1つあげよう。武は、平成13年秋には、別荘近くの山林に佐藤の布団や衣類などを捨てに行ったとき、八木は布団を崖に放り投げた後「見えねえから、大丈夫だろう」と言ったと証言した(第7回証言調書)。

平成14年5月に行なわれた検証の結果、山林の斜面はなだらかなものであり、「崖」と呼べるようなものではなく、布団や衣類をどんなに遠くに放り投げても見えなくなることなどありえないことが分かった。

すると、平成14年春には、「私の位置からは見えなかった」 と趣旨を変更した(第87回証言調書)。

こう見てくると、武が平成14年春に「忘れたことはなかった」と証言を変更した理由は明白ではないだろうか。彼女は仲真紀子の鑑定結果を検事から教えられていたのである。記憶と供述の専門家である仲真紀子は、渡辺荘事件の記憶が「抑圧」され、それが「回復」されたとする武の平成13年証言に根本的な疑問を投げ掛ける鑑定書を提出し、その理由を法廷で詳細に説明した。そのことを武は知ったのである。だから、「記憶にふたをした」というのはウソでした、渡辺荘事件のことを忘れたことはありませんと、仲鑑定を無効にするための証言をしたのである。

武は、再度の証人尋問が決った後、平成14年5月13日に佐久間の訪問を受けた。そして、このときに「忘れたことはなかった」「実は否認だった」という話をしたという。そのとき佐久間は「すごく納得」したと言う(第87回証言調書)。武は、「覚えていない」という武の話が嘘であることを佐久間は最初から見抜いており、「取調べ中」に彼女から「あれは否認でしょ」と「何度も」言われた;また、「調書に」「記憶にふたをしたという言葉」が「何回も」出てくるが、検事から「この『記憶にふたをした』っていうのどうにかならないかね」「消えないかね」と言われた、と証言した(第86回証言調書)。佐久間検事の慧眼を賞賛する証言である。

しかし、武証言はここに馬脚を現したのである。武が語るエピソードを佐久間検事の側から見てみよう。検事の取調室の中で渡辺荘事件について武はその一部を語りつつも、「忘れていました」とか「そこは思い出せません」と供述していることになる。そのような武本人を前にして「あれ」は「否認でしょ」というのは変である。そのような状況に相応しい発言としては「それ」は「否認でしょ」と言わなければならない。

そしてさらに、武によれば、彼女の調書に何回も「記憶にふた」という表現が登場し、佐久間は、「この『記憶にふたをした』っていうのどうにかならないかね」と発言したという。しかし、それはありえない話である。なぜなら、佐久間検事の作成した調書のなかには「記憶にふた」というフレーズは1回も登場しないからである 。武は調子に乗りすぎて余計なことまで証言してしまったのだ。

それでは、佐久間検事はいつ「あれは否認でしょ」「この『記憶にふたをした』っていうのどうにかならないかね」と言ったのだろうか。答えは明白だとわれわれは思う。それは平成13年証言終了後である。すなわち、仲鑑定を無効にするために佐久間が武に証言の変更を要請し、武はその要請を受け入れたのである。

 

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