第3章 武まゆみの証言と記憶

「死刑の恐怖」

 

まず、彼女が偽証の動機として語る「死刑の恐怖」について検討する。武まゆみは平成12年6月3日の日記にこう書いている。

もしかしたら、再逮捕もあると言ってたけど、私は、それは、大丈夫みたいだ。そのことについて、調べはあるかもしれないけど、再逮捕されるのは、マスターとアナリエだろう、と思う。マスターは、その再逮捕されると、いよいよ、命がないかもと検事が言っていた。保険金殺人の場合、1人でも無期か死刑を求刑されると言ってた。まして、否認ということになると、求刑が死刑になる可能性が高い。求刑をそこにもっていかれると、よくても無期だと、村木さんも言っていた。マスターは、マジ、ヤバだゾ。(武ノート4冊目)

 

確かにここには、保険金殺人の場合1件でも求刑は死刑か無期であり、否認の場合は求刑が死刑になる可能性が高いという趣旨を「村木さんも言っていた」と書いてある 。しかし、それによって自分が死の恐怖を感じているという意味の記載はどこにもない。むしろ逆である。自分は佐藤の事件に関して再逮捕されることはないから「大丈夫」という認識であり、罪を否認している八木は「マジヤバ」だと言って、彼のことを心配しているのである。

そして武は、その2週間後の日記に次のように書いている。

あのオバタリアン[同房者]、自分の弁護士に私のことを聞いたらしい。そしたら、私の場合、2~3年の刑じゃないか、と言っていた。私は、10年くらいと思っている、と言ったら、そんなに重くはならないんじゃないか、と言っていた。でも、保険金殺人の場合は、罪が重いから、10年前後と思っていた方が、ショックを受けない、と思っている。それで軽い刑だったら、うれしい、と思えるじゃん、と言った。私は、軽く考えていたら、重い時に大変だから、と思うのだ。でも、私のことより、やっぱり八木さんだ。どんなことにしろ、八木さんは、私より重いのだから。まして否認じゃなおのことだ。私は、やっぱり、そっちが気になる。自分より八木さんの方が、心配だ。だって、私は、主犯じゃないから。八木さんは主犯で否認だ。そして、自分の愛人たちにやらせたのだから、罪は重いと思う。やっぱり心配だ。八木さんが死刑になってしまうのではないかと、悩んでしまう。(武ノート4冊目6/15)

 

これは同房者との会話の中で、既に風邪薬事件(殺人と殺人未遂)を自白していた武が「10年前後と思っていた方が」それより軽い刑がでたときに嬉しく思えると話したエピソードを記したものであり、自分より八木の方が心配だという思いを綴っている。武が死刑の恐怖を感じている様子は全く伺えない。それどころか、武は「10年」よりも軽い刑を期待しているのである。

渡辺荘事件の細部の供述が完成しつつあった11月22日付の妹宛の手紙でも武はこう語っている。

私は昨日21日に前の事件で再再再逮捕されました。事件のことを前よりは思い出して話していますがいまいち完全に思い出したわけではないのですが、肝心なところは,思い出しているので、検事は大丈夫だと言っています。後は高野先生と私の争いになるからそれに負けないようにと言われています。
検事が私は社会に復帰できる、させると言ってくれています。私のやったことからすればやはり重い刑になるのかもしれませんが、長くなるかもしれませんが、外には出られるようです。それで少し安心しました。私は主犯ではないのでいくらかいいようです。それでも2・5件なのでそれなりに覚悟したほうがいいと思ったのですが検事との話では自分が思っているよりは、軽いのかと思います。

 

佐久間との間で少なくとも死刑の求刑はないという約束ができており、安心している様子が明らかに見て取れる。

既に渡辺荘事件を含む全ての事件を自白して半年が経過した平成13年5月13日付で、武は八木茂樹に向けてこう書いている。


私が少しでも早く出られるようにと思ってくれていて、その気持ちは嬉しいですが、私自身、早くても15年と思っています。
私は、最初に自白する時に”無期”になることを覚悟して、証人となることも覚悟して正直に話すことを決意したのです。そして、その時点で、”極刑は免れた”と検事に言われました。その後で、夏頃に佐藤さんの事件を私が自白し始めたことから事件として立件できた、ということで、捜査に協力したと認められたから、更に1つ下がるそうなので、有期になればいいかナ、と今は思っています。***
何にしても、私が出る頃には、お互いいい年になっていることと思います。

 

この手紙にも「死刑の恐怖」は微塵も伺われない。これらのノートや手紙の記載について、武は、平成13年証言と同様に、死刑の恐怖に打ち勝つために、ノートや手紙に書くことによって、「自分を励ます」ためであったと証言した(第86回証言調書)。しかし、そのような話がまったく信用できないことはすでに検討したとおりである。誰にも言われていないことを、言われているように書いて、励まされたり慰められる人はいない。却って余計に辛くなるだけである。武は、佐久間から死刑は求刑しないという約束をされていたから、そのことをありのままにノートに書き、手紙にも書いたのである。そのような約束があったからこそ、「有期になればいいナ」「早くても15年」という期待を抱き、手紙にもそう書いたのである。このような手紙を書きながら、「死刑の恐怖」にさいなまれ、自分を少しでもよく見せようとして「記憶に蓋をしていた」と嘘の証言をしたという人を信用するのは常識にかなったことだろうか。

武の裁判は、八木の裁判とは違う裁判官(さいたま地裁第1刑事部)のもとで行なわれた。つまり、武の刑を決める人は八木の法廷にいる裁判官ではない。もしも、彼女が死刑を免れるために「記憶にふたをしていた」という嘘をつく必要を感じていたのであれば、彼女は、八木の法廷ではなく、彼女自身の法廷でこそ、その嘘を必死につかなければならないはずである。そして、佐藤殺害の記憶がなかなか甦らずに、悪戦苦闘している様子を克明に綴った日記を自らの裁判でも証拠に提出したはずである。

ところが、そのような様子は全くなかった。「記憶回復」のプロセスを語った彼女の膨大な量の供述調書も彼女自身の法廷では証拠にならなかったのである。取調べの最後に作られた検事調書だけが証拠になったのである。彼女の被告人質問でも、武の弁護人は「記憶にふた」に関連する質問を一切していない。むしろ、検察官がそのさわりの部分をさらっと聞いているだけである(武被告人質問調書)。もしも、彼女が自分の命のために「記憶にふた」という状況が必要だと感じていたならば、検察官ではなく、自分の弁護人にその質問をさせるようにするはずである。

要するに、武は、失われていた記憶が甦ったのであれ、最初から記憶していたのであれ、捜査段階で自白をしていれば自分が死刑になることはないと確信していたのである。それは言うまでもなく、佐久間検事との間で「死刑は求刑しない」との約束ができており、佐久間はそれを守ると信じていたからである。

 

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臓器の保管と自殺のシナリオ

 

武は、平成12年5月末の取調べで佐久間検事から佐藤の臓器は保管されていると聞いて、体が震えるほどの衝撃を受け、佐藤の臓器からトリカブトが検出されても矛盾がないようなシナリオを考えようと思い、佐藤に毎日トリカブトを少しずつ与えていたが、最後は佐藤を坂東大橋から飛び込ませて「自殺」させたというストーリーを考えついた、と証言する。

武は「体が震えた」と証言した。これは物凄い衝撃である。これが本当だとすれば、その日にはいつも付けている日記を書く作業すらできないであろう。日記を書く気力が残っていたとすれば、文字は乱れ、思考も乱れているに違いない。実際の武のその日の日記には、必ずその痕跡があるはずである。その日(5月30日)の日記を見てみよう。書けないどころか、武は刑事と検事の取調べの様子やその日に作成された調書の内容を実に丹念に記録している。そして、佐久間検事との会話をこう記述している。

今日で満期で、取調べが終わりだ。検事には「あとで思い出したことがあったり、相談したいことがあったら、いつでも呼んで下さい。それと、こちらからも、話を聞きたい時は、行くか呼ぶかもしれません」と言われた。刑事も同じだった。明日からチョーヒマ人になってしまう。
八木さんは、本当に最後の今日まで否認を続けたという。本当に大丈夫だろうか。生きて出られるだろうか。これから、佐藤さんの件も立件されるのではないだろうか。そしたら、八木さんは本当にアウトだと佐久間検事は言っていた。本当に、私は、八木さんとまた会えるのだろうか。裁判の時じゃなく、外で会えるのだろうか。何だか、いやな予感がしてならない。当たらなければいいのだけど、私のいちばんイヤなことになってしまわないよう祈りたい。(武ノート4冊目)

 

佐久間の言葉によって「体が震えた」どころか、明日から調べがなくなり「チョーヒマ人になってしまう」と嘆いている。そして、自分の行く末を案じるのではなく、八木のことを心配している。文章にも文字にも全く乱れはない。そして、「佐藤の臓器」のことなど影も形もない。

武の日記に「佐藤の臓器」の話が登場するのはその3週間後の6月22日である。

自殺の話はしたけれど、長野の話は、まだしてない。どうしようかと思っている。ただ、肝臓とかがとっておいてあって、今かんてい[鑑定]していると言っていたから、言った方がいいと思うが、先に村木さんに相談してみようか。八木さんの立場が悪くなるだけだと思う。
自殺の件にしても、刑事たちは、誰かがつきおとした、と思っているようだ。ちがうと言ってるのに。八木さんが、あの日別荘に行ってから、誰かと連絡をとったと言っているのだけど、それは、川村が言っているらしい。私には記憶がないのだけど、それで、誰かにたのんで、結果を聞いた、ということのようだ。それはないと言ってるのに。私が八木さんをかばっていると思っているらしい。
夕方、村木さんが来た。例の長野の話をしたら、それも、話した方がいいと言っていた。今度鈴木刑事が来たら、話そうと思う。(武ノート4冊目)

 

確かに、佐藤の臓器が保管されそれが鑑定されているということを知ったことが「言った方がいいと思う」動機にはなっている。しかし、武の念頭にあるのは渡辺荘事件ではなく、「長野の話」――長野に自生するトリカブトを採取して、佐藤にそれを少しずつ食べさせた――である。そして武はその話をするかどうか村木弁護士と相談して、正直に話した方が良いというアドバイスを受けて話すことを決意するのである。とても冷静な対応の仕方である。鑑定によって「トリカブト殺人」が発覚することを恐れ、死刑を免れるための「シナリオ」を必死に考えている様子は覗われない。

後に作成された検察官調書のなかで、この供述の動機について「私は、証拠を突きつけられてしゃべるのは嫌だと思いました」と武は説明している(H12/10/25検察官調書)。トリカブトの話を聞いてビックリしている鈴木刑事の姿を見て、「私は、トリカブトが鑑定で検出される前に、私の方が先にトリカブトのことを打ち明けたのだと分かりました。私は、鑑定よりも先に自分から話したことを知って、それでも馬鹿なことをしたとは思いませんでした。いずれ発覚することであれば自分の方から先にうち明けた方がいいと思ったからです」と述べている(同)。

武はどうして「証拠を突きつけられてしゃべるのは嫌だ」と考えたのだろうか。そのヒントは彼女の手紙の中にある。平成12年10月30日付母親宛の手紙に次のような記載がある。

検事に「真実を明らかにすればそれだけ刑は軽くなる。」といわれました。検事と話していて裁判の仕組みと言うか、あり方というのかそんなものが少し分ってきました。私は今必死になって思い出して、話しています

 

また、八木茂樹宛の手紙の中にも検事の話として「捜査に協力したと認められたら、更に一つ下がる」という言葉が出てくる。武は、捜査官から証拠を突きつけられて話をするのではなく、自分が進んで話をすることによって「真相解明」に協力すれば、それだけ量刑上有利になると考えていたのである。

臓器に関する次の記述は7月28日である。その日武は鈴木刑事から「うそ発見器」の話をされたが、さらに鈴木に「トリカブトが出たら(サトウの体内から)どうする?」と言われた。これに対して武は「私は、あげてない。もし入ってたら、それは、八木さんが、うちから持って行ったのだろうと思う。だから、出ても、私がウソをついたことにはならない。」と答えている(武ノート5冊目)。この日の日記も鈴木刑事の取調べの様子を丁寧に記録している。文章の乱れも思考の乱れも全くない。佐藤の臓器からトリカブトが検出されても自分は大丈夫という自信が文章の端々からうかがえる。

ところで、7月28日と言えば、武がトリカブトの話をしはじめて1ヶ月近く経っている。その2週間前には刑事とともに八ヶ岳を訪れている。つまり、既に彼女は、2年間にわたって毎日のように佐藤にトリカブトの葉っぱ煮出しコーヒーをあげたり、トリカブトの根っこを入れたまんじゅうを与えていたと供述していたのである。それにもかかわらず、鈴木刑事が「トリカブトが出たらどうする?」と尋ねたのはなぜか?そして、「私は、あげてない」と武が答えたのはなぜか?

答えはこうである。佐藤の臓器にアコニチン系アルカロイドが含まれているかどうかの鑑定依頼がなされたのは7月17日であり、まだ鑑定結果は出ていなかった 。もしも鈴木刑事が、2年間にわたってトリカブトを与えていればそれが臓器に蓄積して必ず佐藤の臓器からトリカブトが検出されると考えていたのであれば、彼は、「トリカブトが出たらどうする?」などと質問をするはずがない。鈴木は、死の直前にトリカブトが与えられていなければ臓器からトリカブトが検出されることはないと考えていたのである。

当時武は、トリカブトを与えたのは「平成6年終り頃」まで(H12/6/30警察官調書)とか、「死ぬ何日か前まで」(H12/7/27警察官調書)と供述していた。鈴木は、この供述ではトリカブトは検出されない;しかし、逆に検出されたとすれば、それは佐藤がトリカブトで殺されたことになる;武の供述は崩れる、そう考えていたのである。

だから、鈴木は武に「トリカブトが出たらどうする?」と尋ねた。これに対して、武は、「私はあげてない」と答えた。つまり、武も、鈴木と同じ前提に立って、「平成6年終り頃」まで、あるいは「死ぬ何日か前まで」しか与えていなければ、トリカブトは検出されないと考えていた。だから、「私はあげてない。もし入ってたら、それは、八木さんが、うちから持って行ったのだろうと思う。だから、出ても、私がウソをついたことにはならない」と答えたのである。佐藤の臓器からトリカブトが検出されたとしても、それは自分があげていたトリカブトとは別物である、というのである。

武が平成14年証言で説明した「シナリオ」は、このとき鈴木と武が共通の前提としていたことと全く矛盾する。平成14年春の武は、死の直前にトリカブトを与えていなくても、長期間与えたトリカブトが佐藤の臓器に蓄積され、それが鑑定で検出されるという前提に立っている。だから、それと矛盾しないストーリー――トリカブトを長期間与えていたが、最後は自殺した――を考えたと言うのだ。
しかし、それならば、「トリカブトが出たらどうする?」という鈴木刑事の質問も、そして、「わたしはあげてない」という武の答えも、意味をなさなくなる。平成14年版の「シナリオ」を前提とすれば、武は「はい、確かに、前から言っているように、わたしはトリカブトを与えていました」と答えなければならないからである。

平成14年のシナリオは、佐藤の臓器からトリカブトが検出されたという鑑定結果に加えて、死の直前にトリカブトを与えなくても、長い間与えられていたトリカブトが臓器に蓄積して死体から検出されるものであるという知識がなければ書けないのである。平成12年7月の時点では、武にはこの知識はなかった。したがって、このシナリオは武には書けなかったのである。

 

 

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