第3章 武まゆみの証言と記憶

細部を思い出すプロセス

 

平成12年10月24日の佐久間の取調べを契機に「佐藤修一にトリカブト入りのあんパンを食べさせた」ことを思い出した武は、その後「少しずつ、断片的に」渡辺荘事件の細部を思い出していったと証言した。そして、その思い出す過程に関する証言も、ほぼ、ノートの記載に沿うものである。武は法廷で「ノートを見れば思い出している経過、自分の思い出している経過というのがすごくよく分かると思うんですが」と証言した(第19回証言調書)。どのように細部を思い出したかについて、武は大略次のように証言した。

  •  八木の指示の言葉――佐久間検事に「とにかく、八木さんとの会話を思い出せ」と言われて、事件の頃の八木との会話をノートに書き出していき、2、3週間から1ヶ月くらいかかって「まんじゅうでやるべ」という八木の言葉を思い出した。
  •   別荘での謀議――早い時期に思い出したことと遅くまで思い出せなかったことがあるが、佐久間検事に最初に話してから1ヵ月後ぐらいには思い出した。
  •  「押さえろ」という八木の言葉――あんパンの話をしてから1週間たっていないうちに思い出した。
  •  殺害場面――平成12年11月26日に検証のために渡辺荘に入ったときに、佐藤を押さえた布団の向き、佐藤に馬乗りになったことなどを思い出した。
  •  着せ替え――10月終わりか11月頃に、八木が革ジャンを着せるとか言っている言葉を思い出した。その1週間後ころに、ズボンを履かせたことを思い出した。次に靴下を履かせたことを思い出した。革ジャンを着せている場面を思い出したのは、12月に近い頃、12月9日の実況見分の少し前。革ジャンの襟を切ったことを思い出したのは11月の早い頃。そのときには、切っている場面そのものは思い出せなかったが、1~2週間後にそれを思い出した。袖口を切ったことを思い出したのは12月。ジャンパーの袖が通しづらかったことを思い出し、その先を考えていたら、袖口を切ったことを思い出した。
  •  死体流し――佐久間検事から言われて思い出した八木の言葉のなかに、「佐藤さんの死体を利根川に流す」というのがあって、その言葉を思い出して1週間くらい後に、実際に利根川に死体を流している場面を思い出した。モップの場面はそれだけ単独で思い出した。全部思い出したのは12月に入ってからかもしれない。

 

武は、一日中事件当時のことを考えていた;取調べの時間中も、取調べから帰ってからも常に考えていた;そして、思い出したことをノートに書いた;私だけ留置場内でのノートの使用を許してもらい、就寝時間以後もノートをつけていることもあった;「とにかく考えなくては、思い出さなくてはと思って、私も必死になって思い出そうと思っていました」「自分が眠くなるまで」事件のことを考えつづけた;私があることを思い出すと、もっと詳しく思い出すようにと佐久間検事は宿題を出した;佐久間検事から「あなたがちゃんと思い出さないと、あなたのやっていないことまで、あなたのせいになるわよ」と言われた;「とにかくフルに頭を使え」とも言われた;だから、フルに頭を使って1日中事件のことを考えていた;武はそう証言している(第19回証言調書)。また、思い出す作業は渡辺荘事件の起訴とともに終ったわけではなく、幾つか思い出せないところがあり、最終的には平成13年8月に星検事の証人テストまで、思い出す努力を続けていたというのである(同前)。

このように、平成13年の武の証言は、彼女自身がノートに克明に綴った「記憶回復」のプロセスを詳細に裏付けるものであった。

 

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