第3章 武まゆみの証言と記憶

1 証言

 

武まゆみは平成13年9月4日から10月26日にかけて26回、さいたま地裁301号法廷の証言台に立った。渡辺荘事件について言えば、証言の時点ですでに6年以上前の話であるが、武は、まるで昨日の出来事を語るように、生々しく、詳細を極めた証言を行なった。長くなるが、読者のためにその内容を要約しておこう。

  •   佐藤修一は八木茂が経営する「カラオケ道場レオ」の客であった。平成2年ころにホステスの1人アナリエと彼女のビザのためにフィリピンで結婚し、同年11月か12月ころ以降アナリエを受取人とする生命保険に加入していた。そして、平成4年ころに、八木はレオのホステスたちの前で、佐藤にたくさん飲ませ、つまみを食べさせずに、仕事を休ませないようにして、疲れさせて、病気にさせて死なせるという話をした。私は、佐藤は過労死するタイプではないと思っていたが、八木の指示どおりに、出来るだけ遅くまで佐藤をレオに居させて、酒を飲ませ、つまみをあげないようにしていた。また、その後、佐藤に、タバコをショート・ホープからショートピースに換えるように仕向けたり、タバコの葉を煮出した湯で入れたコーヒーを飲またりして佐藤を「成人病」にさせようとした。これも八木の指示でやったことだ。
  •   平成5年8月ころ八木から「トリカブトを使うべえ」と言われて、私は八木の指示で市立図書館に行って「トリカブト」という表題のある本をかたっぱしから借りてきてトリカブトについて調べた。そして、トリカブトの開花時期である同年9月に、八木と2人で八ヶ岳山麓の美濃戸別荘地に行き、自生するトリカブトを根っこごと50~60本取ってきて、私の自宅永山荘でその解体作業を行なった。解体したトリカブトの根っこや葉は赤ちょうちんの冷凍庫に保管した。そして、私は、トリカブトを毎日少しずつ与えて佐藤を最終的には病死させる目的で、その翌日から、赤ちょうちんやレオで饅頭や大福、あんパンの餡の中にトリカブトの根をみじん切りにして仕込んだものを、毎日佐藤に食べさせた。それに加えて、トリカブトの葉を煮出した湯で入れたコーヒーも佐藤に与えていた。
  •  平成6年8月にも美濃戸別荘地に八木と二人で行き、やはり50~60本のトリカブトを採取し、引き続き佐藤にトリカブト入りの饅頭や大福、あんパンなどを食べさせ、トリカブトの葉っぱを煮出したコーヒーを与えていた。平成5年9月終わりころ(「細野荘事件」)と平成6年5月(「鬼怒川事件」)の2回、トリカブトの量を多く与えすぎて、佐藤が激しく嘔吐して、身もだえし、唇がタラコのように腫れ上がるという出来事があった。しかし、佐藤が病死する兆しはなかった。トリカブトの葉を煮出したコーヒーについては、平成7年初めころに八木から「葉っぱは効かねえからもうやらなくていい」と言われたのでやめた。
  •  平成7年初めころ永山荘で八木と2人でいるときに、八木は「佐藤さんに自殺の演技をさせる」と言った。佐藤さんに坂東大橋から利根川に飛び込んで自殺したことにして、保険金を受け取り、その金で私と暮らすという話をして、佐藤をその気にさせて、実際に坂東大橋から飛び込ませるということだった。八木はそのころから毎日佐藤にその話をして、佐藤はその気になった。八木は佐藤に「泳ぎは大丈夫か」と尋ねたが、佐藤は「おれは泳ぎは得意だ。カッパだから」「坂東大橋から飛び降りても、絶対に泳げるから大丈夫だよ。岸までたどり着けるから、そこでマミちゃんが待ってるから」などと答えていた。また、佐藤は飛び降りるときには革ジャンを着ると言っていた。その一方で八木は私には「佐藤さんがいくら泳ぎが得意でも、坂東大橋から飛び下りたら絶対に死ぬ」「もう保険を掛けて2年たっているから、調査も入らないから、絶対に保険が下りる」と言っていた。毎日話しているうちにだんだん話が具体的になってきて、八木は、佐藤に、自転車に乗って駅南(JR本庄駅南口)からタクシーで坂東大橋に行け、その間のポストで遺書を投函しろ、と指示していた。遺書は平成7年はじめころにレオで佐藤が自分で書いたが、1通は漢字かな混じり、1通は全文ひらがなで、いずれもアナリエ宛の宛名の封筒に入れたが、住所は1つの封筒にしか書いてなかった。「マミが預かっていろ」と八木に言われたので、私は、レオのオーダーをしまっておくボックスに入れておいた。
  •  平成7年3月ころに、境野という私の客が1500万円のツケを残して出奔した。4月終わりころには、佐藤を5月はじめに「自殺」させる計画を実行することになった。トリカブト入りの饅頭については、八木から、佐藤の遺体は絶対に警察で解剖される、そのときにトリカブトが出ると困るから、「自殺」の3日前に止めろと言われて、5月初めころに止めた。正確な日付は判らないが、5月10日前後に坂東大橋から佐藤を飛び込ませることになった。
  •  その当日八木から電話で「今日の夜行け」という連絡を受け、八木の指示どおり、午後8時半にビールに焼酎を混ぜたものを用意してマークⅡで佐藤との待ち合わせ場所に行った。佐藤はその場にいたが、ジョッキを空けたとたんに助手席で眠り込んでしまった。佐藤が起きないので、そのまま渡辺荘に乗せて帰り、佐藤を引き摺り下ろして玄関の前に座らせて、レオに行った。レオで、八木から「もう1回行け」と言われたので、渡辺荘にひき返した。八木も後に続き、佐藤に「今日を逃したらずっと先になっちゃうから、ちゃんとやりなよ」と言い聞かせた。もう一度佐藤を車に乗せて利根川に行き、坂東大橋付近の河原で下ろした。佐藤は歩いて坂東大橋に向った。その後車で坂東大橋を2、3回往復したが、佐藤の姿はなかった。
  •  結局、佐藤は坂東大橋から飛びこまなったようで、1日2日後に八木が佐藤を赤ちょうちんに呼び、そこで見かけた。この失敗の後、八木は佐藤に「保険金でマミと一緒に暮らせばいい」という「甘い話」をしていたが、佐藤の表情からみて、佐藤はあまり乗り気ではないという印象を持った。
  •  その後八木から6月7日に別の愛人と伊豆に旅行に行くので、その日に佐藤を坂東大橋から飛び込ませるという話があった。しかし、その後、上里町のサンパレスで行なわれるディナーショーのチケットが手に入った。そして、永山荘で八木から「その日にする」「俺が本庄にいたほうがいいから」「あいつはだめだ」「まんじゅうでやるべ」と言われた。この日付の変更と計画そのものの変更は同時に聞いた。私は「まんじゅうは弱らせるだけって言ってじゃない。でたら困るって言ってたじゃない」と言って抵抗した。八木は「だったら、境野のツケはどうやって払うんだよ」と言い、沖縄のトリカブト事件を引き合いに出して、①入手経路、②死体からのトリカブトの検出、③現場からの検出の3つの条件が揃わなければ絶対に逮捕されないなどと言って、私を説得した。
  •  八木は、何日にもわたって、家を買ってあげるとか豪華客船で世界一周させるなどと言って私を説得した。しかし、私は応じなかった。けれども、八木から「俺たち2人の夢のために佐藤さんに死んでもらうんだ」と言われて、応じることにした。
  •  その後八木は毎日のように永山荘に来て、私に佐藤をトリカブトで殺す手順や時刻、その前後の行動、死体の処理の仕方などを詳細に指示した。そして、私は、八木の指示にしたがって、一番大きな根っこを取り分け、ディナーショーの2、3日前に赤ちょうちんの冷凍庫にしまった。
  •  八木はレオで森田考子やアナリエの前で、6月7日から3日に日付けが変更になった話と「佐藤さんは自殺したんだ」という嘘の話をしていた。しかし、佐藤を一気に殺す計画については話していなかった。けれども、6月1日に八木の別荘で話し合ったときに、その話は森田とアナリエに伝わった。
  •  5月31日のレオの営業中に八木から「今日店が終ったら、山に行くから。大事な話があるから」と言わた。6月1日未明、早めに店を閉めて、私と八木、考子、アナリエの4人で別荘に行った。別荘では、八木が「アンナ中心の大事な話があるから」と言って佐藤殺しの話をはじめた。私と八木との間で既に打ち合わせ済みの話が多かったので、タバコを吸おうと思って立ち上がったところ、「マミも黙って座って、ちゃんと聞いていろ」と八木からひどく怒られた。話の順番は覚えていないが、その内容は、それまでに永山荘で八木から指示されたこととほぼ同じで、当日犯行前にアンナと私がニチイに買物に行き、そのレシートをアリバイのためにとっておく話、渡辺荘で佐藤を殺害する話し、その後ディナーショーに行く話し、遺書の話し、利根川に死体を捨てる話し、そして、佐藤は自殺したというウソのストーリーであった。このとき、八木から「まんじゅうは3時に食べさせろ」と言われ、私は「佐藤さんはまんじゅうに飽きているから、パンでもいい」と提案し、八木は「マミはベテランだからマミに任せるよ」と言った。また、八木はトリカブトの量について「いつもの2倍入れろ」と指示した。
  •  6月2日出勤途中にファミリーマートで「十勝あんぱん」を買い、赤ちょうちんのカラーボックスにしまっておいた。レオを閉めてから、投函用の遺書[住所が書いてあるもの]をもってマジェスタのコンソールボックスにしまい、八木の指示どおり、考子には私が帰宅すると思わせるために赤ちょうちんと反対方向に走り時間をつぶした後、赤ちょうちんに戻った。赤ちょうちんの厨房でトリカブトの根っこ1個をみじん切りにし、半分より大きめに切ったあんパンに詰め込んだ。その作業の途中に八木がそばにいることに気付いて驚いて悲鳴をあげた。八木は「うまいものだな。ちゃんと全部食べさせろよ」と言った。細工が終ったあんパンはラップにくるんでコンビニのビニール袋に入れてカラーボックスにしまった。
  •  永山荘で八木と二人で過ごし、八木は3日午前8時くらいに帰っていった。昼頃に起きて、渡辺荘にアナリエを迎えに行き、マジェスタに彼女を乗せてニチイに向った。途中で朝日屋の駐車場に車を停めて自分が遺書を投函した。ニチイで買物をして、午後3時前にニチイを出た。アナリエを渡辺荘で下ろして、私はレオの駐車場に行き、マジェスタをそこに停めて、赤ちょうちんに停めてあったマークⅡに乗り換えて、渡辺荘に行った。隣家との隙間に駐車して、トリカブト入りあんパンの入ったコンビニ袋を持って佐藤の部屋に入った。その時刻は午後3時少し前だと思う。
  •  佐藤は布団のうえに座っていた。アンナにビールを持ってこさせて佐藤にすすめたが、佐藤は「今日は飲みたくない」と言って断った。そして、あんパンをコンビニ袋から取り出して、「あんパン、買ってきたんだけど、食べる」と言って佐藤に渡した。佐藤は「うん」と言って、自分でラップをむいて食べ始めた。佐藤はあまり噛まずに飲み込むように食べていたが、半分くらい食べたところで胸をドンドンと叩いた。アンナに水を持ってこさせ、佐藤は水を飲んで、またパンを食べた。やはりあまり噛まずに飲み込むようにして全部食べた。
  •  その後間もなくして八木が来た。八木は佐藤に「何か食べたかい。マミから何かもらって食べたかい」と声をかけた。佐藤は「マミからパンをもらって食べた」と答えた。八木は佐藤に酒を勧めたが、佐藤は断った。すると八木は「じゃあ、みんなで飲もう」「一杯ぐらい付き合いなよ。佐藤さん」と言って缶ビールを飲むことにした。佐藤は口をつけたが、飲みたくないらしかった。そのうちに佐藤は「体が変だ」「しびれてる。感覚がない」と言い、少しして、「気持ちが悪い」と言った。
  •  それを聞いた八木はアナリエに「洗面器持ってこい」と言ったが、アナリエは洗面器の意味が分からないらしく、もたもたしていた。私は風呂場を探してみたが、手桶しかなく、アナリエにボールとかなべはないかと尋ねると、底の浅いフライパンしかないと言うので、部屋に戻って八木に「洗面器もなべも何もないよ。この家」と言った。八木は、「何だ。洗面器も、何もないのか。」と怒っていたが、「ごみ箱でも、何でもいいから深いものを持ってこい」と言った。佐藤は強い吐き気に襲われ、苦しそうに、座った状態でごみ箱を両手で抱えてその中に吐き、さらに、布団の上に横になった状態でのたうち回り始め、荒い息づかいで、ウウッとうなり声を発してもがき苦しんだ。
  •  八木は、私とアナリエに「押さえろ」と言った。私はとっさに付近にあった掛け布団を佐藤の体全体を覆うようにかぶせ、布団の上から手で佐藤の肩の上辺りを押さえつけたが、それだけでは佐藤が動き回るのを止めることができず、さらに、佐藤の肩を両手で押さえ、胴体の辺りに馬乗りになって押さえ込んだ。アナリエは、八木から「お前も早く押さえろ」と言われて、佐藤の足の辺りを四つんばいの格好で押さえた。佐藤は、しばらく暴れていたが、やがて力が緩んだので、私は、横に立って様子を見ていた八木に、「もう弱まってきたみたいだよ」と言った。八木が「もういいだろう」と言うので、私とアナリエは布団から離れた。八木は布団をめくって「佐藤さん、おーい」と声を掛けた。そして、反応を示さない佐藤を見て、「分かんねえから、もう大丈夫だよ」と言って布団を元に戻した。このとき、佐藤の唇は紫色に変わってタラコのように腫れ上がり、口からよだれを垂らしていた。
  •  八木と私がアナリエを残して帰ろうとすると、アナリエが、「動いたらどうするの」と聞いた。八木は「死んでるから大丈夫だよ。死んでいる人間は怖くねえ。生きている人間の方がよっぽど怖いんだ」と言い、私は、「そんなに心配だったら、紐で縛っておけばいいんじゃないの」と言って渡辺荘を出た。
  •  午後6時ころに、打合せどおり、八木と私とアナリエ、それからレオの客の鹿野幸次と川村富士美の5人は、レオの駐車場に集合し、私の運転する車で上里町のサンパレスに向かった。サンパレスの建物に入ると、八木が写真を撮ると言い出し、喫煙コーナーのような場所で何枚か写真を撮った後、会場に入り、飲食しながら演歌とお笑いのショーを見た。
  •  サンパレスから戻る途中、八木が、「今日は、赤ちょうちんは開けなくてもいいや」と言ったので、私は、予定を変えて、川村と鹿野をレオに案内し、私がカウンターの中で準備した2人の飲物をアナリエが別々のテーブルに座った2人のもとへ運んだ。やがて、八木は、「行くぞ」と声を掛けた。そこで私と八木とアナリエの3人は、八木の運転する赤茶色のワゴン車に乗って渡辺荘に行った。佐藤の部屋に入ると、八木は、布団をまくって佐藤の左首筋に手を当て、脈を診て、「動かねえ」と言った。その後、佐藤の着ていた黄色のスウェットを脱がせ、パンツ1枚にして体を拭き、再び布団を掛けた。さらに、八木の指示で布団の下やその周囲を雑巾などで拭き掃除した。そして、アナリエ一人を残して、私と八木はレオに戻った。
  •  レオに戻ると、考子が出勤していた。すぐに鹿野のテーブルに行ったが、鹿野から「人がせっかくディナーショーに連れて行ってやったのに、こんなに長い間放っておいて、何なんだ」と怒られた。鹿野を午前0時に帰す計画になっていたので、時計をちらちらと見ていた。そうしていると考子がどこからか帰ってきたような感じで店に入ってきたので、考子はずっと店にいたわけではなく、出かけていたのだということが分かった。それに続けて八木とアナリエもどこかから戻ってきた。
  •  午前0時ころ、八木が、鹿野を帰すように顎をしゃくって合図したので、私は「鹿野さん、明日早いんでしょう。もう帰った方がいいよ」などと言って鹿野を帰した。そして、八木は私に「マミ、ちょっと来い。川へ行くぞ」と言い、さらに「川へ行くから、何か長い物を持ってこい」「つっこくるために使うんだ」と言った。私はレオの便所掃除用のモップを持ち出して、ワゴン車の後ろの荷台に載せた。そのときに、レオの駐車場で服の上からジョッパーズ・パンツを履き、サンダルを長靴に履き替えた。
  •  渡辺荘で佐藤の死体にワイシャツと黒いズボン、革ジャンなどを着せる段取りになっていた。けれども、渡辺荘に行ってみると、佐藤の衣類の置き場が分からなかった。私が「アンナがいないと洋服が分からない」と言うと、八木は「そうだな。アンナにも佐藤さんの着ている服を見せた方が早いな。よし、アンナを連れてこよう」と言い、私たちはアナリエを呼びにレオに戻った。そして、ステージで川村とデュエットを歌っていたアナリエを呼び出して、3人で渡辺荘に行った。
  •  渡辺荘に着いて、私は用意していた軍手をアナリエに渡し、自分も軍手をした。まず佐藤に黒色のズボンを履かせた。私が片足ずつ入れてずり上げたが、お尻がうまく通らなかったので、八木が腰を持ち上げてくれた。ズボンのボタンの留め方が分からなかった。「留め方が分からない」と言うと、八木は「男物のズボンは、みんなこうなっているんだ。知らないのか」「いいよ、おれがやるから」と言って、ボタンを留め、ファスナーを上げてくれた。
  •  次に靴下を履かせた。アナリエが履かせるはずだったが、もたもたしていたので、私が片方を履かせた。アナリエが左足で、私が右足だった。靴下は、まず1枚履かせ、死者に履かせるわらじ代わりだと八木が言っていた靴の中敷きを挟み、その上からもう1枚靴下を履かせた。そして、靴下の上から紐で縛った。私は蝶々結びにしたが、アナリエはそれができずに固結びにした。
  •  その後、ワイシャツを着せようとした。上半身をアナリエと八木が起こして、私がワイシャツの片方の袖を通そうとした。しかし、佐藤の腕が硬くてワイシャツの袖を通すことができなかった。八木が「いいや。革ジャンをじかに着せよう」と言った。私は「革ジャンをじかに着せたらおかしいよ」と言ったが、八木は、「佐藤さんは自殺することにするんだから、ノイローゼになったとか、頭がおかしくなったと思われるから、何でもいい」と言い、素肌に革ジャンパーを着せることになった。すると八木は、死体を利根川に捨てたときに、襟が何かに引っかかって脱げたら困ることを心配して、「襟を切り取ろう」と言った。八木はアナリエにハサミを持ってこさせ、ジャンパーの襟を切り取った。八木は「どうだ、うまいもんだろう」と自慢げに私に見せた。本当にうまく切れていたので、私は「うまい」と言った。
  •  八木とアナリエが佐藤の上半身を起こし、2人が支えている間に、私が佐藤の固まっている左腕を何とか持ち上げてジャンパーの肩口から腕を袖に通し、肩の部分までジャンパーを引き上げた。そのとき、アナリエがバランスを崩して倒れそうになった。八木は「しっかり押さえていないからだ」と文句を言っていた。ジャンパーを引っ張り上げたが、硬直した佐藤の手先が袖口のゴム編みの部分に引っかかってうまく出なかった。私は「袖口も切った方がいいんじゃない」と提案した。それでそのままの状態で左右の袖口を切り落とした。
  •  次に、私が八木と交代してアナリエと一緒に背中側から佐藤を支え、八木が無理やり右腕をジャンパーの袖に押し込むようにして通した。そして、佐藤を仰向けに寝かせて、革ジャンの前のファスナーを上げた。寝かせた佐藤の姿を腕組みして見ていた八木は、「このままだと襟を切り取っちゃったから、首からすっぽりジャンパーが脱げちゃうかもしれない」と言った。八木はジャンパーが脱げないようにする方法を思案した末に、「上からセーターを着せて脱げないようにする」と言って、アナリエにセーターを持ってこさせて、それをジャンパーの上から着せた。
  •  八木は、「車をぴったり横に付けるから」と言って、ワゴン車を玄関にぴったり横付けにした。そして、八木が死体の両脇の下を持ち、私とアナリエが片足ずつを持つようにして、渡辺荘の玄関正面に停めたワゴン車の2列目シートに運び込んだ。佐藤の体は固まっていて、曲がらなかったので、斜めに置くような感じになった。スライド式のドアを閉めようとしたところ、佐藤の足が出ていてドアに挟まるような感じだったので、八木が足を車の中に押しこんでドアを閉めた。そして、八木の運転で、アナリエが真ん中、私が助手席に座って出発した。
  •  出発して間もなく、佐藤の靴を忘れたことに気づき、私は「あ、靴忘れちゃった」と言った。八木は、「川に流れちゃったと思われるから、いいだろう」と言って、取りに戻ることはせず、そのまま利根川に向かった。私の同級生が経営している美容室の横を通って利根川の土手に上がり、土手から河原に下りてしばらく走り、広いスペースの所に出て自動車を止めた。そこで、八木が両脇の下に手を入れて上半身の方を持ち、私とアナリエがそれぞれ片方の足を持つようにして死体を自動車から降ろした。八木は、「脱げちゃしょうがねえから、頭を下にする」と言って下流側に立ち、川に向かって横歩きの状態で進んでいった。途中で、アナリエがつまずいてバランスを崩した。私は、「じゃまだからどいて、いいよ、私が持つから」と言い、両足を持って川に近寄り、転がすようにして川に死体を入れた。しかし、死体はスムーズに流れず、浮いたままになっていた。八木は、「モップを持ってこい」と言い、私がワゴン車に取りに戻って八木に渡すと、八木は、「マミがつっこくれ」と言ってモップを戻した。私は適当に手を伸ばして押す振りをしただけで、「届かない」などと言った。いらいらした八木が「モップ寄こせ、俺がやる」と言って、モップを持って死体を押し流した。死体が見えなくなると、八木は、「もう大丈夫だろう。これで流れただろう」と言い、3人は自動車に乗ってレオに戻った。
  •  レオに戻る途中、レオによく飲みに来ていた客のひとりが運転する自動車とすれ違った。私は「あ、マーちゃんだ」と言った。すると八木は「大丈夫だよ、見えてねえよ」とか、「こんな時間にこんな所にいるなんて思うわけねえから」などと言った。そして八木は「マミの仕事は終わった、これからはアンナ中心だ」と言った。
  •  レオに着くと、アナリエは川でバランスを崩したときに足が濡れたと言って、考子からサンダルを借りた。私はアナリエに「ちゃんとしっかり持っていないからだ。そのまま水で流しちゃえば大丈夫だよ。ストッキングだから」と言った。店内では考子と川村がカラオケで歌っていた。私は八木に「モップ持っていって良かったね。つこっくったら流れたね」と言った。また、すれ違った客のことについて「私たちだって気づかれなかったかね」と八木に尋ねた。八木は「大丈夫だよ、わからなねえよ」と言った。私たちは川村のテーブルについた。
  •  私はお酒を一気に飲み干した。手の震えが止まらず、立て続けに3、4杯飲んだがまだ震えが止まらなかったので、煙草に火を点けたが、煙草を持つ手も震えていた。そのうちに八木が「ターは山へ行かねえって言うから、4人で行くぞ」と声をかけた。予定では考子も別荘に行くことになっていたが、考子を除く4人で別荘に出発することになった。
  •  そのころになって渡辺荘に置いておく手はずになっていた佐藤の平仮名の遺書がそのままになっていることに気いた。「あ、遺書持っていくの忘れちゃった」と言うと、八木は「そんな大事なもの、忘れるばかがいるか」とひどく怒ったが、「でも、忘れちゃったんじゃしょうがねえ、それも郵便で出すことにするから、出かけるときに一緒に持ってこい」と言った。その遺書の入った封筒にはアナリエあての名前しか書いてなく、住所の記載はなく、切手も貼ってなかった。その手紙をもって自分の車に川村とアナリエを乗せて八木の家まで行った。八木はワゴン車で一足先に自宅に行っていた。八木宅の駐車場に着くと八木が出てきて、「遺書持ってきたか」と言うので、「うん、持ってきたよ」と言って窓から遺書を渡した。八木はそれを持って自宅に入り、少しして戻ってきて助手席に乗りこみ、前の台の上に置いた。それを見ると、住所が書いてあり、切手も貼ってあった。
  •  4人で別荘に向けて出発した。八木は「郵便局に向かってくれ」「郵便局にあるポストが一番早いから」と言うので、本庄郵便局に向かい、八木が郵便局の前にあるポストにその遺書を投函した。
  •  午前4時ころに別荘に着いた。露天風呂に八木と川村と私が入り、後からアナリエも入ってきて写真を撮ったりした。その後、4人で近くの牧場に行き、そこで写真を撮ったり牛乳を飲んだりした。牧場からの帰り道、私と八木だけ自動車から降りて、別荘近くの林道を歩いた。八木は「布団とか服とか、早く片付けなくちゃなんねえ。どこに捨てるかな」と言ったので、私はその辺に洗濯機や冷蔵庫などが捨ててある場所があるので、八木を案内すると、八木は、「ここなら、だれが捨てたか分からなえだろう」と言い、その場所に佐藤の持ち物を捨てることにした。
  •  本庄に戻ると、私と八木、アナリエの3人は、八木のワゴン車で渡辺荘に行き、佐藤の布団やカーペット、黄色のスウェット、ごみ箱のほか、八木との関係が分かるネーム入りの衣類、レオの請求書などをゴミ袋に入れて荷台に積み込んだ。そして、私と八木は、アナリエを渡辺荘に残して、八木を案内した別荘付近の林道に行き、これらのものをすべて投げ捨てた。そこは崖になっており、2人で布団や衣類などを放り投げた。八木は下のほうを眺めて「見えねえから大丈夫だろう」と言っていた。

 

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