第1章 溺死

・今回の検査結果について

 

南雲保の鑑定書によると、肺の内側部分(2.39g約2ml水溶液)から26種類4796個体が検出され、腎臓の内側部分(10.43g約2ml水溶液)から3種類25個体が検出されている。グラムあたりで換算すると、肺が2006/g、腎臓が2.39/gである。

上野正彦は、この結果を示されて、大循環系に入ったプランクトンはすべての臓器にまんべんなく分布するのであり、肝臓になくて腎臓に少数あるだけというのは、溺死の証明ではなく、「誤差範囲」に過ぎないなどと証言した。しかし、これは壊機法によるプランクトン検査の実際をまったく知らない人の意見である。

溺死体の各臓器への珪藻類の分布を調べた研究の概要は次のとおりである。

  1.  北條春光他『法医学』92頁に引用されている例では、肺が2203.4/g、肝臓で0.5/g、左腎で0.75/g、 右腎で0.25/gである。
  2.  友永得郎『壊機法による溺死の証明』によると、動物実験と人の溺死体の観察結果を総合したもの  として、「溺水中の珪藻を100とした場合、肺200~1300、その他の臓器1~25であった」(p140)。
  3.  何川涼他『水に関係のある死体とプランクトン検査の法医学的考察』では5つの「通常の溺死例」に  おける珪藻の分布状況が一覧表になっている(表1-1)。

表1-1溺死体におけるプランクトン(個数/g 何川他1988 p314)

事例 場所 右肺 左肺
上葉 中葉 下葉 上葉 下葉
1 海岸 130 200 265 306 325 22 12 13
2 海中 124 61 182 109 153 17 25 28
3 海中 133 77 33 50 130 15 8 11
4 50 99 92 61 76 6 7 4
5 用水 258 106 90 80 118 1 5.4 3.2

 

これによると、グラムあたり肺では33から306、肝臓が1から22、腎臓が3から28であり、やはり肺と肝臓・腎臓との間には大きな差がある。

このように、溺死体における珪藻類の各臓器への分布を見ると、肺と他の臓器との間には数百倍から数千倍の差があるのが一般的であり、溺死体であっても肺を除く臓器からは1グラムあたり1個体未満または0個体という例もある。これは肺胞壁を通過できる珪藻類にはその大きさや形状に限界があるからだと思われる(北條他1958p84)。

これらに対して非溺死体の場合には、肺以外の臓器から珪藻類が検出されることは絶対的にないのであり、かつ、肺から検出される珪藻の数も対照水と同程度あるいはそれ以下であることが多いのである。

今回の検査結果を見てみよう。南雲鑑定書によれば、佐藤修一の肺の内側部分からグラムあたり2006個、腎臓からはグラムあたり2.39個の珪藻類が検出されたのであるが、このデータはこれまで引用してきた事例や実験データと対比して、溺死の場合のデータと言えるものであることは明白ではないだろうか。

南雲鑑定における臓器と河川水における珪藻類の比較の問題を一応検討しておくことにする。南雲の平成12年10月4日付回答書によると、佐藤修一の肺からは弱汚濁耐性種の珪藻が優占的に多数検出されたのに対し、利根川の2箇所の水については、中汚濁耐性種が優占的に検出され、その種類、個数は肺よりもはるかに多い。しかし、この差異は容易に説明できる。

佐藤の死亡時期が平成7年6月であるのに対して、河川水の採取時期は平成12年8月である(南雲平成13年8月20日付鑑定書)。したがって、河川水の条件が異なっているために、棲息する珪藻類の組成に変化があったことが伺える。佐藤修一が死亡した季節とほぼ同じ季節(平成13年6月4日)に採取された利根川の河川水からは、佐藤の肺から検出されたのとほぼ同数のクノジケイソウが検出されている(同前)。そして、個体数が肺の方が少ないことは、肺については壊機処理(発煙硝酸と濃硫酸による有機物の破壊)をしたのに、河川水については壊機処理を行なわず傾斜法で濃縮しただけだったことに起因するのである。壊機処理によって珪藻類の検出数が減少することはいくつかの文献が指摘している(Knight1996p405;何川他1988p316)。

いずれにしても、肺や腎臓から検出された珪藻類の種類や構成は、河川水から検出された珪藻のそれとほとんど同じである。そして、肺と河川水からともに本州の河川にはごく稀にしか出現していない嫌汚濁性・真流水性珪藻類であるクノジケイソウが検出されたことは、佐藤修一の溺死の原因が利根川の河川水であったことを決定的に裏付けると言ってよいのである。

 

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