第1章 溺死

4 プランクトン検査

 

本庄警察は、平成12年8月1日付で科捜研あてに、佐藤修一の臓器についてプランクトン検査を行うための試料調製を依頼した。科捜研技術吏員野澤靖典は、同月9日までに、佐藤修一の肝臓・腎臓・肺について、ホルマリン水溶液に接していない部分をそれぞれ2gから10g程度取り分け、これらをいわゆる壊機法[3]によって分解濃縮し、対照試料となる利根川の河川水については傾斜法[4]によって濃縮した試料を調製して、本庄警察に送付した。本庄警察は、8月9日付で、日本歯科大学生物学教室助教授南雲保に、これらの試料に含まれる珪藻類の有無種類等について鑑定するように依頼した。

同年9月22日付の南雲の鑑定書によると、佐藤修一の肝臓からは珪藻は検出されなかったが、腎臓からは1プレパラートあたり3種類5個体の珪藻が検出され、肺からは26種類の珪藻が多数検出された。

 

・プランクトン検査とは何か

 

プランクトン検査は死因が溺死かどうかを鑑別するために行なわれる。その原理は次のとおりである。人は溺れる過程で水とともにその水に含まれるプランクトンを気管に吸い込み、気管に入った水とプランクトンは肺に達する。肺に吸引されたプランクトンの一部は、肺胞壁を通過して肺静脈に入り心臓血に達する。この段階で心臓が鼓動していれば、心臓血に達したプランクトンは、大循環系を経由して、その一部は肺以外の諸臓器にまで達する可能性がある。したがって、肺以外の臓器からプランクトンが検出されれば、その死体は溺死であった(厳密に言えば、水に入った段階では心臓が鼓動していた)ことになる。他方、死後に川や池などに投棄された場合には、水に含まれるプランクトンは水とともに気管を通って肺にまでは到達できるが、心臓の鼓動が既に停止しているので、肺胞を通過することはできず、肺以外の臓器にまで達することはできないのである(図1-1)。

溺死のメカニズム

図1-1 溺死体及び死後没水死体におけるプランクトン被殻の分布(大矢正算ほか編著『法医・裁判化学[第3版]』)

 

プランクトン検査の方法として代表的なものが「壊機法」である。植物性プランクトンの一種である珪藻類は、世界中いたるところの川や海、池などに多数生育している。また、その細胞はガラス質の殻に覆われており、破壊され難い。そこで、検体中の有機物を発煙硝酸や濃硫酸を用いて除去し、濃縮液をつくって、顕微鏡で珪藻の殻を検索するのである。

プランクトン検査は、腐敗した遺体についても行うことができ、かつ、原理的にも確実な方法なので、溺死診断にとって最良の方法であるとされる。戦前からこの方法を研究実践していた故友永得郎教授は次のように述べている。

気道の泡沫とか肺臓の膨大とかその他数々の肉眼的所見が実際上溺死の鑑別にそれほど役に立たない事は既に周知の通りであり、又溺水による左心血の稀釈についても十数種類の検査方法が報告されているにも拘わらず、どの方法も必ずしも実用的でない事も之亦周知の通りであるが、唯一水中の浮遊微生物である珪藻の検出を目標とする壊機法こそ溺死の確実な証明法として実地上最良の方法であるということができる。(友永1954p143)

 

現在出版されている法医学書の溺死の項には必ずプランクトン検査の説明が載っている。そして、肺の末梢から多量の珪藻類が検出され、肺以外の臓器から珪藻類が検出される場合は、溺死は決定的であるとか、陳旧化した遺体の場合は必須の検査であると説くものが大多数である(北條他1958 p83;上野1974p82;上野1975p107;何川1977p127;錫谷1985pp283―284;若杉1996p64;Night1996 p399;大矢他1998p74;吉田2001p130)。

ところで、齋藤一之も上野正彦も、この法医学界の多数説に対して異論を唱えた。彼らは一致してプランクトン検査の価値を否定するのである。そこで彼らの見解を検討することにしよう。

齋藤は、プランクトンが肺胞壁を通過して大循環に入ることは科学的に立証されていないと言った(齋藤証言)。しかし、この点は既に科学的な常識になっている事柄である。長野他編著『現代の法医学(改訂第3版増補)』によると、デンプン粒や色素を用いた動物実験で100μ位の異物が肺胞壁を通過し、肝臓や腎臓でも70~80μ位のデンプン粒を検出できるという。友永によると、肺胞を通過する珪藻の大きさは最大122×45μ、144×32μ、径では100μである(友永1954p144)。ちなみに、今回佐藤修一の腎臓から検出された珪藻類の大きさは小型のものあるいは細長いものばかりであり、幅が数μで、長さは10~35μくらいである。

次に、齋藤と上野は、溺死以外の場合でも肺以外の臓器からプランクトンが検出される例があることを指摘する。すなわち、薬品・水道水・飲食物等にもプランクトンが存在することがあり、これらによって溺死以外でもプランクトンが検出されてしまうことがあるという。

しかし、これはプランクトン検査の有意性を否定する理由にはならない。プランクトン検査は、臓器だけをサンプルとするのではない。溺死した疑いがある場所の水(対照水)を検査して、そこで発見されたプランクトンと臓器から発見されたプランクトンとの対比を行なえば、溺死の原因となった場所を同定することができる(Night1996p590;永田他1992 p138;錫谷1985p284;何川1977p129;北條他1958p82)。試薬や水道水、飲食物にプランクトンがあったとしても、それらに含まれているプランクトンの種類や個数は非常に限定されているはずである[5]。したがって、対照水に含まれているプランクトンの組成と同じ組成のプランクトンが肺から検出され、かつその一部がそれ以外の臓器から検出されたならば溺死の診断はできるのである。ちなみに、上野は学生時代にプランクトン検査をしたことがあると証言したが、対照水のプランクトン検査をしたことはないと述べている(上野証言)。要するに、上野は、プランクトンの「有無」だけから、「溺死以外の死体からも検出されるので使えない」と言っているのであって、プランクトンの種類を対照水と比較するという手法を知らないのである。

齋藤は、プランクトン検査の実施上の困難も指摘する。すなわち、検体を顕微鏡で観察して種類や個数を確認する作業には熟練を要し、たまにしかやらない法医学者には難しいということである(齋藤証言)。これはそのとおりであろう。しかし、これはプランクトン検査の有意性を否定する根拠とならない。自ら勉強して壊機処理や顕微鏡によるプランクトン観察の技法に習熟するか、これらの専門家の援助を受ければ良いことである。そのような方法でプランクトン検査を実施している法医学者は多数存在する。

臓器相互間や検査器具による汚染の問題も、これを回避する方法をとることによって解消されるべき問題であって、これを根拠にプランクトン検査自体の意味を否定することはできない。

このように、齋藤や上野は、いずれもプランクトン検査が溺死診断のうえにおいて有する重要性を見過ごし、誤解に基づいてこれを批判しているに過ぎない。

 

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