第1章 溺死

・平成12年11月28日付回答書

 

次に上野が書いた2通目の回答書について検討しよう。この回答書は、「事例」を示して、その死因を問う照会に対して回答したものである。その「事例」とは次のようなものである(H12/11/24捜査照会書)――甲(45歳男性)がヤマトリカブトの根により1~2mgのアコニチンを摂取し、10~15分後に苦しみ始め吐き気・痺れなどを訴え嘔吐したのに続き、2人の女性が甲に布団を被せて布団の上から甲を押さえ込み、甲は布団の下でもがいていたが、およそ30~60分で死亡した。死亡時の甲の顔面が鬱血浮腫し、唇は紫色に腫れ上がり涎を流していた。

この「事例」を提示されて、上野は、甲の死因は、布団を被せて鼻口部を閉塞されたことによる窒息死というよりは、致死量のトリカブト摂取によるアコニチン中毒と考えるべきだと答えた。

本庄警察が上野に提示した「事例」は、武まゆみが平成12年11月当時供述していた佐藤修一殺害の場面である。しかし、本件における争点はこの「事例」が存在したかどうかなのである。あらかじめ「1~2mgのアコニチンを摂取して、もだえ苦しんで死んだ」という「事例」を与えられれば、その死因はアコニチン中毒であったと考えるのは当たり前のことであろう。本庄警察は武まゆみが供述し始めた「トリカブト殺人」の物語を示して、専門家の「お墨付き」を得ようとしたのである。この捜査手法はあるべき捜査手法から逆転している。まず、証拠物を専門家に見せて、専門家にどういう「事例」が考えられるのかを問うのが正しい捜査のあり方である。警察は、佐藤の死体そのものから「トリカブト殺人」を証明することが出来ないので、逆にまず武のトリカブト殺人の自白をとって、自白に示された内容が「トリカブト殺人」であることについて専門家の賛同を得ようとしたのである。こうして得られた「専門家」の意見に独立の証拠価値があるとは思えない。

しかも上野はトリカブト毒によって死亡したケースの解剖の経験は1例もなく、アコニチン系アルカロイドの毒性に関する専門知識もなく、人体は勿論、動物実験による解剖所見に関する文献すら読んだこともないと言うのである(上野証言)。この回答書の結論を「専門家の意見」ということすら不可能である。そして、さらに言えば、この「事例」自体にも問題があるのである。第2章で指摘するように、トリカブト中毒の事例を報告した文献によると、アコニチン1~2mgを摂取して「10~15分後」に症状が現れ、「30~60分」で死亡するなどということは考えられない。上野はトリカブト中毒の症例についての知識がないのである。

平成12年9月29日付の上野正彦の回答書は、佐藤修一の溺死を否定する唯一の証拠である。しかし、この回答書の証拠価値は殆んどゼロである。マスコミ報道によって八木茂を保険金殺人事件の主犯格と決めつけ、佐藤修一の死をその「犯罪の原点」であると著書で公言している人物に公正冷静な鑑定意見など期待する方が間違っている。そして、その意見は、法医学界において溺死診断の基準として採用されていない見解に基づいて溺死の可能性に疑問を提起し、かつ、どのような教科書にも書かれている水中死体の死後変化による影響を全く無視して、新鮮な溺死体にしか認められない所見が死後14日間も経過した佐藤の死体に認められないことを根拠に溺死を否定するのである。

平成12年11月28日付の回答書は、捜査機関から、1~2mgのアコニチンを摂取してもだえながら死んだという「事例」を与えられ、これに対して、同種の事例についての知識も経験もない人物が「アコニチンによって死んだに違いない」というコメントをしたものに過ぎない。問題なのはこの「事例」があったかなかったかである。あらかじめあると想定した「事例」に自称専門家の「意見」が付されたからと言って、それは「事例」の存在を証明したことにはならない。この回答書の証拠価値も皆無である。

不幸なのは、この上野回答書がその後の捜査の方向を決定付けたことである。上野が「溺死ではない」という回答書を書いたころ、武まゆみは、佐藤修一は利根川に飛び込んで自殺したのだという供述を一生懸命にしていた。鈴木刑事から「嘘発見器にかかるか」と言われても動じなかった。ところがその後佐久間検事から「科学捜査の結果、佐藤さんが溺死していないこと、トリカブトで死んだことははっきりしている。このまま自殺の話をしていると八木と同じ死刑になる」と言われて、武は自分の記憶に対する自信を失い、やがて「トリカブト殺人」を「思い出す」ようになるのである。この佐久間検事の発言に動機付けを与えたものがこの上野回答書だったのだ。

 

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