第1章 溺死

根拠その1:「水底での損傷がないこと」

 

上野の回答書は、溺死の場合は必ず一旦水底に体が沈み「丁度100m走でスタートラインについた選手のような、四つんばいの姿勢をとる」という前提に立っている。そして、水流によって死体は川底に擦られながら流されるから、必ず死体に死後損傷ができるというのである。上野回答書は次のように述べる。

 本人は……約28km***を下流に流されているので、少なくとも死後川底との擦過損傷が形成されていても、おかしくないのである。しかしながら、それが見当たらない。というのは、はじめから水中に沈むことなく、水面を浮上した状態で流されてきたのではないだろうか。

 

 まず第1に、溺死の場合に必ず体が水底に沈むという前提自体に疑問がある。例えば、上山滋太郎監修『標準法医学・医事法(第5版)』175頁に報告されているように、体が水底に沈むかどうかは着衣などさまざまな要因に左右されるのであり、約30%は沈まなかったという調査結果がある。水底に沈むかどうかは、溺死を否定する指標としては使えないのである。この指標は、死体が水底に沈んでいれば死後没水ではないという意味では役にたつが、逆に、沈んでいないからと言って溺死でないとは言えないのである(大矢他1997p74)。齋藤もこれらの法医学書の立場を支持している(齋藤証言)。

次に、上野は、利根川の水底に没した佐藤の体が、利根川の水流に乗って秒速1.0~1.5mの速度で、約28kmにわたって川底を流されたという前提で意見を述べている。ここにも大きな問題がある。

すなわち、一旦水底に沈んだとしても、川底の条件によっては死体はその場にしばらくとどまり、その後浮揚して水流に乗って流されるということも十分考えられるのである。

秒速1.0~1.5メートルで28キロメートルの距離にわたって川底を流されたという上野の想定自体、無数に考えられる想定のなかの最も極端な想定である。仮に秒速1.2メートルで流され続けたとすると、佐藤の死体は6時間余りで利根大堰に到達してしまう。その後の丸々11日間は佐藤の死体は誰にも発見されないまま利根大堰の取水口にあったということになってしまう。

当時水資源開発公団利根導水路総合事務所に勤務していて佐藤の死体を発見した石井重幸によると、当時は毎日取水口の除塵作業をしており、かつ、取水口に何かが詰まった場合は夜間でも呼び出しを受けて除塵作業をする体制になっていて、除塵作業に入る前にいつも取水口の上を歩いて点検していたとのことである(石井H12/10/12警察官調書)。佐藤の死体を発見したときも、午後10時頃に「取水口に塵芥が詰まった」との連絡を受けて、いつものように取水口の上を歩きながら懐中電灯で取水口を照らして点検していて、死体を発見したというのである。したがって、佐藤の死体は取水口に到着して間もなく発見されたというべきである。上野が想定するように秒速1.0~1.5mの速度で川底を28kmにわたって流れてきた(その後11日間取水口に止まっていた)と考えることはできないのである。

遺体写真

写真1-1:遺体写真

そしてさらに、佐藤が革ジャン、セーター、長ズボン、靴下2重履きという服装――露出しているのは頭部と両手首だけ――であったという点も考慮に入れなければならない(写真1-1)。

坂東大橋付近の川床は礫質で平均粒径は28.10㎜すなわち碁石程度の大きさの小石である(H12/9/19捜査報告書)。これより下流では川床は砂である。このような川床の状態や服装などの条件を考えると、仮に佐藤の死体が一定時間川底に擦られたとしても、損傷を生じなかった可能性は大いにある。

齋藤も死体の損傷を溺死の指標とする考えを否定している。「私の乏しい経験では、溺死体でも川底、海の底ですね、そういう部分で損傷を生じていない死体は、少なからずございます」と彼は明言している(齋藤証言)。

 

根拠その2:「着衣が脱げていないこと」

 

上野回答書は次のように述べている。

 

 利根川を28kmも流されてきているにも拘わらず、着衣は脱げることなく着たままであったという。これは本人が溺れて、からだが水中に沈み流されれば、からだはもまれて激しく体位をかえるから、たとえ死体硬直があったとしても緩解し、全身の関節は可動性となり、グニャグニャの状況になって着衣は容易に脱げてしまう。それが脱げなかったのは、水中に沈み、もまれながら流されてきたのではなく、水面を浮かんだ状態で流れてきたためではないだろうか。

 

溺死の場合に必ず着衣が脱げてしまうということを言っている法医学者はいない。四方一郎他編著『現代の法医学』109~110頁には、着衣の乱れのない溺死体(殺人)の例が載っている。また、浴衣様の単衣の着物を着て海岸に漂着した溺死体の例(入水自殺)も報告されている(内藤1999p11)。齋藤も、「溺死をした川なり海なり湖なりの条件による」と言い、自らも着衣に乱れのない溺死体の経験があると証言した。

要するに、水中で着衣が脱げてしまうかどうかは、その川の流れや水圧、着衣が脱げ易いものであったかどうかなど、様々な条件に左右されるのであって、着衣が脱げていないから溺死ではないなどという判断はとうてい不可能である。また、死後川に投棄されたのであっても、死後硬直は水中で緩解するのであるから、着衣が脱げる可能性があるのは同じである。上野は水底に沈んだ場合は水圧が加わることを考えるべきだと言うのであるが(上野証言)、坂東大橋周辺の水位は深いところで4m、平均2~3m程度であって、水圧を云々するほどのものではない。

佐藤の当時の服装は、革ジャンのうえからセーターを着て締め付けたり、靴下を紐で足に縛りつけたりしていた。長距離流されても衣服が脱げないことは十分に可能である。ちなみに、佐藤の着衣に全く乱れがなかったわけではない。発見当時の写真をみると、セーターと革ジャンが捲れ上がり、膨満した体を締め付けている状態になっている(写真1-1)。

 

根拠その3:錐体内出血・うっ血[2]

 

上野回答書は次のように述べている。

 多量の溺水を吸引し、水中に没入していく定型的な溺死の場合には、錐体内出血を生ずることが多い。このように考えると、本件は溺死と考えるよりは、錐体内出血やうっ血の所見はなく、むしろ頭蓋骨は血量に乏しい状態なので、非溺死体の可能性が高いと判断する。

 

まず、上野は、佐藤修一の解剖所見について、錐体内出血やうっ血の有無について「記載がない」ことを認めた。そのうえで「錐体内出血があれば当然記載したであろうが、なかったのであえて記載しなかったのかもしれない」という推定を述べ(回答書)、この推定に基づいて診断を下している。しかし、齋藤が佐藤の錐体内出血やうっ血の有無に注意を払い、その点について一定の判断をしているとは考えられない。

齋藤は、溺死診断にとって錐体内出血やうっ血の有無には診断的価値はないという考えに立っており、錐体内のうっ血を単純に肉眼で判別することは「腐敗した死体では判定が困難」であるとも証言している。したがって、肉眼で観察して印象的な所見がなかったからと言って、佐藤の錐体内に出血やうっ血がなかったと判定することはできないのである。上野回答書は最初からその前提を欠いている。

そして、仮に佐藤修一の死体の錐体部に出血やうっ血がなかったとしても、そのことによって溺死を否定することはできない。齋藤は、錐体内出血の有無が溺死診断の根拠となるかどうかについて、「全くならないと思っております」と断言した。そして、自身、錐体内出血・うっ血のない溺死例や錐体内出血・うっ血のある非溺死例を経験しており、この所見の特異性は低いと証言した。

今日の法医学界において、錐体内出血・うっ血をして溺死に特異的な所見であると主張しているのは上野正彦のみである。溺死の場合にも錐体内出血・うっ血が認められない死体がしばしばあることは多くの法医学書に記載されている(若杉1996p64;吉田2001p130など)。バーナード・ナイトは次のように述べる。

 内耳の出血は溺死の兆候として仮定されてきたが、筆者自身の実験では、これは全く信頼できない(totally unreliable)。溺死が完全に除外できるあらゆる種類の死亡においても発生することがあり、溺死の伝統的な事例においてさえも、このような出血が存在しないこともある。これは耳の内部に水圧がかかるために体が沈む深さに関係すると言われてきたが、このことでさえも多くの病理学者の実験と一致していない(Knight1996 p401)

 

実際のところ、上野自身も、錐体内出血のない溺死例が多数あることを認めているのである。上野が1989年に発表した「錐体内出血:法医学の立場から」という論文には、「溺死の場合、全例に錐体内出血がみられるのではなく、その出現率は50~60%で、錐体内出血のない溺死も40~50%ある」と明記されている(上野1989 p733)。錐体内出血のない溺死例が40~50%もあることを認めながら、なぜ彼がこれを「溺死に特異な所見である」と主張するのか、われわれには全く理解できない。

 

根拠その4:胃内容

 

野回答書は「溺れる場合、胃には大量の溺水を飲み込みながら、気道にも多量の溺水を吸引し、呼吸ができずに窒息死するのが一般的である」と言い、「本件では胃内容30mlと、飲み込んだ溺水量は少ないので、溺死とは考えにくい」と結論している。

一般に溺水は消化管にも多量に嚥下されることが多いと言われている。しかし、常にそうとは限らない。稀には少量あるいは全く吸い込まないこともある(北條他1958p80)。上野もそういう例が「あってもおかしくないと思います」という(上野証言)。また、佐藤修一は胃の切除手術を受けているのであって、そうした場合には溺水の量も少なくなることが知られている(齋藤証言)。上野も胃切除手術を受けると溺水の吸引量が少なくなることを認めている(上野証言)。

そして、胃腸内に存在した溺水は、死後日数の経過とともに腹腔内に滲出するのであり、溺死の場合でも胃腸内に溺水が存在しない例があることは多くの法医学書に記載されている(四方他1983 p105;長野他1998p134)。さらに、腐敗が高度に進行すれば、肺や胸腔内に溜まった溺水が体外に漏出してしまうのと同様に、腹腔内に溜まった溺水も当然体外に漏出してしまう。

齋藤の鑑定書には腐敗が高度に進行していたことを示す記載が随所に見られる。結論部分にも「本死体は、腐敗性死後変化が高度に進行し、全体に”巨人様”を呈しているほか、内部臓器も腐敗のため融解が進み、詳細な病理学的検索に耐えない状態となっている」と記述されている。これらの記述とこの死体が6月に死後2週間経過したものであることを考えると、佐藤の死体の死後変化は相当高度に進んでいたと考えるのが当然であろう。

要するに、胃腸内に溺水がないことあるいは少ないことから、佐藤修一が溺死であることを否定することはできないのである。

 

根拠その5:肺の所見

 

上野は佐藤の肺重量が胸腔内液を加えても左肺560g、右肺530gと軽いことに加え、含気量が少なく細小泡沫もないことから溺死を否定している。

しかし、これも佐藤の死体が死後2週間経過した高度に腐敗が進んだものであることを全く無視した暴論というべきものである。

新鮮な溺死の肺は膨大しその重量は800~1200gぐらいに達することがあり、溺水の吸引のために末梢に押し込められた空気によって肺の辺縁が気腫状を呈し、それ以外の部分は水腫状を呈すると言われている(四方他1983p104)。しかし、最近の研究によると、溺死でも肺重量が正常な事例(dry-lung drowning)がかなりあることが報告されている。ナイトはコープランドらの研究を引用して溺死に疑いのないケースの10~20パーセントで肺重量が増えていないこと、また、溺死事例の7パーセントで左右合わせた肺の重量が1キログラム足らずであることを紹介している(Night1996 p400)。齋藤も「ドライドローニング」(水の吸引が少ない溺死)の症例は少なくないと証言した。

そして、膨隆した典型的な「溺死肺」であっても、死後の時間の経過によって、その典型的な所見は消失してしまう。肺の気腫状あるいは水腫状の所見は夏期では1~3日くらいで消えてしまう。肺内へ吸引された溺水は、死後数日間に胸腔内に血色素性液として滲出し、膨隆していた肺は縮小してくる。この浸出液も、さらに10日ぐらい経過すると、体外へ洩出し、胸腔内には認められなくなる。夏期では、早く、2~3日で胸腔に滲出し、5~6日で体外へ洩出するとされている(四方他1983p105;長野他1998p134;内藤1982pp98-99;永田他1992p136)。齋藤も「そういう現象はございますね」と述べて、この一般的な見解を支持している(齋藤証言)。

6月に死後14日経過した佐藤の肺が典型的な「溺死肺」の所見を示していなかったのはむしろ当然のことといわなければならない。そして、佐藤の肺に僅かながら細小泡沫がみられたことや胸腔内液の貯留が左右150mlずつみられたことは、死後の高度の腐敗の影響を受けながらも、溺死の所見が僅かにとどめられていたと評価することもできるのである。

 

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