第1章 溺死

2 齋藤鑑定

 

埼玉医科大学法医学教室主任教授の齋藤一之は、平成7年6月17日に佐藤の死体解剖を行った。この解剖時の齋藤の見解を直接示す資料はない齋藤が解剖当時に鑑定書を作成していないという事実が、齋藤の当時の見解を雄弁に物語っている。鑑定書は、犯罪性がない場合には、作成されない。利根川から引き上げられた死体の死因について溺死と断定することに疑問があれば、それは犯罪の疑いが濃厚だということである。そうであれば、必ずその時点で死因についての鑑定書が作成されるはずである。つまり、齋藤は解剖当時佐藤の死因を溺死と考えていたからこそ、鑑定書を作らなかったのである。

この解剖には、警察官も立ち会っている。解剖時の齋藤の発言・態度すべてを観察し、終了時には死因についての説明を受けたはずである。したがって、警察官も、鑑定書が必要かどうか、つまり、犯罪性があるかどうかについて適切に判断することが可能であった。その行田警察も齋藤に対して鑑定書の作成を求めていない。行田警察は、佐藤の死について、報告書にこう記載している。

***さらに、身元不明変死体については解剖をなしてその死因等を捜査したところ、溺死であることが判明した。(H7/6/27捜査報告書)。

 

法医学者に死因鑑定を依頼し、その意見が「死因は不明」というものであるにもかかわらず、警察官が勝手に死因を溺死と断定することなどあり得ない。

齋藤は、平成12年に改めて警察から依頼を受け鑑定書を作成しているが、そこでは、溺死の可能性を認めながらも、死因は不明であると言い、法廷では、溺死についてもそれ以外の死因についても条件はイーブンであると証言した。5年前にも齋藤が警察にそれと同じ説明をしていたならば、警察が報告書にそれをそのまま書かない理由はないだろう。例えば、鑑定の結果は死因を確定できないが、その他の捜査結果から溺死と判断したと記載すればよい。少なくとも「解剖をなしてその死因等を捜査したところ、溺死であることが判明した」などと書くわけはない。

また、この捜査報告書には、身元不明変死体と佐藤との比較検討表が添付されており、その中には死体の解剖所見として胃・虫垂の手術痕、早期の胃がんと記載されるなど、齋藤による解剖の結果が反映されている。

平成7年6月の解剖直後の段階で、齋藤は佐藤の死因を溺死と判定していた、そして、行田警察はその齋藤の見解にしたがって佐藤の死は犯罪性のないものと判断したのである。

鑑定書を書いた平成12年の時点でも、また、法廷で証言した平成14年においても、齋藤には解剖についてのオリジナルの記憶がほとんどなかったことは明らかある。齋藤は、平成7年6月に解剖をしてから平成11年末から12年ころにかけて捜査機関から鑑定書の作成依頼を受けるまでの間に少なくとも200~300体の解剖を行ない、鑑定書等の作成もしており、その間この解剖のことを思い起こす機会はなかった;そして、解剖時の様子については「正確には記憶しておりません」と証言した。当然のことながら証言中「記憶にありません」という答えがしばしばあった。結局、佐藤の死体の解剖は、その当時の齋藤にとっては、ありふれた、犯罪と無縁なルーチンとしての解剖事例の一つでしかないのであるから、これは無理からぬことである。

そこで、齋藤は、証人席に腰掛けて、示された平成12年鑑定書を見ながら、豊富な経験にもとづく一般論と漠然とした印象をもとに証言したに過ぎないのである。これが、解剖当時、佐藤の死体を生で観察しながら齋藤が感じ、口に出したであろう彼の見解と同一であるという保証は、どこにもない。

 

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