第2章 トリカブト

5 トリカブト殺人と矛盾する鑑定

 

このように佐藤がトリカブトを摂取して死亡したことを証明する客観的な証拠はないのである。それどころか、実は、トリカブト殺人と相容れない鑑定もあるのだ。

まず、佐藤の死体解剖の結果、胃内容物からあんパンやトリカブトの残滓が検出されなかった点がそうだ。武の証言によると、佐藤に食べさせたあんパンは粒あんでパンの上に芥子粒がのっており、歯が少ない佐藤は水で流し込むようにして、「余りかまずに飲み込むようにして、全部パンを食べ」てからまもなく苦しみ出し(第6回証言調書)、佐藤はあんパンをほとんど消化する時間もなく死亡したという。一般に、胃の中の食物がなくなるのに食後約4~5時間を要し、胃内及び十二指腸内に食物残渣がなくなるのには少なくとも食後6時間以上を要するとされている。もし佐藤が死亡直前にあんパンを食べたとすれば、当然その胃内容にはあんパンの欠片や芥子粒、小豆の皮などの残渣が「多少は残っててもいい」はずである(齋藤一之第67回証言調書)。しかし、佐藤の死体解剖の結果、佐藤の胃内容は「消化残渣:なし」であり、十二指腸に食物残渣があったという記録もない(齋藤一之H12/9/5鑑定書)。そうすると、この解剖結果は死亡直前に佐藤にあんパンを食べさせたという武証言と矛盾するというほかない。

次に、渡辺荘の佐藤が住んでいた部屋の畳の鑑定書(H13/2/7)がある。武が証言したように、佐藤がトリカブト入りあんパンを食べた後、部屋の中で激しく嘔吐したのであれば、嘔吐物が染みこんだ畳からトリカブト毒の成分が検出されてしかるべきである。しかし畳からはアコニチン系アルカロイドは一切検出されなかった。そうすると、佐藤がトリカブト入りあんパンを食べて嘔吐したこと自体が極めて怪しくなる。

当初、検察側はこの畳の鑑定書の存在を隠していた。われわれ弁護人は、渡辺荘を調査した際、佐藤の部屋の畳が新しいことに気付き、大家に尋ねたところ、警察が畳を全部持って行ったというので、畳の鑑定書が存在すると推理した。そして、われわれが検察側に再三にわたり鑑定書の開示を求めた結果、検察側がしぶしぶ出してきたものだ。

しかし、さいたま地裁判決は、この畳の鑑定について、

 佐藤が死亡した渡辺荘の部屋の畳の上にはカーペットが敷かれていたが,そのカーペットは事件後持ち出されて投棄されており,カーペットが敷かれていなかった部分はもとより,敷かれていた部分についても,武とアナリエがその後念入りに拭き掃除をしていること,さらには,事件から鑑定までに5年以上の年月が経過していることなどが認められることに照らすと,畳からトリカブトの成分が検出されなかったからといって,武証言の信用性が否定されるものではないといえる。弁護人は,現に死亡した佐藤の臓器から微量のトリカブト毒を検出した高速液体クロマトグラフィー分析法の精度に照らせば,この鑑定によって検出できないとは考えられないと主張するが,資料の保管状況が臓器とは全く異なることを考えると,臓器からトリカブト毒を検出できたからといって,畳から必ず検出できるなどという保証は全くないというべきである。

と言って切り捨てた。

 しかし、科捜研の畳の鑑定は徹底していた。畳表について微物(植物片等)をしらみつぶしに探した上、畳表を剥がして畳のシミのある部分をハサミで切り刻んでエタノールで抽出したり、畳床のシミのある部分もエタノールを浸した綿棒で拭き取って採取した資料を分析している。もしトリカブト毒の成分が畳に付着したならば、いくら武が念入りに拭き掃除をしたからといって、畳に染みこんだものまで拭き取れるはずがない。判決は畳の保管状態を問題としているが、アコニチン系アルカロイドは揮発性ではないから、臓器のようにホルマリン水溶液の中で保存しなくても、年月の経過によって消えてなくなることはない。そして、先に説明したように、科捜研が分析に用いた高速液体クロマトグラフィーは、50m×2m×1mの大きさのプールの水に耳かき1杯分(10mg)を溶かした超微量の物質をも検出する性能を持っているのであるから、それに比べてたかだか4畳半の広さにすぎない部屋の畳から検出できないはずはないのである。

 さらに、美濃戸産トリカブトから検出された成分が、臓器からは検出されていないということも重要である。武の証言によれば、美濃戸で採ってきたトリカブトの根を刻んであんパンに入れて佐藤に食べさせて殺害したという。そうだとすると、美濃戸のトリカブトと佐藤の臓器から検出された成分は一致していなければならない。しかし、警察が美濃戸で採取したトリカブトからは13-デオキシメサコニチンという新種の物質が検出されたのに対し、臓器からはそれが検出されていない(H13/5/14鑑定書)。

 さいたま地裁判決は、これについてこう反論した。

 捜査機関が美濃戸高原別荘地内で採取したトリカブトから検出された13-デオキシメサコニチンの重量はアコニチン,メサコニチンと比較して微量であり,これあるいはこれの分解物が佐藤の臓器から検出されなかったとしても何ら不自然ではない。のみならず,13-デオキシメサコニチンはこれまでにその存在が知られていなかった物質で,今回の美濃戸高原別荘地内で採取したトリカブトについての鑑定の過程で新物質が含まれているかもしれないと考えた宮口らがこれを抽出精製し,東京医科歯科大学生体材料工学研究所所属の伊藤茂にその構造決定を依頼して,平成13年2月ないし3月ころ,構造決定がなされた結果,検出することができるに至ったものであるところ,佐藤の臓器についての鑑定作業は同年1月初めころまでに終了していることが明らかであるから,佐藤の臓器からこの物質が検出されなかったのはこの点からも当然であると認められる。

 

しかし、その後も臓器から13-デオキシメサコニチンが検出されたという話は聞かない。いずれにしても、臓器から検出された成分と美濃戸産トリカブトから検出された成分が一致することを証明していない点に何ら変わりはなく、武が美濃戸で採ってきたトリカブトを佐藤に与えて殺害した証明にはなっていない。

さらに、佐藤がトリカブトを摂取してから死亡するまでの時間が、トリカブト中毒の症例と比較して極めて短いという点も指摘できよう。

武証言によれば、佐藤がトリカブト入りあんパンを食べた後、ほとんど間もなく八木が来て、缶ビールを1本飲むか飲まないうちに佐藤が「しびれてる。感覚がない」と言い出し、ゴミ箱に吐いた後、のたうち回り、武とアナリエが佐藤に布団を被せて馬乗りになって押さえつけ、しばらくして佐藤の肩や腕の硬さが柔らかくなり、八木が佐藤に声を掛けたが反応がなかったという(第6回証言調書)。武は平成7年6月3日午後3時少し前に渡辺荘に来て、午後5時までには永山荘に帰ったというのであるから、佐藤がトリカブト入りあんパンを食べてから死ぬまでの時間は最長でも2時間弱となる。

 しかし、前に指摘した水柿回答書が引用する北海道の女性の自殺例では、アコニチンやメサコニチンよりも毒性の強いジェサコニチンを推計3.938mg摂取し、摂取後1時間後に吐き気、嘔吐、舌のしびれ及び身体の灼熱感の症状が見られ、摂取後3時間半で病院に収容されたが、その30分後に死亡した。また、一戸良行著『毒草の雑学』には、北海道小樽市の夫婦がトリカブト摂取して1時間後にめまい、灼熱感を現わし、腰のしびれ、腹痛さらには便意があってしだいにろれつが廻らなくなって少しばかりの嘔吐が見られ、医師が駆けつけたが、夫は食後3時間で死亡し、妻は食後4時間で死亡したという症例が紹介されている(一戸1980p131)。なお、この症例におけるトリカブトの成分は記載されていないが、場所が北海道であることから最強のジェサコニチンであると思われる。これらの症例によれば、トリカブト中毒の症状は摂取後1時間で現れ始め、摂取後4時間程度で死亡している。しかもそれは毒性の強いジェサコニチンで、摂取量も約4mg程度の場合である。

 そうすると、武証言によれば、佐藤は、他の症例よりも少量で毒性の弱いアコニチン系アルカロイドを摂取しながら、それよりも早い時間で症状を現わして死亡したことになり、他のトリカブト中毒死の経過とそぐわない。

 さいたま地裁判決はこういう。

弁護人が前提とする佐藤の死亡時刻は,武が「八木さんに,佐藤の力が弱まったことを教えると,八木さんは,『もういいだろう。』と言い,『佐藤さん,おーい。』と声を掛けたが,佐藤は何の反応も示さなかった」旨証言する部分をとらえてのことと思われるが,佐藤が実際にこのとき死亡していたのかどうかについては,これだけの事実からは必ずしも明らかではなく,死亡が明確となるのは,その後,午後9時前後ころにディナーショーから「レオ」に戻り,被告人と武が再び渡辺荘に行って,佐藤の左頚部に手を当てて脈がないことを確認したときのことであって,佐藤はこのときまでのいずれかの時点で死亡したとみるのが正確であるというべきである。そうすると,死亡までの推移において文献等と矛盾があると考える必要はなく,また,元来,毒物の効き目には個人差がある上,……被告人らが佐藤に対し,過労死作戦や成人病作戦などと称して長年にわたって多量のアルコールを飲酒させたり,睡眠不足となるよう仕向けたり,さらには,少量のトリカブトを一定期間継続的に摂取させるなどしたため,同人が痩せ細って(死後計測した体重は46キログラム),毒物に対する抵抗力を低下させていた可能性があることも考え併せると,仮にトリカブトを摂取してから2時間弱で死亡したとしても別段合理性を欠くことはない

 

結局、ここでも判決は、佐藤の死亡時刻を勝手にずらした上(その意味では、判決は通常判決の中で示すはずの死亡時刻を明確に特定していない)、またもや様々な可能性を云々して佐藤がトリカブト摂取によって死亡したことと矛盾しないとして逃げてしまっている。

 しかし、既に指摘したように、従前から佐藤にトリカブトを与えていたという武証言に基づくなら、むしろ佐藤はトリカブト毒に対する耐薬性を強めていた可能性が高いのであるから、死亡時間は他の症例に比べて長くなりこそすれ、短くなることはない。

 このように、佐藤がトリカブトを摂取したことによって死亡したことを証明する科学的、客観的な証拠がないばかりか、むしろそれと矛盾する鑑定が数多くある。それにもかかわらず、判決は、佐藤がトリカブトを摂取して死亡した「可能性」があるとか、トリカブト摂取による死亡と「矛盾しない」鑑定結果があるという理屈で、武の証言を擁護してトリカブト殺人を認定するという手法をとったのである。


[1]  肝臓は平成12年7月17日に鑑定嘱託され、腎臓は同年7月18日に領置、鑑定嘱託、肺については同年7月28日に領置、鑑定嘱託されている。

[2] 齋藤一之の死体解剖鑑定書によると、佐藤の死体の体重は約46kgとされている。

[3] ヒト致死量としてはそれより多い4~6mgかそれ以上とみるのが相当であることは後に詳述する。

[4] LD50とは被験動物の50%が死亡する物質の量を体重当たりに換算した半数致死量をいう。

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