第2章 トリカブト

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4 トリカブトの毒性とヒト致死量

 

猛毒と言われるトリカブトのヒト致死量は、いったいどのくらいなのだろうか。東北大学の水柿道直教授は、警察の照会に対する平成12年10月3日付回答書の中で、「法医学や中毒学の教科書に記載されているアコニチンのヒト致死量は1~2mg/個体とされています。……実験ではヤマトリカブトの場合、乾燥根塊おおよそ1~2gがヒト致死量に相当する1ないし2mgのアコニチン類を含有しているとの結果を得ております」と言っている。さいたま地裁判決は、この見解を「トリカブト毒を研究している専門家の見解として十分に尊重すべきであ[る]」とした。

 しかし、水柿回答書には「ヒトの致死量はヒトに直接投与する人体実験が行われるわけでは無いため、正確な値は示すことはできません」とある。そこに記載されたヒト致死量は文献の引用であって、水柿自身の経験に基づくデータではない(第64回証言調書)。それどころか、水柿回答書が引用している文献を調べてみると、トリカブトのヒト致死量について「植物抽出物で250mg。純粋薬物で、多分2㎎。4mgで確実に死を惹起する」とか(Rentoul & Smith 1973 p521)、「1~6mgあるいはそれ以上」と書かれており(Gonzales,et al.1954 p852)、いずれも水柿回答書よりも多い量を示しているのである。

 長年にわたって漢方薬としてトリカブトを研究してきた中国では、アコニチンのヒト致死量について、「2mgで死にいたる」(楊1981[1980]、p221)、「3~4mgで人が死ぬ」(黄と夏1981[1956]、p419)、「人に対する致死量は3~4mgである」(兪1981[1959]、p425)、「人間の致死量はわずか3~4mg前後である」(張他1981[1966]、p430)と、やはり水柿回答書のヒト致死量よりも多い数値を示しているのである。

 そうしてみると、水柿回答書のヒト致死量のみが他の研究者のヒト致死量に比べて突出して少ないことが分かる(表2-2参照)。

         表2-2 アコニチンのヒト致死量の比較

出 典

アコニチンのヒト致死量

水柿回答書

1~2mg

Rentoul & Smith1973

多分2㎎。4mgで確実に死を惹起

Gonzales,et al 1954

1~6mgあるいはそれ以上

楊1981[1980]

2mg

黄と夏1981[1956]

3~4mg

兪1981[1959]

3~4mg

張他1981[1966]

3~4mg前後

 水柿回答書に添付された動物実験のデータを見ると、ヒト致死量についての疑問がさらに高まってくる。マウスのLD50[4]が、アコニチン1.8mg/㎏、メサコニチン1.9mg/㎏、ヒパコニチン5.8mg/㎏であり、サルの経口致死量がアコニチン1.5~2.0mg/㎏、メサコニチン1.0~2.0mg/㎏となっている。ヒト致死量を水柿回答書が言うように1~2mgとし、体重を50kgとして計算すると、ヒトの1kg当たりのアコニチンの致死量は0.02~0.04mgとなる。人間に最も近い動物であるサルの経口致死量はヒトの75~100倍となり、ヒトはサルよりもはるかに少ない量で死亡してしまう。しかし、なぜヒト致死量がサルの致死量よりも少ないのかは解明されていない。弁護人がこれらの点を指摘すると、水柿証人は、実際のヒト致死量が文献で示されている致死量を上回る可能性も否定できないと答えた(第64回証言調書)。

 人間のトリカブト中毒の症例を見ても、先の1~2mgという水柿回答書のヒト致死量には疑問が湧いてくる。

 前述の沖縄トリカブト殺人事件の東京高裁平成10年4月28日判決では、被害者の心臓血中のトリカブト毒濃度から推計したトリカブト毒の摂取量は約5.9mgとされた。

 水柿回答書で引用する文献では、自殺するためにアコニチン系アルカロイドを経口摂取した男性(45歳)が「概ね11mgのジエステルジテルペン型アルカロイドを摂取したとみられるが、胃洗浄により一命を取り留めた。」(長野県丸子中央総合病院の症例、Mizugaki,et al,1998 p1)。

 また、同回答書の引用する別の文献では、北海道の女性(40歳)が自殺するためにトリカブトの粉末を飲んで4時間後に死亡した症例では、血液中のジェサコニチン濃度は69.1ng/mlであった(Ito,et al,2000 p1)。女性の体重は57.0kgだったので(同p2)、前記東京高裁判決の推計方法を当てはめると、死亡した女性は3.938mgのジェサコニチンを摂取したことになる。ジェサコニチンはアコニチンやメサコニチンよりも毒性が強く、各種動物実験の半数致死量をみるとジェサコニチンはアコニチンやメサコニチンの2倍の毒性を示している。なお、女性と一緒にトリカブト粉末を飲んで自殺を図った男性は、女性と同様の症状を示しながらも、一命を取り留めている(同p2)。

 これらの症例やヒト致死量を3~4mgとする中国の研究、「多分2㎎。4mgで確実に死を惹起」、「1~6mg、あるいはそれ以上」とする欧米の文献を見ると、アコニチン系アルカロイドのヒト致死量は実際には1~2mgでは足らず、4~6mgかそれ以上と推定される。

 ところで、武まゆみは、トリカブトの根1個を刻んだ大さじ1杯分を混ぜたあんパンを佐藤に食べさせたと証言した(第6回証言調書)。その時に使用したトリカブト根の大きさに最も近いものとして、取調べの際に彼女が選んだトリカブト根を刻んだ重量は約6.1gであったという(H12/12/2実況見分調書)。この約6.1gのトリカブト根にヒト致死量に達するアコニチン系アルカロイドが含まれるのだろうか。

 科捜研の鑑定によると、美濃戸産トリカブトの乾燥根塊1gについて、根大(大きい根)からは、アコニチン186µg、メサコニチン705µg、根小(小さい根)からは、アコニチン57µg、メサコニチン200µgがそれぞれ検出されたという。トリカブト根の乾燥率は、根大が22.9%、根小が25.0%であるから、これに基づいて、6.1gのトリカブトの生根に含まれるアコニチン系アルカロイドの量を算出すると、

 根大について  アコニチン  186µg×6.1g×22.9/100=259.8µg=0.260mg

         メサコニチン 705µg×6.1g×22.9/100=984.8µg=0.985mg

 根小について  アコニチン  57µg×6.1g×25.0/100=86.9µg=0.087mg

         メサコニチン 200µg×6.1g×25.0/100=305µg=0.305mg

 

となる(H13/5/14鑑定書)。

 メサコニチンのヒト致死量に関する証拠は提出されていないが、前記平成12年10月3日付回答書のマウス等の動物実験に関するメサコニチンのLD50はアコニチンとほぼ同程度とされている。そうすると、武が佐藤に与えたというトリカブトには、アコニチン0.087~0.260mg、メサコニチン0.305~0.985mg程度しかなく、それぞれ単独では、前述の水柿回答書が引用するアコニチンのヒト致死量1~2mgにも達しない。トリカブトの生根6.1g中のアコニチンとメサコニチンの含有量を合計すると最大1.245mgとなるが、1mgを若干超える程度にすぎず、中国の研究によるヒト致死量3~4mgやわれわれが指摘したアコニチン系アルカロイドのヒト致死量4~6mgには遠く及ばない。

 さいたま地裁判決は次のように述べてわれわれの指摘を退けた。

トリカブト毒について研究している東北大学医学部教授水柿道直作成の捜査関係事項照会回答書及び同人の当公判廷における証言によれば,トリカブトは,根などに含まれるアコニチン,メサコニチン,ヒパコニチン,ジェサコニチン等のアコニチン系アルカロイドが強い毒性を発現するのであり,その致死量は,通常人(体重50ないし60キログラム)において,アコニチン類1ないし2ミリグラムとする見解が多くの文献等において述べられていて学界の定説となっていることが認められる。そうすると,前記認定の佐藤のアコニチン,メサコニチン,ヒパコニチン等の合計推定摂取量1.245ミリグラム以上というのは,当時の佐藤の健康状態,体重等をも加味すれば十分に致死量に達していると認められる。

弁護人の挙げる死亡例については,そこから検出計測された摂取量は致死量以上の数値を示しているにすぎず,それをもって致死量となし得ないのは当然であり,胃洗浄により一命をとりとめた例についても,摂取されたアコニチン類は未だ血管内に吸収されていない可能性があるから,この例から致死量を推測することもできないというべきである。また,外国の文献における「純粋薬物で多分2ミリ」とか「1ないし6ミリグラムあるいはそれ以上」などの記載は,水柿の見解よりやや多めの印象を与えるものであることは確かであるが,曖昧さを含んだ表現からすれば,未だ水柿の見解と相反するものとまではいえない。水柿の見解には格別不自然なところはなく,トリカブト毒を研究している専門家の見解として十分に尊重すべきであり,弁護人の主張は根拠がないことに帰する。

 文献を引用するだけで、しかも人体実験による正確な数値とは限らない水柿回答書のヒト致死量1~2mgがいつの間にか「学界の定説」にまで格上げされ、それと異なる数値を示す外国文献は無視された。そればかりでなく、判決は、佐藤の健康状態と体重を考慮すれば十分に致死量に達していると言って、専門家を凌ぐ鑑定を行っている。しかし、中国の研究によると、「長く附子を食せば体に耐薬性ができ、中毒量が増し、中毒が起きにくくなる。」ことが知られている(黄と夏1981[1956]p423)。武証言によると、武は平成7年6月3日以前に約2年間トリカブトを与え続けていたというのであるから、佐藤はトリカブトを摂取し続けたことによってトリカブト毒に対する耐薬性が増加し、佐藤のトリカブト毒の致死量は通常人の致死量よりも多かった可能性が高いのである。まして武証言によれば、佐藤はトリカブト入りあんパンを食べた後、部屋の中やゴミ箱等に激しく嘔吐したというのであるから、あんパンに混ぜられたトリカブトの全てを体内に取り込んだことにはならない。そうすると、佐藤が摂取したアコニチン系アルカロイドの量は1.245mgをかなり下回ることになるはずである。

 そして、さいたま地裁判決の決定的な誤りは、「佐藤の臓器からベンゾイルアコニン及びベンゾイルメサコニンが検出されたという事実は,佐藤が生前にトリカブトに含有されているアコニチン類を身体内に摂取したことを示していると認められ,その摂取の時期が死亡直前であったとしてもそれと矛盾することはないといえる」とした点である。これは、「当該症例の臓器から検出された加水分解物はアコニチン類として体内に取り込まれたものと考えられ、それが死亡直前(半日から死亡直近の間)とみなして矛盾はない。」という水柿回答書に基づいたものと思われる。

 だが、この点につき、水柿は次のように証言している(第64回証言調書)。

弁護人 アコニチン類が体内に取り込まれた時間が,死亡直前であると判断した根拠はどこにあるんでしょうか。

水 柿 これは私の経験しております30弱前後の依頼された,自殺もありますし,誤食もありますし,それ以外のもありますけれども,そういったので見ていきますと,例えば丸子総合病院の場合は,救命処置をしなければ1時間半で亡くなってたと。それからほかの例では文献的にも3時間で亡くなったとか,3時間半で亡くなったとか,発症してから何時間とか,いろいろ例があるわけで,そこは発症するまでの時間というのも加味しなくちゃいけないということで,書き方としてはこういうふうに書きましたけれども,数時間という意味ですから,1,2時間から6時間程度の間ということを,私は書いたわけです。

弁護人 当該症例が致死量以上のアコニチン類を摂取した,ということは言えるのでしょうか。

水 柿 その定量につきましては,ほかの方がどなたかなさったか,なさるべきことなのか,私には分かりません。

弁護人 そうしますと,トリカブトを摂取して死んだとすれば,という仮定の上でのお話なわけですね。

水 柿 そうですね。この回答書を書くに当たっては,添付されてきたもの以外ありませんので,私が推定するとすればということ,あるいはそうであればとか,トリカブトを服用したのであればという条件は付くかと思います。

弁護人 ですから,先生が回答書作成に当たって参照された資料に基づいて,当該症例が死亡の直近,先程のお話だと1時間から3時間ですか,内に,トリカブトを摂取したことを示す資料があったということではないんですね。

水 柿 私に添付されてきた書類には,そういうことは明記はされてなかったと思います。

 このように、水柿がトリカブトの摂取が「死亡直前(半日から死亡直近の間)とみなして矛盾はない」とした根拠は、あくまで佐藤が致死量のトリカブトを生前摂取して死亡したという仮定に基づき、トリカブト中毒死ならば他の症例に照らして摂取後1,2時間から6時間程度で死に至るであろうという点にあり、水柿回答書が、佐藤が死亡の直前に致死量のトリカブトを摂取したことを直接推定させるものではない。残存するアコニチン系アルカロイドの加水分解物質の量から、加水分解前のアコニチン系アルカロイドの量やホルマリン水溶液中に滲出した量を求める法則はいまのところ存在しない。したがって、摂取されたアコニチン系アルカロイドの量を求める法則はなく、水柿回答書は佐藤が生前致死量のトリカブトを摂取したことを証明していないのである。既に指摘したように、毛髪鑑定の結果によれば、佐藤はトリカブトを摂取してから少なくとも3日ないし5日間生きていたことになり、むしろ佐藤が死亡直前にトリカブトを摂取したこととは決定的に矛盾しているのだ。

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