第2章 トリカブト

・保管の連鎖

 

まず、鑑定した臓器が本当に佐藤のものだったのかどうかが問題となる。そもそも鑑定した臓器が佐藤の死体から取り出したものでなければ、それは全く無意味だからである。わが国の刑事裁判史上、証拠の同一性、保管の連鎖に疑問があるとして、鑑定の信用性を否定した判例は多数ある。

 例えば、弘前事件について再審開始を決定した仙台高裁昭和51年7月13日決定(判時819-14)は、被告人が着ていた白シャツに被害者の血痕が付着していたとした鑑定について、シャツが押収された当時にはもともと血痕が付着していなかったという推察が可能であるとして、鑑定を疑問とした。松山事件について再審無罪とした仙台地裁昭和59年7月11日判決(判時1127-34)も、被告人が使用していた掛布団の襟当に被害者と同型の血痕が付着していたとする鑑定について、物証の押収、保管、移動、鑑定経過に疑義があり、押収当時の血痕の付着には疑問を払拭できず、後に付けられたと推論する余地があるとした。鹿児島夫婦殺し事件についての最高裁昭和57年1月28日判決(刑集36-1-67)は、被害者の死体から採取したとされる陰毛が被告人のものだとした鑑定につき、捜査官が逮捕後に被告人から別途採取した陰毛が混入した疑いがあるとしてその証拠価値を否定した。覚せい剤事件で、捜査官が被疑者から採取した尿をすりかえたり、他人の尿を混入させた疑いがあるとして、尿から覚せい剤が検出されたとする鑑定書の信用性を否定した判決もある(例えば、浦和地裁平成3年12月10日判決、浦和地裁平成4年1月14日判決(いずれも判タ778-99)など)。その他にも、証拠物に捜査官の作為が介入したとして鑑定書の証拠価値が否定された判決は多数にのぼる。

 証拠物に捜査官の作為が介入する事情としては、捜査側が被疑者・被告人が真犯人であると一方的に確信しているが決め手となる証拠がない場合や、誤認逮捕の誹りを避け、被告人やマスコミからの批判を回避しようとする場合など、違法な捜査によってでも被告人を有罪に追い込みたいと考える動機のある場合が指摘されている(前掲浦和地裁平成3年12月10日判決、浅田1997p110)。

ところが、本件では鑑定をした臓器が佐藤のものであるということは、実は何も証明されていない。佐藤の死体を解剖した埼玉医大の齋藤教授は死体から取り出した臓器を警察に渡したと言い、臓器の鑑定を行った埼玉県警科学捜査研究所(科捜研)の技官は警察から受け取った臓器を保管し、分析したと言っている。しかし、佐藤の死体から採取された臓器が、警察の手を経て科捜研の技官に渡り、そして分析にかけられるまでの間の保管状況を立証する客観的な資料は一切なく、臓器の受渡しや保管を担当した警察官の証人尋問は行われていない。本当に佐藤の死体から採取された臓器について鑑定を行ったかどうか分からないのである。

 本件は、平成11年7月頃から保険金殺人疑惑としてマスコミにより連日大きく報道されるようになり、警察としては八木の有料記者会見を警察に対する挑発行為と受け止めていた。そして、いわゆる風邪薬事件で八木らが平成12年3月24日に逮捕され、その後佐藤修一殺害の取調べがなされるなかで、同年6月30日に武が佐藤にトリカブトを与えていたと供述したことから、俄にトリカブト殺人の様相を呈し始めた。そして同年7月14日には警察は美濃戸でトリカブトを採取し、その後に佐藤修一の臓器を取り寄せて、それにトリカブトの成分が含まれるかどうかについての鑑定嘱託をしている[1]。そうしてみると、警察が佐藤に対する保険金殺人を立件したいと躍起になっていたであろうことは容易に推察され、トリカブト殺人の証拠を捏造する動機を十分に持っていたといえる。

 ところが、さいたま地裁判決は、

齋藤証言,同人作成の任意提出書,領置調書,鑑定嘱託書及び宮口証言等によれば,宮口らが鑑定の対象とした臓器が,外観,重量(一部誤記があったことは認められるものの)等に照らしても,齋藤のもとにあった佐藤の臓器であることは優に認められるところであって,この間に臓器がすり替えられたとか細工が加えられたとかの同一性を疑わせる事情は特段見出すことができない。臓器の保管,移転に関わった者全員の証言によって『保管の連鎖』が証明されなければ同一性を認めることができないとする弁護人の主張は独自の見解であって採用できない

と言う。

 しかし、証拠の同一性に争いがある場合、その証拠物によってある事実の存在を立証しようとする者は、証拠の保管の連鎖、すなわち提出された証拠が、当初獲得されたものと同一であり、その後もすり替えや汚染、干渉がなく、獲得時と同じ状態にあることを証拠(例えば、ビデオテープや写真、担当警察官の証人尋問等)によって証明しなければならないというべきである。そして保管の連鎖についての立証責任は検察官側にある。

 この点、大阪高裁昭和62年6月5日判決(判タ654)は、ひき逃げ事件について、事故現場付近から採取したとする加害車両の塗装膜片の計測、保管がずさんであり、実況見分時の塗装膜片よりも鑑定時の塗装膜片の方が大きくなっているなど、捜査官による鑑定資料のすり替え、混同の疑いを解消できないとして、「検察官において、遺留塗膜片の計測・保管状況、被告人車の塗膜の採取・保管状況、これらの塗膜の各消費状況……、遺留塗膜と鑑定資料等との大きさの不一致が、捜査官による資料のすり替え・混同等の重大な疑問に結びつくものでないことを立証しない限り、被告人を有罪と認めることはできないといわなければならない。」と、保管の連鎖についての立証責任が検察官にあることを明示している。

 保管の連鎖の証明は証拠法の基本的なルールであって、保管の連鎖の証明がなければ、証拠の関連性が証明されたことにならず、その証拠物や鑑定書には証拠能力が認められない。英米法ではこのルールが確立されている。日本でも保管の連鎖に問題があるとした判例を踏まえて、証拠のねつ造やすり替えを防止するために同様のルールの確立を主張する見解が有力である(野々村1992、浅田1997、光藤2001など)。決してわれわれだけの独自の見解なのではない。

 さいたま地裁判決が掲げた警察作成の任意提出書、領置調書や鑑定嘱託書には臓器の写真は添付されておらず、書類自体からは臓器等の同一性を確認することはできない。むしろ、鑑定嘱託書には5gと記載されていた腎臓が鑑定書では28gに増えていたり、肺の重量についても、同じ鑑定書の中で12.2gと12.7gと食い違って記載されるなど、同じ臓器について鑑定したことに疑問を抱かせる記載すらある。判決は、保管に携わった警察官の証人尋問もしないで、重量の違いを単なる誤記であると決めつけ、臓器の外観だけから証拠物の同一性に問題がないとしてしまった。しかし、臓器の外観を見ただけで、どの死体の臓器であるかをどうやって区別できるというのだろうか。前掲大阪高裁判決が、塗膜片の大きさが、実況見分時に約5mm×約7mmだったのが鑑定時には約5mm×約10mmへとわずか3mm大きくなったことで証拠物の同一性に疑問を抱いたのと大違いである。本件でも、臓器の重量の食い違いを単なる誤記ですますことはできない。警察が証拠のすり替えや捏造をしたと疑われる事件も現実に発生しており、無条件に警察を信用できないことは言うまでもない。さいたま地裁の裁判官は警察を全面的に信頼し、保管の連鎖をチェックしようとすらしなかった。はたして、これが公正な裁判と言えるだろうか。

 

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